初めての朝
部屋が少し明るくなってるのに気付いて深い眠りから覚めた。
虚ろとしながらもぞもぞと上掛けを被り直す。
するとふわりとウッディな香りに包まれ、思わず頬が緩んだ。
大好きなあの人がすぐ側に居るみたいで安心する。
なんて幸せな朝だろう。
――あの人。
そう言えば閣下はどうしたんだろう。
確か『待ってろ』と言われて……。
ふと昨夜の事を思い出してボン!と頭から湯気が出た。
全身が熱くなり、慌てて上掛けを剥いで飛び起きた。
周りを見回すと、広いベッドに居るのは私一人だけ。
思わず安堵の溜息が漏れた。
でもその直後、驚愕の事実を目の当たりにして血の気が引いた。
(閣下がソファで寝てる――!!)
私は懺悔に近い悲鳴をグッと飲み込んだ。
大失態だ。
疲れていたのか、それとも枕を抱いて安心したのか。
いつの間にかベッドを占領してぐっすり眠っていたみたいだ。
私は半べそをかきながらベッドを抜け出し、眠っている閣下に近づいた。
膝をつきそっと顔を覗き込むと、閣下はまだ夢の中みたいだ。
穏やかそうな表情に少しホッとした。
いつもはしっかり止めてるシャツのボタンを二つも外してる。
それに形のいい唇から漏れる寝息もすごく色っぽい。
申し訳ないと思いつつも、閣下が寛いでる姿が見れて少し頬が緩んだ。
「ん……」
すると私の気配を察したのか、閣下が緩やかに瞼を上げた。
長い睫毛から覗く青い瞳は、いつもに増して透明度が高くて綺麗だ。
覚醒しきっていない表情もまた絵になる。
「……お、おはようございます……」
私が辿々しく声をかけると、閣下は瞳を瞬かせた。
でもすぐに目を細め、私の頬に手を伸ばした。
「よかった……、ちゃんといるな……」
少し乾いた指先で私の頬を撫でた。
その優しい手つきにドキドキしてしまう。
いやいや、惚けてる場合じゃない。
私は急いで閣下に頭を下げた。
「すみません! 閣下のベッドを占領してしまって……」
「……確かに、男の部屋で無防備に眠るとは危機感が無さすぎるな」
そう言って閣下は半身を起こし、私の両脇に手を入れ、ぐっと持ち上げた。
そしてそのまま膝の上に乗せられた。
「あ、あの……?」
「一晩我慢したんだ。 これぐらいは良いだろう」
これぐらいとは一体?
聞く前に閣下は私の肩をギュッと抱き、再び肘置きを枕にして身体を横たえた。
なので私は閣下の上に覆い被さり、肩口に顔を置く様な体勢になる。
晒された素肌に頬が触れた瞬間、私の身体は一気に熱くなった。
「な、何するんですか!」
「君のせいで一昨日から寝不足なんだ。 大人しくしてろ」
「うっ……」
そこを突かれると抗議出来ない。
仕方なくジッとすると、閣下は身体を支えていない方の手で私の顔に掛かった髪を耳に掛けた。
そしてそのままよしよしと頭を撫でる。
飼い主さんに撫でられる猫になった気分だ。
「お……重くないですか?」
「全く」
「そうですか……」
「君は小柄だし温かいから抱き心地もいい。 何より君の所在が分かって安心する」
そう言って閣下は私の額にちゅっと唇を当てた。
駄目だ、閣下の寝起きってゆる過ぎる!
迷惑じゃないと分かっても、全身を溶かされて起きれなくなりそうだ。
とりあえず冷静さを保つ為、昨晩の話を切り出す事にする。
「き、昨日はいつ頃お戻りになったんですか?」
「確か三時間程前か……。 君が連れてきた男の話をユーリから聞いて、処遇を検討していた」
「チェスの減刑は……、やはり無理ですか?」
「そこはベルトラン伯爵の采配に任せるつもりだ。 まぁ王族が集まる場で犯した罪は重いな」
「そうですか……」
「なんだ、気になるのか」
「だって、妹さんを養うために護衛になったって言うんですよ? もしかしたら無理やりやらされたのかなって……」
「あっさりと話を鵜呑みにするんじゃない。 こちらの気を引こうとしているだけかもしれないだろう」
「そんな……」
「そもそも君は俺の事は警戒するのに、他の男の懐にはあっさりと入っていくだろう。それが解せない」
「そ、それは閣下が変な事するからっ!」
「変な事?」
ふと閣下の目が私に向いた。
ダークブルーの瞳に私が映ってるのが見える。
それが引き金になって、様々な場面が次々と脳内再生されていく。
抱き締められたり、キスされたり、閣下の上に乗せられたりその他諸々……。
記憶の断片に触れただけで頭から湯気がでそうになり、慌てて視線を反らした。
「何だ、意識してくれてたのか」
閣下の笑いを含んだ声にドキッとする。
すると閣下は半身を起こし、乗っかっていた私をソファに転がした。
そのまま私の顔の側に手をつき、妖艶な笑みを浮かべ私を見下ろす。
……体勢が逆転してしまってる。
本能的に逃げなきゃと思うも、先に手を掴まれ小指にキスを落とされる。
「君の気持ちを尊重したいとは思ってる。 だが躱されてばかりだと意趣返しもしたくなる」
「か、閣下……?」
「二人の時ぐらい、上司と部下の関係は忘れてくれないか?」
懇願するような声色に思わず息を呑む。
漆黒のマントを靡かせ屈強な眼差しを向ける、いつもの閣下じゃない。
艶めく紺青の瞳に私だけを映す男性が、すぐ目の前にいる。
全身がジリジリと焼けるように熱くなってしまって、きっと閣下にもそれが伝わってるに違いない。
恥ずかしくて視線を反らすと、閣下は熱くなった私の手をくるりと持ち変え、掌にも唇を寄せた。
再び視線が手元へ惹きつけられる。
今まで見てきた中で一番色っぽい仕草だった。
「今だけでも『キアノス』と呼んでくれないか」
そして畳み掛けるように、今度は憂いを帯びた瞳を私に向けた。
ちょっと待って。
こんなの名前を呼ぶどころの話じゃない。
門外不出レベルの色香に当てられ、意識が遠のきそうだ。
でも目の前にいる御方は、決してそれを許してはくれない。
「……聞き入れてもらえませんか? 私の愛しい騎士様」
今度は姫モードで迫ってきた?!
こうした関係を望んだのは私だから、無下に出来ない事に閣下は気づいたんだ。
そこまでしてこだわる理由は何だろう。
何か、特別な意味があるのかな。
いやいや落ち着け、私。
こんな体勢だから動揺してたけど、名前を呼ぶなんてごく普通の事じゃないか。
閣下だって仕返しに私をからかってるだけで、きっと深い意味はない筈。
初めて会った時にも名前で呼んでたんだから、何も恥ずかしがる事はない。
私は深呼吸を一つして、きゅっと自分の手を握る閣下の手を握り返す。
すると閣下は私を見下ろす青の瞳を大きくした。
私は纏った色気にやられてわなわなと震える唇を、ゆっくりと横に開く。
「キ……、キア……」
なんてない事だと分かっていても、緊張して上手く声が出ない。
何とか唇を縦に開き、名前を呼ぼうとした時だ。
コンコン、と軽快に扉を叩く音がした。
「閣下、そろそろご準備を……」
扉が開き、閣下を起こしに来たと思われるユーリ様と目が合った。
一瞬にして、場が凍った。
『どうぞ』の返事もなしに開けたのは、ユーリ様と閣下の仲がそれだけ親しいからであって、決して悪気があった訳じゃない。
だって主人が朝から女をソファに押し倒してるなんて、微塵にも思わないじゃない。
「すぐにいくから外で待ってろ」
「承知しました」
固まっていたユーリ様は、恨めしげに睨む閣下の命令に『何も見てません』と言わんばかりの笑顔で返し、再び扉を閉めた。
本当に優秀な臣下だと思う。
でも叶うなら、閣下を引き剥がしていって欲しかった。
結局『名前を呼ぶ』任務は失敗に終わり、羞恥に悶え続けた私の身体は扉が閉まったタイミングで機能停止する。
なので私は閣下の腕の中で、白目をむいて卒倒するという醜態を晒す羽目になってしまった。




