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【白蛇】担当パート

「ミレナちゃん、お料理できるん、だね……?」

 口に出した言葉は、まるで湯気に紛れて震えていった。


「あ、勝手に台所使っちゃって、ごめん……」

 彼女は耳を伏せ、尾を小さく揺らしながらそう言った。

 謝罪の声が澄んでいて、却ってこの空間が自分の家ではないかのように錯覚させる。


 私はテーブルに並べられた料理を見やる。

 白い飯椀から立つ湯気、出汁の琥珀、炭の名残りを纏った鮭の朱。

 けれど、ひとつひとつの品から立ちのぼる匂いが、どこか現実から切り離された靄のように思えた。

 鮭の赤は朝日を映す血潮に見え、味噌汁の湯気は境界を曖昧にする霞のように揺らめく。


「……すごく、上手だね」

 思わずそう告げると、ミレナは耳をぴんと立て、尻尾を小さく跳ねさせた。

 その仕草は無邪気な獣のもののはずなのに、不意に胸の奥で疼くような懐かしさを伴って迫ってくる。


 彼女は湯気に指先を透かすように、慎ましく箸を並べながら微笑んだ。

「うまくできたか、ちょっと不安だったの……。絵本でしか見たことがなかったから」


 その声を聴いた瞬間、私は言いようのない疑問に囚われる。


——鮭なんて、うちにはなかったはずなのに……


「ねぇ、この鮭——」

 その言葉を遮るように、ミレナは声を弾ませた。

「ほら、食べて……ね? 美味しくできたと思うんだ」


 疑念が胸を漂っている。けれど、その声に促されると、問いは舌の奥へ沈んでしまう。


 私は箸を取り、皿の端から一切れを口に運んだ。

 脂ののった身が舌の上でほろりと解け、塩気が血潮のように喉を潤していく。

 その味は、紛れもなく現実のもののはずなのに、どこか懐かしさを伴って胸を締めつけた。


「……美味しい」

 そう告げると、ミレナの尾がぱたりと揺れて、嬉しげに音を立てた。

 彼女の笑みは柔らかく、それゆえに私はますます疑念を見失う。


 しばし沈黙が流れる。食卓の上では湯気がゆるやかに揺れ、朝の光がそれを透かし、彼女の白銀の毛並みに虹色の影を落としていた。


 やがて、ミレナは箸を置き、ふと遠いものを見るように目を細める。

「……ボクね、本当は、こんなご飯を見たことがなかったの」


 私は息を止めた。彼女は両の手を膝の上で重ね、少し迷うように尾を左右に揺らす。

「ボクたちがいた場所は光が少なくて。風も、土も、匂いを持たなかったの。食べものはあったけど、みんな、同じ灰色の粒みたいで。お腹は満たされても、心は空っぽのままで……」


 彼女の声は、かすかに震えていた。

「だから、この世界に来たとき、びっくりしたの。色があって、匂いがあって、温かい……こんな食べ物があるなんて思わなかったから……」


 私は箸を止めたまま、ただ彼女の横顔を見ていた。

 その瞳には、淡い青の燐光がまだ残っていて、けれど今はどこか切なげに揺れていた。


 私の胸奥に、再び冷たい潮の渦が巻いていた。


「ねぇ、ミレナは“何者”なの……?」



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― 新着の感想 ―
そういや、鮭の朝食は長いこと食べてないです。 お米が高くなってからはパン食にシフトしましたよ。 (「`・ω・)「 読んでいて久しぶりに食べたくなりました。
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