【睦永 猫乃】担当パート
目の前に立つ彼女をぼんやりと見る。
まだ寝起きの回りきらない頭でふとここまでのことを思い出す。
❈*❈
昨夜の私は、久しぶりに帰郷してきた幼なじみと酒場で飲み明かしていた。彼女は明朝に親戚の集まりがあるとかで早めに帰らなければならないらしく、宴席は早い段階でお開きとなった。
それでも、久々に会ったこの快活に笑う幼なじみと飲む酒は安酒と思えぬほどには美味く、別れるころには私もだいぶ出来上がってしまっていたのである。
普段しない大仰な動作で彼女に抱きつき、『またね友よー』、というと、横髪を掻き上げる動作と共に『気をつけて帰りなよ』と呆れられる。
そのまま店の前で別れ、火照った体を気分良く前に押し出せば、まだ冷える春の夜気がむき出しの肌を包んでくる。わずかに湿気り、酒に上気した頬と耳には心地よい冷たさだった。
また近いうちにあの子と会えればいい。
そんなことを考えながら家路へつく。吐息には鼻唄が混じり、いい心地だった。
しかしそれも、道すがらに通らねばならない集落の墓地に、何か白いものがふらふらと彷徨うのを見てしまうまでの話だった。
見た瞬間、雑木林を横切る道の真ん中で立ち止まってしまった。喉からヒュッと吸い込んだ息を最後に、呼吸も忘れてしまう。
月明かりは天頂に青白く、墓石の隙間を幽鬼のようにふらつくそれの背中を闇へ浮き上がらせる。尻から生える真っ白い尾が魂の緒のようにゆらゆらと動く。明らかに人ではなく、頭のてっぺんには角のように尖る白い何か。
そして私は目を瞪る。暑くもないのに手のひらは汗ばむ。気付かれないよう、震える手で慌ててランタンの灯を落とす。
ただそれ以上は、動けなくなっていた。
私は……、私は情けないことにお化けは苦手なのだ。
しかしそんなこちらの張り詰めたような息遣いに、それはふいに気付いてしまったようだった。
かなり距離はあったはず。なのに、その一瞬は湿り気を帯びた夜風が私の身体を撫で、そのまま墓地の奥へと吹き抜けた刹那に訪れた。
白い身体がばっと振り向く。2つ収まる眼窩は、月光の下に青い燐光が燃えているようだった。角だと思っていたものは、ただの耳だった。直後それはこちらに疾る風のように駆け寄ってきて、
『ひいっ?!』
墓地の敷地と道を仕切る柵も、ひと飛びにとびこえた。しゃくるような悲鳴と共に縮み上がる、私の顔を覗き込む。
『――――あっ、のっ、優しそうなお姉さん』
しかし上がった声は存外に柔らかで涼やかだった。しかも近くで見ればそれは猫……のような顔つきをしている。透けていないし実体もあるらしい。
そのうえ話しかけてきたということは、相手には知性があるのだ。私は、突き抜けるような驚きに肩を強ばらせた。
これは一体なんなのだろう? 近くで見ると白銀の毛並みは艶やかで、嘘のように綺麗ではあった。人間が被り物をしている? にしては、尻尾がゆらゆら動いている。猫? なら、なんで話して…………。
けれど戸惑う間にも、相手は言葉を継いでくる。
『――あの、聞いてもいいですか? カレナさんのお墓って、どれですか? それ、から……』
まだなにか話したいことがあったのかもしれない。しかし直後、ぐきゅるるるる……という賑やかな音に発話は邪魔される。
『はう……』
途端、お腹を押さえて口ごもるその生き物。
『あ、の……』
『な、ななな、なに?』
そこでようやく、私もどうにか口を開けるだけの余裕を取り戻し始めていた。けれど同時に相手は、私の目前で急に崩れるようにしゃがみ込んでしまう。絞るように上がる、低めのうめき声。
『うう……お姉さんから、いい匂いするんです』
『はっ、え?!』
まって。もしや、人間とかが好物系の化け物――……。
サッとひく血の気。しかし途端に相手は慌てたような声色で言葉を続けてくる。
『はうっ……そ、その。ちがうの。お姉さんが……持ってる鞄から、すごくいい匂いがして……』
『あ……?』
そういえば、まだ飲み足りないから家でも飲もうと思って、酒場でつまみを包んでもらっていたんだった。私にも少ししか匂わないのに、もしかしたら相当、鼻がいい?
そうしてそのまま明るい月夜の下で、猫のようなその生き物は青白い光を目の奥に潜めながら、三角の耳をへにゃりと倒した。こちらを、ものすごく申し訳無さそうな顔で見上げてくる。
また、私の背から彼女の鼻先へと、ふわりと夜風が抜けていく。
ぐーぎゅるるるるるる……。
『な、なにか、食べさせてくれませんか……』
❈*❈
――それが、昨日の彼女とのファーストコンタクトだった。
酒が入って気が大きくなっていたのもあっただろう。
怪しかったがどうやら常識はありそうなのでそのまま家に連れ帰って、買ってきたつまみの他にも色々つくったものを食べさせたらものすごく喜ばれた。
その後、結局は意気投合してしまった彼女とまた呑んで……というか呑ませて、気付いたら同じ寝床で眠りに落ちていた。
飲み過ぎたせいか途中から記憶もおぼろげだ。目覚めたら寝床に居なかったゆえに、酔った私に月が見せた幻だったのでは、などと思ったりしたのだけれど……どうやら違ったようだった。
やはり彼女は、ささやかな我が家にまだ存在している。
「おは、よう……」
少しぎこちない挨拶のあと、私は昨日教えてもらった彼女の名を呼んだ。