揺るぎない誓い
木立の間から差し込む陽の光が、ゆらゆらと私達の足元を淡く照らす。
朝の涼やかな空気の中、ユーリ様は私の歩幅に合わせて隣を歩いた。
「そう言えば、ユーリ様は閣下とどれぐらいのお付き合いなんですか?」
「閣下の臣下になったのは七年前ですが、付き合いとなると十年以上になりますね」
「じゃあ子どもの頃からですか?! まさか、陛下とも、ですか……?」
「えぇ」
まさかの幼馴染だったんだ!
でもそれなら初めての謁見の時、ごく自然に会話していたのも頷ける。
初っ端から衝撃的な話だ。
「そしてルカス様の事もよく覚えていますよ。 勿論七年前の事も」
「え……」
「直接指導してもらった訳でもない私ですらショックが大きかったですからね。 きっと閣下や陛下の喪失感は尋常ではなかったと思います」
少し曇った声色に心臓がドクンと大きく脈を打つ。
そっとユーリ様を見上げると、ユーリ様は少し淋しげに目を細めていた。
この人も救えなかったと嘆く閣下の側で、同じ様に苦しんでたのかもしれない。
じわりと胸が熱くなる。
私はグッと涙を堪えて笑顔で返した。
「父を覚えてて下さって、ありがとうございます」
するとユーリ様は瞳を大きく開いた。
けどすぐに眉を下げて小さく首を横に振った。
「でもどうして父が閣下の指導役になったんですか?」
「当時雇っていた指導者の実力を超えてしまったので、前ヴランディ公爵と親しかったルカス様が抜擢されたんです。 顔合わせの時はさすがの閣下も青い顔していましたが」
確かに初対面であの強面で熊みたいな父に見下ろされたら怖いだろうな。
森で遭遇した魔物でも、父の気迫で逃げ出すのがいた位だし。
「……そんな父とよくやっていけましたね」
「最初は反発ばかりでしたよ。 ですがある日突然閣下の目が変わって、真剣に鍛錬を積むようになったんです。 騎士団に入団して早々『危険種がもう一人いる』と一目置かれる程に」
うん、その光景が目に浮かぶ。
一目置くというか、皆引いてたんだろうな……。
父はとんでもない弟子を育ててしまったみたいだ。
「あの頃に例の約束が交わされていたのかは知りませんが、影響は受けていたとは思いますよ。 何せルカス様の愛娘への想いは海よりも深かったですから」
「は、はは……」
どうやら父はユーリ様にも熱く語っていたらしい。
剣の腕は尊敬するけど、そこだけは寛容になれない。
あの世で会ったら一喝しよう。
「父と閣下の間に固い絆があったというのは分かりました。 ですがそれだけであの約束に繋がるとは思えません」
「そうですか……」
「幾ら父に恩があるからって、ここまでして守る義務はありません」
「……」
「以前陛下からも約束の話を聞きました。 ですがこの国でセロを擁護する発言や行動は非難され、敵を作ってしまいます。 ……危険ですし、もう忘れてもいいと思います」
父を忘れないで欲しい。
でもそれで自分の首を絞める事になって欲しくない。
自己矛盾な気持ちを伝えると、ユーリ様は穏やかな声で返した。
「そうですね。 ですが我々も、他人に言われて止められる様な生半可な意思ではないんです」
「え……」
「七年前の厄災で前国王が床に伏せてしまいまして。 賢者の再来と言われていた陛下もまだ若かったので、革新派が継承者候補をたてたんです。 普段なら一蹴出来たのですが、要であった前ヴランディ公爵も重症を負ってしまい、皆不安だったのでしょう。 厄災の対応に兵力が削がれる中で革新派による内紛が勃発し、かなり緊迫した状況でした。 ですからあの時閣下が戻らなければ、国権は変わっていたと思います」
「そんなに酷い状況だったんですか……?!」
「えぇ。 ですからあの時、閣下が生きて戻れたのは本当に奇跡なんですよ」
「じゃあ父はそれを危惧して……」
「……城に戻った閣下は悲嘆する間もなく、陛下と国を守る『盾』と『剣』になり内紛、厄災を治めたんです。 今こうして我々が平穏に暮らせるのも、ルカス様の英断のお陰なんです」
閣下から聞いた事があったけど、まさか中心部がそこまで酷い事になってたなんて知らなかった。
皆、恩義だけで生きてるんじゃない。
未来を託されたから、こうしてこの国を変えようとしてるんだ。
私はそんな事も知らずに……。
「……こんなの、昔話なんて生易しいものじゃないですよ」
「ですが私達が庇護欲で貴女の側にいる訳ではないというのは伝わりましたか?」
「……はい」
すると突然ザァッと強い風が木立を揺すった。
花が終わった樹木からハラハラと花殻や木の葉が落ちてくる。
するとユーリ様が『付いてますよ』と、私の頭からそれらを丁寧に払ってくれた。
「ありがとうございます」
私がお礼を言うと、ユーリ様は眉を下げた。
「ユーリ様?」
「……この話を聞いても、貴女はまだ笑ってくれるのですね」
「どういう事ですか?」
「我々は貴女の大切な家族を奪ったも同然です。 ですから無理をなさらず恨み言でも何でも言っていただいて良いんですよ?」
そうか、ユーリ様もまだ囚われているんだ。
でももう気負わないで欲しい。
きっと父もそれを望んでる。
私はユーリ様をジッと見据えた。
「なら一つだけ良いですか?」
「……はい」
「ではこれからも末永く、閣下の側にいてあげて下さい」
するとユーリ様は驚いた顔で私を見た。
「私、閣下に約束してもらいました。 『父に救われた命だから、無下にせずこの先も生き抜く為の道を選んで下さい』って。 だから閣下が無茶しないよう、側で見張ってて下さい」
「……それでいいのですか?」
「それで充分です」
「そうですか……。 それが貴女の願いなら、謹んでお受けしましょう」
申し訳なさそうに笑っていたユーリ様の表情に、少し光が差した様に見えた。
咎める事は幾らでも出来る。
でもそうしたからといって、大切な人が戻ってくる訳でもない。
許容しないと何も変わらないし、前にも進めない。
そう、私が望むのはこの先だ。
「では屋敷に戻ったら、早速閣下を叱らねばなりませんね」
フッといつもの仕事の早い優秀な臣下の顔に戻った。
でも少し眉間に皺が寄ってる。
「な、何をですか……?」
「今朝の事ですよ。 婚約もしていないのに一線を越えるなんて、ルカス様に呪い殺されてしまいます」
「い、一線……?」
言葉の意味がわからず困惑していると、ユーリ様がコソッと私に耳打ちをした。
理解した瞬間、私の頭から一気に熱が噴き出した。
「してません! 今朝のは『名前を呼べ』と押し迫られてたんです!!」
「名前を? それだけであんな事に?」
涙目でブンブンと首を縦に振ると、ユーリ様は生温かい目で私を見た。
「閣下は貴女の事になると人が変わりますからね。 そこはしっかり自覚しておかないと、今度こそ襲われますよ」
言われてみれば、あれは確かに人の皮を被った獣だった。
瞳が綺麗だなんて見惚れてる場合じゃない。
気をつけておかないと、本当に父が死の淵から蘇ってきそうだ。
ユーリ様は項垂れた私を労るように、優しく背中を擦ってくれた。
「さぁ、アルフレッド様が到着する前に先に屋敷に戻りましょうか」
「……アルフレッド様が? 何かあったんですか?」
「閣下が呼んだんです。 貴女を屋敷から出さない為に」
ユーリ様の一言に、一瞬で脳内が真っ白に漂白された。
「ね? 閣下の瞳には、貴女しか映ってないんですよ」
そして心拍数が一気に爆上がりする。
閣下! いくらなんでもやり過ぎです!!
それでなくても叱られるのに、その上司を呼び寄せるなんて以ての外だ。
あぁ、魔物と化したアルフレッド様の顔しか思い浮かばない。
改めて、軽率だった自分を深く深く反省した……。




