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二人で交わす約束

「自分で歩きますから下ろして下さい!!」


「静かにしてろ」


「でも!」


「無断外泊した者に拒否権はない」



 うぐっと痛い所を突かれ、私は口を噤んだ。


 閣下は相当お怒りらしい。

 ただその怖い顔でナイトドレス姿の私を抱えて歩くから、すれ違う人は皆何事かと目を剥いて振り返る。

 恥ずかし過ぎて消えてしまいたい。

 でも閣下はそんなのお構いなしだ。


 きっとこのまま執務室で説教コースだろう。

 そう覚悟して大人しくしていたら、何故か閣下の私室の前で足が止まった。



「あの……?」


「怪我をしてるだろう。 手当てをするから入ってくれ」


 

 そう言って閣下は私をゆっくり下ろしてドアノブに手を掛けた。

 とはいえ肩をガッチリと掴まれているのでやっぱり逃げられない。

 やや強引に連れ込まれ、そのままベッドの縁へと強制的に座らされた。


 以前入った時は療養中だったので、中は小さなランプの明かりだけだった。

 なので部屋の様子は殆どわからなかった。

  

 だけど今はガラス製の大きなシャンデリアによって、シックなデザインで統一された落ち着きある空間が広がる。

 そして仄かな木の香り。 

 いつも閣下から感じていた、大好きな香りがした。



「腕を見せてみろ」



 気づくと閣下は私の前に跪き、その隣には救急箱が置かれていた。

 明確な箇所を指定され驚いたけど、私は静々とナイトドレスの袖を捲った。



「……やはりな」



 手首をぐるりと囲むようにうっ血しているのを見て、閣下は顔を顰めた。



「やはりって……、気づいてたんですか?」


「ハーメルス家にいた時、ジェズアルドが君を拘束したと聞いた」


「……」


「レティーナも心配していたぞ。 魔法も使えないのだから警戒を怠るな」


「はい……」  



 私は視線を下げて頷いた。


 あの時レティーナ様が来たのは偶然じゃなかったんだ。

 私を嫌っている筈なのに、何故助けてくれたんだろう。 


 閣下は眉間に深い皺を寄せたまま、救急箱を持って私の右隣に腰を下ろした。



「じっとしてろ」



 閣下は救急箱から清涼感のある香りの軟膏を手に取り、私の手首に塗り拡げていく。

 怒っている様に見えるけど、肌に触れる手は優しくてぎゅっと胸が熱くなった。



「閣下……、ありがとうございます」


「あぁ」



 包帯も巻き終え役目を終えた救急箱をサイドテーブルに置くと、閣下は溜息をついて私の顔を覗き込んだ。

 


「他には何もされてないか?」


「他にですか?」


「ジェズアルドにだ。 何もされなかったか?」


「ジェズアルド様でしたら一度顔を見に来ましたけど、それだけでした」


「……そうか」



 閣下は何故か冴えない表情で視線を床に落とした。

 いつもと様子がおかしい。



「何かあったんですか?」


「……君のせいで寝不足なだけだ」


「そ、それは大変申し訳ありません……」


「もう帰ってこないかと思った」


「それは絶対にありません!」



 そこは全力で否定した。

 でも閣下の表情にいつもの様な優美さはない。

 物憂げで、少し幼くも見えた。



「ロゼ」


「はい」


「抱き締めたいんだが」


「え?!」


「過度なスキンシップは禁止なんだろ?」


「そ、そうですけど……」


「だから許可が欲しい」



 いつもは前触れもなく触れてくるのに、まるで耳の垂れた大型犬の様な目で遠慮がちに手を差し出した。


 ドッドッドッと心臓が早鐘を打つ。

 恥ずかしい要求を迫られて息苦しいのか、庇護欲を掻き立てられて息苦しいのか、自分でも分からない。

 ただ閣下を守る騎士としては、ここは要望に応えるべき場面だと思う訳で。


 私はゴクリと息を呑み、精一杯の勇気を振り絞った。



「どうぞ!」



 私は差し出された手を取り、閣下に向けてもう片方の腕を広げた。

 閣下は一瞬瞳を大きくしたけど、直ぐ様グイッと私を引き込んだ。



「ロゼ……」

 


 思いの外きつく抱き締められて驚いた。

 でもそれが縋り付く子どもの様に思えて、ぎゅうっと胸が締め付けられる。

 恐る恐る、行場の無かった両手を閣下の背に回した。

 


「閣下……やはり何かあったのでは?」



 私が問いかけると、回されていた腕の力が僅かに緩んだ。

 やっぱり何か隠してる。



「閣下、話して下さいっ」



 語気を強めて問うと、閣下はゆるりと拘束を解き、俯いたまま私と向き合った。



「……七年前の事を思い出してただけだ」


「七年前って……厄災の時、ですか?」 


「君も彼等の様に居なくなるんじゃないかと思ってな」



 そして『情けない話だ』と私の肩口に顔を埋めた。



 出会った頃、何故私に構うのかと理由を聞いた時を思い出す。

 

 魔物が暴徒化し混沌としていた中で、その日は突然やってきた。

 戦いの最中、閣下は師匠でもあった私の父ルカスと仲間を失った。

 王族である自分の命を守る為に。


 大切な人の身を案じる苦しみ、失くす辛さは私も知ってる。

 なのに私の独りよがりな行動の所為で、気負わせてしまったんだ。


 私はそっと閣下の胸元を押して距離を取った。



「……申し訳ありません。 私、閣下の気持ちも知らないで単独行動をとってしまいました」


「どういう事だ?」


「……証拠を掴みたくて、わざと捕まりました」



 案の定、閣下の視線から隠し切れない動揺と憤りが伝わってくる。

 私はギュッと目を瞑って頭を下げた。



「今はちゃんと反省してます! でもあの時、疑われたのが悲しくて、何か情報を掴めば、信じてもらえると思って行動してしまいました……」



 感情で動けばどうなるか、もっと考えるべきだった。


 勝算があったとは言え、実際は運が良かっただけ。


 帰ってこれない程の大怪我を負ってしまったら?


 厳重に監禁されて自力で戻れなくなったら?


 今度は私が閣下を苦しませる事になってたかもしれない。


 身を引き裂かれる様な痛みと共に、涙がボロボロと溢れてきた。

 手の甲で何度拭っても、何度謝っても涙は止まらない。

 涙腺すらコントロールできなくなった私は立ち上がり、深々と腰を折る。



「解雇でも何でも受け入れます! どうぞご自由に処分して下さい!」


 

 意志を持ち、命令に従わないセロは必要ない。

 この国では当たり前の事なのに、温かい居場所をもらった私は何処かで過信していたんだろう。

 


「顔をあげてくれ」



 静かな物言いに怯みつつ顔を上げると、紺青の瞳は物悲しげに揺れていた。



「そこまで反省しているなら、もっと自分を大事にしてくれ」


「え……?」


「君は自分を疎かにし過ぎだ。 処分しろなど、二度と口にするんじゃない」


「ですが、私はセロで……」


「セロだろうがなんだろうが関係ないと言った筈だ!」



 憤りは伝わってくるのに、蔑みでも侮辱でもない言葉にドクン、と心臓が揺さぶられた。

 ギリッと歯噛みした閣下は私の腕を引き、痛いぐらいに抱き締めた。



「一つ聞くが、『あの時』というのは地下牢での事か?」


「……はい」


「なら焚きつけたのは俺だろう。 すまなかった」


 

 思いがけない謝罪に驚いた。

 顔を見たかったけど、頭までガッチリと抱き締められてて身動きが取れない。

 仕方なくそのままで、小さな声に耳を傾けた。

 

 

「君を信じてない訳じゃない。 ただ君が他の男といると考えただけで堪らなかったんだ。 狭量で本当にすまない」



 飾らない言葉が、心に絡まっていた糸をゆっくりと解いていく。

 すごく嬉しくて、私は閣下の肩口に頬を擦り寄せた。

 すると閣下の腕の力も抜け、そのまま私の頬を包むように優しく撫でた。


 ようやく視線が合った。

 海の様なダークブルーの瞳に自分が映っているのが見える。

 吸い込まれそうな深い青に、思わず見惚れてしまった。



「頼むから無茶だけはするな。 残される方の身にもなってくれ」


「はい……」


「もうあんな思いはしたくない」



 コクコクと頭を縦に振ると、閣下は目を細めて私の額に自分の額をコツンと優しく当てた。



「ロゼ、君まで失ったら俺は二度と剣を握れなくなる」


「……そんなの駄目です」


「なら俺の前から居なくならないでくれ」


「はい……」



 普段の芯の通った声と違って、聞き慣れない、甘さを含んだ声が耳を擽る。


 私はまだ、ここに居ていいんだ。


 良かった。

 ホッとしたらまた涙が込み上げてきた。

 でも今度は悲しい涙じゃない。

 安堵の涙だ。



「今度は笑いながら泣くのか」


「だって……」



 『嬉しくて』と言葉にする前に、閣下が顔を寄せて、涙で滲んでいた目尻にそっとキスを落とした。

 そのまま涙の跡をなぞるように、何度も何度も繰り返す。

 心地良い熱が身体の奥に溜まっていくのを感じた。


  

「そんな顔するな。 自制出来なくなる」



 閣下は私の横髪を耳にかけながら、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

 途端に我に返り、慌てて閣下に背を向けた。


 キスされてるのに拒みもしないで、一体何考えてたんだ!


 背後でクツクツと笑う声を聞きながら、私は熱くなった頬を両手で覆い隠した。



「名残惜しいが、今からユーリの所に行ってくる。 君はここで待ってろ」


「待ってろって……閣下の部屋で、ですか?」


「あぁ。 聞きたい事もあるし、また抜け出されたら困るからな」


「そんな事絶対にしません!」


「じゃあ待てるよな」


「……」


「逃げるなよ?」



 最後は蜂蜜の様な甘い声で念を押し、部屋を出ていってしまった。                   

 バタン、と扉が閉まると、私は糸が切れた様にフラリとベッドに倒れ込んだ。

 

 どうしよう。

 甘い痺れが全身に巡って悶え死にそうだ。


 仲直り出来て良かった。

 でも閣下との距離感がいよいよ掴めなくなってきた。

 私室で待たせるのだって、普通の部下と上司なら絶対に有り得ないのに。


 本当は嬉しい、でも素直に喜べない。

 セロの私が閣下の足枷になるんじゃないかと不安に駆られてしまう。


 私は備え付けてあった大きな枕を手に取り、それを抱え込むようにギュッと縮こまった。


『セロだろうとなんだろうと関係ない』


 ふと閣下の言葉を思い出す。

 私はキュッと唇を引き結び、目を閉じた。


 この劣等感、早く何とかしたいな。 

 

 

 




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