【睦永 猫乃・白蛇】担当パート
【睦永 猫乃】
お互いを見つめ合う時のみ、二人の間にだけ生まれる色が徐々に世界を染める。
それでも時々、カレナはまだ寂しそうだった。
それを見るミレナもまた、心配そうだった。
「カレナ……あのね」
――そのとき……、どうしてだろう。
ただの"目"でしかない私の中にも、ミレナの言いたいことが、洞窟を這って落ちる雫のように一滴一滴流れて、染み込んで来た。
口ぶりは幼くとも、内に秘められた慈しみは恐ろしく無私であり、彼女を心から愛しながら、一切の見返りを求めてはいなかった。
それはおそらく"心"という機構が捧げられる感情のうち最も気高く、最も純粋で、――そして最も美しく、グロテスクだった。
寂しいのなら、殖やせばいい。悲しいのなら、彩ればいい。ミレナで足りないのなら、他の誰かも"家族"にしよう? ミレナの心で足りないのなら、他の誰かの愛も、カレナにあげるから……。
そんなことをまだ辿々しい言葉で述べて、ミレナはカレナをその胸に抱く。けれど同時に伝わってくるその想いは、私の抱える救いようのない虚ろにまで優しく、水に一滴を垂らすようにシアンの模様を滲ませる。抗いがたく、胸を満たしだす。
その時だ。
――……ほら、帰ろう? まなみ……。
それは、ささめくように胸の底から。
私が私を私だと思う、その意識の織り目の最も端の部分から。
無意識と繋がる暗い淵を這い寄るようにいくつもの信号を出し、私の心を甘く侵食しにくる。
――カレナの娘、末席の妹。――彩りをくれる、特別な子。
――まだきみは、まなみだね。――でももう、きみはカレナだね。
――大好きだよ。
――ボクたちは、こんなに。――わたしたちは、こんなに。――そう、こんなに。
――君を想うよ……。 ――きみをあいするよ……。
「う、あ……巣が私に、囁いて、いるの……?」
頭を抱えた。
それでも、私のなかには残っている。
遠い記憶の底、父と、母と、家族がいた頃の暖かい思い出が、まだ確かに私を繋ぎ止めていた。
急な胸の発作で死んでしまった母。
後を追うように憔悴して、最後にはどこかへ消えてしまった父。
育った家土地も家財も、残された私が暮らす糧を得るために、親戚が売り払ってしまった。
それでも確かに私は2人に愛されていたと思う。
だって幸せだった頃、私はあのテーブルで食事を囲み、色々なことを話した。
だから今の家にも残るあのテーブルと3つの椅子を、私はまだ手放すことがで出来ないでいる。
(う……イヤ……。帰る場所、は、あの食卓がある、あの席のはず、なの……)
振り絞るように頭をふって抗うと、胸のなかでは私以外の何かの声が確かにクスクスとささめきだす。駄々をこねる子供を慈しむような色があった。
――じゃあほら、続きをご覧、まなみ……。
あっさりと解放してくれることに少し不安を抱きながらも、言われるがまま目を戻す。巣と会話している間にも、二人の物語は少しずつ進んでいた。
心に虚ろを抱える者は、存外何処にでも、どんな異界にもいるものらしい。寂しい人。埋まらない孤独に蹲る者。溶け合う誰かを求める人。
ミレナは、この色のない世界の末端から作られた、巣の意思そのものでもあったが、ミレナの主はいつでもカレナであった。ミレナはカレナで、カレナはミレナ。
だから寂しい者を見つけては、二人は一人ずつ契りを交わして、自分の内に取り込んでいく。
最初は多少、怯える人もいたけれど、結局はみんな自分の意思で巣に絡め取られていった。だって一人は、寂しかったから。
"家族"が一人殖えるたび、ミレナは新たな貌を得る。
それは、新しい仲間を迎える助けになる。
"家族"が一人増えるたび、茫漠たるこの世界は誰かの色を得て薄淡く染まる。
それは、カレナの寂しさを少しずつ埋めていく。
ミレナは幸せだった。カレナは幸せだった。みんな幸せだった。
それぞれ個としてありながら、一として機能する。食み合い、溶け合い、耽る。ゆえに永遠の庭はずっと幸せ。
そのはずだった。そのはずだったのだ。
……けれどある時、完結していたこの世界に、一つの違和が現れる。
それはまた、巣が新たな"家族"を求めて、カレナが狩に出ていったときだった。
――「……こんばんは、お嬢さん。こんな時間に、ひとりでこんなところにいたら、危なくないかい……?」
くらい路地裏に佇み、自分ではない"家族"の姿を借りて、カレナはとある戦災孤児の少年を見定めていた。
しかしそこに、そっと近づいて声をかけてくる男がいた。
「家はどこ? ここはあまりに治安が良くないよ。良かったら、家の近くまで送るけど……」
男からは、孤独も寂しさも感じはしなかった。
気が乗らないなら、補食して終わりでも良かった。
「良かったら君の名前を教えて……?」
――けれど穏やかに笑んでくるその顔を目に映した瞬間、一ではない個としてのカレナの心がどうしようもなく跳ね回るのを、巣の誰もが感じ、そして騒めいたのだ。
――ほら、聡治郎だ。 ――やあ、聡治郎だ……!
私の胸の中でも、そのときの想いを回顧しながら囁いてくる声がある。
けれど私も、息が詰まるほどに驚いていた。
だって名前を聞かなくても、その声に――、あるいは、言葉もなく一瞬、視線を交える若い二人の面差しに、逃れようもない既視感を覚えていたから。
受け入れがたいおぞましさと衝撃が、身体の内を蟲が這い回るように蠢き回る。
だって今でも鏡を見れば、私のまなじり、鼻の形、あるいは顎の縁取りに、このふたりの面影はいくらでもあるのだから。
「――おとう、さん…… おかあ……さん……?」
思わず漏れた呟きに、クス、クスクス……と笑い声が返ってくる。肯定以外の何物でもない、愛おしむような声が胸の家で囁く。
多分ミレナの声だった。それから誰かの声だった。
――おかえり、まなみ……。
――おかえり、まなみ。
――可愛い愛しい、カレナの分け身……。
【白蛇】
「ずっと……、ボクたちはずーっと捜していたんだよ。ねぇ、カレナ……」
Fin…