優しくされると落ち着かない
「もしかして昨日より怪我が増えてるじゃないですか? 今回は吐き気止めを飲んで徐々に治癒させましょう。 いいですか?」
「はい、お願いします」
馬車の中でユーリ様から薬の入った小瓶を受取り、一気に飲み干した。
二回目とはいえ、慣れない苦さだ。
ユーリ様は『気分が悪くなったら言ってくださいね』と念を押した後、私の身体に回復魔法をかけていく。
即効性のある薬だからか、堪えられない事はない。
きっとユーリ様が私に気遣って治癒してくれているからだ。
「貴女が消えた後、普段感情を出さない閣下がこれを調べろあれを手配しろと必死だったんですよ。 騎士団に入った以上、勝手にいなくなるのも、無理も厳禁ですからね」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
ユーリ様も初めて会った時と同じ、優しい笑みを返してくれた。
この人もセロに偏見が無いみたいだ。
「治療は済んだか。 そろそろ馬を出すぞ」
馬車の窓からキアノス閣下が顔をのぞかせた。
そう、これからオールナードを抜けて騎士団がある王都へと向かうのだ。
ユーリ様と入れ替わりで閣下が乗り込むと、ガタン、と王都へ向かって馬車がゆっくりと動き出した。
馬の蹄の音と小さな振動が何とも心地良い。
公爵家の馬車ってこんなにも快適なんだ。
お陰で私はあっという間に睡魔に襲われる。
このまま目を閉じて『実は夢でした』なんて事になったら嫌だな。
抵抗したいのに、この座り心地抜群の座席は、さっさと眠れと言わんばかりに私の身体を小さく揺らす。
「眠いなら寝てていい。 ちゃんと起こしてやるから」
正面に座っていた閣下が僅かに口の端を上げ、こちらを見てる。
『貴方を守る』と言った手前、閣下の前で居眠りするわけにもいかない。
私は頬をパン!と叩いて気合を入れ直す。
「大丈夫です! 外の世界がどんなものか、早くこの目で見てみたいです!」
「王都までにはまだまだ時間がかかる。 それまで身体を休めた方が良いぞ」
「そんな訳にはいきません! 私は閣下をお守りすると決めたんです。 主の前で眠るなどそんな不届きな真似は出来ません」
すると閣下は溜息を漏らした。
「俺が良いと言ってるんだ。 さっさと寝ろ」
すると閣下は私の隣へと移動し、私を引き寄せそのまま膝の上に転がした。
そして私の目を手で覆った。
まさか膝枕で私を寝かそうとしてるの?!
「手、どけてください!」
「これは命令だ。 苦情なら後で聞く」
「うぅ……」
閣下の膝枕なんて恐れ多くて眠れる訳ないと思っていたけど、閣下の体温は温かくて気持ちがいい。
そしてすごく安心する。
「閣下の膝枕……、すごく気持ちいいです……」
「……そうか」
ここはご厚意に甘えて、身体を預けよう。
どうか、これが夢じゃありませんように。
◇◇◇◇
「着いたぞ。 そろそろ起きるんだ」
「え……?」
閣下の声を聞いて重い瞼を開けた。
するとすぐ目の前に閣下の仏頂面があった。
「し、失礼致しましたぁっ!!!」
「いや、気にするな」
慌てて飛び退いて、周囲を見渡す。
どうやら夢から覚めてはないみたいだ。
あまりの心地よさにオールナードを出たことすら気付かなかった。
しかも閣下の膝の上で安眠するなんて、いきなりやらかしてしまった。
すると外から扉が開き、光が目に飛び込んできた。
「ゆっくりでいいから出てこい。 ホラ」
目を擦って光に慣らすと、そこはたくさんの人で賑わう市場のようだった。
「ここは……?」
「王都モスターザ、その城下町だ」
石畳の道沿いに並ぶ沢山の店。
そこに集まり笑顔で話す婦人達。
はしゃぎ駆け回る幼い子ども達。
人の声が溢れ、活気に満ちた世界に目がチカチカする。
「すごい活気のある町ですね! ここに騎士団があるのですか?」
「いや、持ち出したのが木箱一つにもならなかったと聞いてな。 先に買い揃えていこう」
黒とは違う深緑の外套を羽織った閣下から、同じ色の外套を渡された。
「その身なりでは閣下が怪しまれますからね」
ユーリ様に指摘されてようやく気づいた。
今着ているのは父が使っていた軍服を繕い直したもの。
長年着ていてもうヨレヨレだし、町を歩く様な格好じゃない。
確かにこれでは閣下のご迷惑になる。
私は外套に腕を通し、銀色の前ボタンをきっちりと閉めた。
何の生地を使っているのかわからないけど、かなり肌触りがいい。
丈も膝上まであってボロボロな軍服が隠れて有り難い。
「今日は欲しいもの全て買ってやる。 気になるものがあったら言ってくれ」
「そんなの恐れ多くて言えません!」
「なら支給品だと思えばいい」
そして閣下は私の手を引いて歩き始めた。
「ここまで来て逃げ出されては困るからな。 ほら、行くぞ」
「私まで行くと目立ってしまうので、御者とここで待っていますね」
「え、えぇ……?」
ユーリ様から温かい目で見送られ、二人きりで町中を歩いていく。
外套の効果なのか、意外と人と目が合うことがない。
確かに騎士団長が女連れで堂々と町を歩いてるなんて思わないかも。
おかげで買い物は順調に進み、両手で抱える程の大荷物になった。
「買いすぎやしませんか?」
「女性は何かと物が必要だろう。 支給品だと思って使うといい」
いや、支給品なんて恐れ多い、どれも一級品ばかりでしたよ。
閣下いわく、今の騎士団は貴族出身の者が殆どらしく、それなりに身なりを整えておく必要があるらしい。
平民でセロの私がそんな所に入っていいんだろうか
正直不安になってきた。
その時だ。
悲鳴と共にドォン!と轟音が街中に響いた。
「緊急事態の様だな、君は馬車まで戻れ。 道は分かるか?」
「わからないのでお供します!」
「……仕方ない。 ついてこい」
「はい!」
そして荷物を抱えたまま、閣下と二人で声のする方へと駆け出した。
◇
「酷い……」
現場と思われる場所では、幾つもの家の壁が抉れ、瓦礫の山が出来ていた。
砂埃で視界も悪く、私達は外套の襟を立て口元を覆った。
「閣下、これって……」
「何かが爆発した、とは違う様だな」
そう、火薬の匂いが全くしないのだ。
という事は人為的な事故じゃない。
身を潜め周囲の様子を伺っていると、砂埃の中で何やら大きな影がユラリと動いた。
「まさかここでもワーウルフが現れるとはな」
長身の閣下でも見上げる程の巨体の持ち主は、二本足で立つ人型の狼だ。
おそらく三メートル近くあるだろう。
警備の硬そうな王都で一体どうやってこんな危険な魔物が現れるのか。
私は閣下が剣を抜く前に、抱えていた荷物を閣下に押し付けた。
「閣下はそれを持って下がってて下さい」
「何を言ってる。 君はまだ万全じゃないだろう」
「ユーリ様のお陰でかなり身体が軽いんです。 昨日は見事な首落としを見せて頂きました。 今度は私がお見せします」
感触を確かめるようにトントンとつま先で地面を叩く。
吐き気もすっかり治まってるし、身体の痛みも痺れも感じない。
それに護身用の短剣もある。
うん、充分だ。
閣下からの返答も待たずに、私はダン!と思い切り地を蹴り、ワーウルフまで一気に距離を詰める。
地面スレスレで迫る私に気付いたワーウルフは、私を捕らえようと咆哮を上げて大きく振りかぶった。
痛みも軋みもない身体は本当によく動く。
ナイフのように鋭い鉤爪で石畳を抉った時には、既に私はワーウルフの右肩に乗っていた。
「ここはお前のいる場所じゃない!!」
そして剛毛で覆われた太い首目掛けて、短剣を力一杯振るった。
錆も曇りもない美しい短剣は、見事に頸動脈を切り裂いて致命傷を与える。
ワーウルフが悲鳴の様な咆哮を上げたのはほんの一瞬。
そのまま大量の血を吐き、ドサリと地面に崩れ動かなくなった。
「これで討伐完了」
幼い頃、父と一緒に魔物狩りに連れて行ってもらった経験が役に立ってる。
森で魔物の群れに出くわすと同時に『稽古だ』と言って実践が始まる。
そして戦ってる最中に、その魔物の特徴や急所を叩き込まれるのだ。
今思えば幼子にも容赦ない指導法だった。
でもそのお陰で七年もの間、致命傷も受ける事なく生き延びる事が出来たんだから文句は言えない。
「魔法も使わず落とすとはやるじゃないか」
両手に荷物を抱えて待っていた閣下が、様子を伺いにこちらへと歩いてきた。
「お褒め頂き光栄です。 ですが外套を血で汚してしまいました」
「構わない。 それよりも血まみれの顔を何とかしろ」
「うぐっ」
どうやら顔にも返り血がついていたみたいだ。
閣下は胸ポケットからハンカチを取り出すと、ゴシゴシと返り血を拭っていく。
「魔物の血ですし、じ、自分で拭きますからっ」
「いいからじっとしてろ」
魔物を討った後にこんな事されたら、羞恥心で死んでしまいそうだ。
いくら押しのけようとしても、閣下の方がずっとずっと力が強くてびくともせず、結局されるがままになってしまった。
すると突然、背後からワァっと歓声が上がった。
そこには『ありがとう!!』とか『ねぇちゃんすげぇぞー!!』とか、いろんな言葉が混ざり合っている。
何より皆が笑顔で私を見てる。
「これは君を称える民の声だ。 しっかり心に留めておくと良い」
私は『セロだから』という理由で、ずっと罵倒され続けてきた。
だから慣れない賛辞の声に胸の奥がムズムズしてくる。
鳴り止まない民の声にとうとう耐えきれなくなった私は、閣下の背後に回り身を隠す事にした。
すると頭上から小さくクツクツと笑う声が聞こえる。
「狼みたいに牙を剥いてたのが子犬に戻ったか」
「こ、子犬って酷くないですか?!」
「可愛いから良いだろう」
……子ども扱いの上に犬扱いか。
よしよしと私の頭を撫でる閣下に、ちょっとでも気を許した自分が腹立たしい。
でも『可愛いから』の一言が一番胸に刺さったというのは、絶対に内緒にしておこう。
「警備隊の者です! 通してください!」
すると集団を割く様にして、ようやく警備隊が到着、状況整備が始まった。
その様子に閣下はほんの少し頬を緩めた。
「騒ぎになる前に俺達も馬車に戻ろう。 後は彼らに任せておけばいい」
そう言って閣下は荷物を持ち直し、踵を返して現場を後にする。
犬扱いは悔しいけど、ここはついていかないと馬車まで戻れない。
なので熱くなった頬を隠すように襟を立てたまま、閣下の後を必死に追いかけていった。