新しい住処と食事事情
「取り敢えず兵舎に入るのは明日からだ。 今夜はうちでゆっくり休んでいけ」
閣下のご厚意で急遽公爵家に招かれる事になった私。
柵状の門が開き、馬車ごと中へと進んで行く。
ものすごく緊張して手汗が酷い。
なんせ子爵令嬢、いや、平民の私がこんな上流貴族の家に招かれるなんて普通では有り得ない事。
小さい頃に習ったマナーで通用するのかな……。
そうしている間に、崖のように聳え立つ白壁造りの大邸の前に辿り着いた。
何だろう、この圧倒的な造形美。
これはもう『屋敷』ではなく『城』じゃないのかな。
あまりの凄さに唖然としていると、ゆっくりと屋敷の扉が開かれた。
「「「おかえりなさいませ」」」
キアノス様の背後から中を覗くと、そこには衝立のように使用人達が待ち構えていた。
視界に入るだけでもざっと50人はいる。
想像以上の豪華さと動揺と重圧で思わずよろめいてしまった。
「大丈夫か?」
すると閣下が自分の方に引き寄せる様にして抱きとめたもんだから、使用人達から動揺の声が上がった。
……すごく恥ずかしい。
「彼女は大事な客人だ。 丁重にもてなすように」
そして誤解を招く台詞を言ってのけた。
でもそれで納得したみたいだ。
使用人一同は私達に深々と頭を下げると、スススっと侍女達が寄ってくる。
何事かと思っている間に、私は侍女達に両腕を掴まれ連行されてしまった。
着いた先はお風呂場、いや大浴場だ。
侍女達はそそくさと湯浴みの準備をし始める。
一応身体は洗っていたけど、ずっと川や井戸の水だったから髪もパサパサ、あかぎれも沢山ある。
加えて傷や痣の残る身体は人に見せられるものじゃない。
「あの……セロの世話なんて嫌じゃないですか? 一人で出来るので皆様は他のお仕事に行ってください」
「キアノス様の命令ですからそういう訳にはまいりません」
そう言って侍女達は嫌がる素振りも一切見せず、服を脱がして身体を洗い、私の身なりを整えていく。
傷だらけの身体を見ても、誰も何も喋らない。
気まずいけど、その手つきは皆優しかった。
沐浴の後に用意されていたのは、青みがかった深緑色のハイネックデザインのドレスだ。
所々に織り込まれた金糸の刺繍と、精緻なレースのおかげで傷も殆ど目につかない。
今すぐ舞踏会に出られそうなほどの豪華さだ。
「あ、ありがとうございます……」
すると侍女たちが満足そうな笑顔を見せた。
『自分なんかが』とずっと思ってた。
でもキアノス様に関わっている人達は、何故かセロにあまり抵抗が見られない。
何故だろう。
「さぁ、キアノス様がお待ちです」
一先ずここは、彼女達のおもてなしに感謝しなきゃだ。
私は目線を上げて一歩を踏み出した。
◇
「お待たせ致しました……」
遅めの夕食に呼ばれて食堂へ顔を出すと、軍装ではなくラフな白シャツ姿の閣下が向かいに座っていた。
どうしよう、黒もいいけど白もまたカッコいい。
途端にこんな気合の入った格好で顔を合わすのが恥ずかしくなってきた。
「どうした、そんな所に突っ立って」
扉の影に隠れた私を迎えに来た閣下と目があった。
すると閣下は目を丸くして、こちらをじっと見てる。
「あの、やはりおかしかったでしょうか……」
「いや、その……よく、似合ってる」
まさかの褒め言葉に身体がグングン熱くなっていく。
閣下も言い慣れてないのか、ほんの少し耳を赤くして私に手を差し出した。
案内された席には、見たこともないような豪華な料理が並べられていた。
それも明らかに食べきれないと思う程の量と品数。
お腹は空いてる。
でもきっとこれには……。
「食べないのか?」
料理になかなか手が伸びない私に気づいた閣下は、不思議そうにこちらを見つめる。
「お気持ちは有り難いのですが……」
「ハッキリ言ってみろ」
「セロは、魔力を使った料理が食べられないのです」
その場にいた全員が息を呑んだ。
そう、セロにとっては魔力は異物だ。
なので魔力が体内に入ると気分が悪くなってしまう。
それは食事の場合でも当てはまり、調理中に魔法を使って作られた料理は殆ど食べられないのだ。
さすがに様子を伺っていた使用人達がヒソヒソと話し出す。
居た堪れなくなって、私は深々と頭を下げた。
「折角ご用意して頂いたのに申し訳ありません」
「いや、こちらの見識がなかったのが原因だ。 不快な思いをさせてすまない」
「いえ! 十分すぎるぐらい良くして頂きました。 ですのでお気になさらないでください」
「だがこのままでは眠れないだろう。 何か食べられるものはないのか?」
「果物でしたら……」
「わかった」
すると閣下は近くにいた使用人に声をかけ、使用人は直ぐ様部屋を出ていった。
「普通の食事が取れないとなると、これまで君は一体何を食べてきたんだ?」
「それはちょっと申し上げにくいです……」
この場でゴミ箱の残飯を食べてましたなんて言える訳が無い。
ここは黙っておこう。
「……どうやら別に食事を確保する必要があるな……」
何やら閣下が難しい顔をしてる。
面倒な事を言ってしまったかもしれない。
「もし厨房を貸して頂けたら自分で用意します! 皆様の邪魔にならない時間帯があればどこでも良いので取り持って頂けないでしょうか?」
「君は料理も出来るのか?」
「はい、母が一人になっても生きていけるようにと教えてもらいました」
父は剣術、母は料理。
だからこうしていき倒れずに済んだのだ。
改めて両親に感謝したい。
暫く料理の話をしていると、先程出ていった使用人が大量の果物を乗せた大皿を運んできた。
「それなら食べられるか?」
「ありがとうございます!」
大皿の中のフルーツ達は、芳醇な香りと共に艶々と輝いてる。
こんなに綺麗で美味しそうな果物は見たことない。
一つ手に取り口に含むと、どれも想像以上に味が濃くて幸せな気持ちになる。
何年もまともな食事をとっていなかったから、余計に体中に沁み渡っていく。
「君は美味しそうに食べるんだな」
ハタ、と閣下の一言に我に返る。
気づけば皿にあった果物が半分程になっていた。
「は、はしたなくて申し訳ありません……」
「いや、全く問題ない。 存分に食べてくれ」
そう言われても、そんな風に温かい目で見られると食べにくい。
ここはグラスの水を飲み干して、食事を終えることにしよう。
それでも何年ぶりかに食欲を満たすことが出来た。
生きてて本当に良かった。
「ロゼ」
「は、はい!」
いつも「君」というから、名前で呼ばれるとつい動揺してしまう。
今度は一体何だろう。
「その、まだ時間があれば、なんだが」
「はい」
「この後、場所を変えて君と話をしたいんだが、どうかな」
「え」
あの閣下の鋭い視線が、フラフラと泳いでる。
と言うことはここじゃ話しにくい事なのかな。
もしかしてザクセン男爵の事なのか、今後の騎士生活についてなのか。
思い当たる節は色々ある。
それに私からも聞きたい事がある。
「時間ならあります。 ぜひお願い致します!」
「なら良かった。 では行こうか」
そう返事を返すと、閣下は頬を緩めた、というよりホッとしたような表情を見せた。