公爵令嬢の決意
空も澄んで気持ちのいい朝だというのに、出迎えた私の想い人の表情は冴えなかった。
昨日の別れ際には、少し顔色が戻ったと思っていたのに、調査が難航しているのかしら。
とりあえず場が和むようにと、私は淑やかな笑顔で出迎えた。
「ごきげんよう、キアノス様」
「あぁ、昨日は済まなかった。 レティーナは昨晩、異変は無かったか?」
「はい。 キアノス様が部屋に防御魔法をかけて下さったお陰で、安心して過ごせました」
「そうか、ならよかった」
そう言ってキアノス様は僅かに口元を緩めた。
昨日は私の為に、わざわざ部屋の扉に防御魔法をかけていって下さった。
キアノス様は滅多なことでは魔法を使わないというから、昨晩は嬉しくてなかなか眠れなかった。
そう、まるでキアノス様が側にいるような心地。
それはそれは幸せな夜だった。
でもキアノス様の表情を見ると、高揚した気分も徐々に冷めていく。
時に眉間に皺を寄せ、何処か苦しそうで。
もしかしたら、護衛の任務が重荷になっているのかしら。
だとしたら浮かれていては駄目。
キアノス様を支える妻になる為にここまで頑張ってきたのだから、ここはしっかりアピールしておかなきゃだわ。
応接間に向かいながら、私はギュッと両手で拳を握り、力強くキアノス様に呼びかける。
「キアノス様、もし私に出来る事があれば何でもお申し付け下さい! お手伝いしますわ!」
するとキアノス様は目を瞬かせた後、コクン、と小さく首を縦に振った。
「……ありがとう」
物憂げだけど、そんな笑顔もお美しい。
献身的アピールが出来た今がチャンス。
ここから一歩、二歩と着実に、キアノス様との距離を縮めていかなくては。
「そうだ、君の父上に聞きたい事があるんだが、取り次いでもらえるか?」
早速お声がかかった!
私は逸る気持ちを悟られないよう、一呼吸置いてから口を開いた。
「父でしたら早朝にルドアンへと向かいました。 何やら急な商談が入った様で、二日程家を空けると言っていましたが……」
「そうか……」
「もしよろしければご要件だけでも伺いますよ? 内容によってはお手伝い出来るかもしれませんし」
「君が?」
「はい。 父の補佐に入れるよういつも手伝いをしていますの」
父のオレークは、弟であるグラッセンの会社が手掛けた鉄鋼製品を取り扱う商人。
製造、生産、流通の工程を兄弟で担う仕組みを確立させ、現在は国内トップの生産量を誇る名家と成りつつある。
そんなハーメルス家を継ぐのは、長男のジェズアルドの役目だった。
けれどマイペースなお兄様は、家業に興味がない。
仕事をおざなりにする訳ではないけど、『情報収集だ』とか言ってフラフラと出歩いてる事が多い。
お陰で社交界では男女問わず人気があるけれど。
あれだけ社交上手なのに、家業ではなくベルトラン叔父様の元で働きたいらしい。
本当によく分からない人だわ。
因みにベルトラン叔父様は、グラッセン叔父様の奥様の弟に当たる方。
元は時計の修理技能士だから、普段はグラッセン叔父様の会社の整備担当だという。
でも魔道具も取り扱う様になった昨今では、長年培った精巧な技術で魔道具の開発に勤しんでいると、手紙のやりとりで聞いていた。
その一つが、『光景を記録する魔道具』だった。
とにかく父は最悪の事態に備えて、私にも仕事を教え込む事にした。
キアノス様の妻になるのだから、本当は必要ない。
だけど淑女としての教養を学んだだけでは他の女と変わらない。
だから私はライバル達と差をつける為に、それを受け入れる事にしたのだった。
それがこんなに早く役に立つなんて!
舞い降りたチャンスは生かさなきゃ!
私は胸元に手を当て、キリッと顔を引き締めた。
「折角ですから執務室でお話を伺いますわ。 その方が必要な資料等も早くご用意出来るかと」
「そうか、では頼もうか」
やった!
キアノス様の妻になる夢にまた一歩近づいたわ!
私は平静を装いつつ、心の中でガッツポーズを決めた。
このまま一気にキアノス様の信頼とハートを掴んでみせるわよ!
そうして意気揚々と、応接間の隣りにある父の執務室へと向かった。
そして『こちらです』と執務室の扉のドアノブに手をかけた時だ。
『おぉ、やっといばら姫を捕まえたか!』
中から嬉々としたお兄様の声がして、思わずドアノブから手を離した。
「レティーナ、どうした?」
「いえ、お兄様が使用している様なのですが、何だか様子がおかしくて……」
『まだあの場所を知られる訳にはいかない。 数日間はそのまま監禁しておけ』
「?!」
意味深な内容に、ハッと息を呑む。
私は隣りにいたキアノス様の腕を引き、無言で執務室の扉に耳を当てるよう促した。
『にしてもあのいばら姫が我が屋敷にいるのか。 後で様子でも見に行くか」
『……』
『少し位は良いだろう。 一先ず搬出ルートを完成させるのは後回しだ。 先に魔道具の設計図を見つけるとしよう』
『……』
『心配ない。 ベルトラン殿の退院は二日後だし、ミレー夫人から書斎の鍵も預かってる。 設計図さえ手に入れば、後は何とでもなる』
『……』
『いや、お前は屋敷で待機だ。 いばら姫は言わば人質、次は失敗するなよ』
……会話が途切れた。
すると今度はコツ、コツと、足音が徐々に扉まで近づいてくる。
どうしよう、早く隠れなきゃ。
心拍数が急上昇して痛い位に脈を打つ。
すると隣りで聞いていたキアノス様が、私の肩を掴みグッと引き寄せた。
そして何かを呟くと、私達の足元にブワッと魔法陣が現れる。
途端に床から足が離れ、真っ白な世界へと放り出された。
恐ろしくなってギュッと目を閉じたけど、フワッと大好きな香りを感じてハッとする。
気づけば、私達はピオニーの庭園内に立っていた。
力が抜けてガクリとその場に座り込んだ。
さっきの魔法陣は転移魔法だったんだわ。
あの短時間で発動させるなんて、さすがはキアノス様。
ここならきっと、お兄様と顔を合わすこともない。
――『いばら姫』『人質』『魔道具の設計図を手に入れる』――
よく考えたら今のって犯罪レベルの話だわ。
しかも誰か他の人と話してるような間があった。
きっと共犯者もいる。
「ロゼ……」
隣りでキアノス様が消え入りそうな声で呟いた。
視線を向けると、片手で顔を覆い項垂れている。
そうだわ、いばら姫って確かキアノス様の側にいた部下のロゼ・アルバートの事よね。
あそこで何故あの女の名前が出てきたのかしら。
一体お兄様は考えているの?
「あの、キアノス様……」
心配になって声をかけたら、キアノス様は虚ろな瞳で腰に下げてある剣の柄に手を置いた。
ギョッとして、私はキアノス様の腕にしがみついた。
「キアノス様! 落ち着いて下さい!」
「離せ」
凍えるような声色に背筋が震えた。
顔を見なくても、まるで猛獣と対峙した時の様に威圧感を全身で感じる。
それでも、手を離すわけにはいかない。
引き留めなければと、私は益々腕に力を込めた。
「いけません! ここはハーメルス家の屋敷内ですよ!」
「なんだ、君もジェズアルドの共犯者なのか?」
「違います!!」
冷静さを失くしているのか、私を見下ろすダークブルーの瞳に、私は勿論光すら映さない。
断頭台に上がれと言わんばかりの重圧に堪られず、私は手を床につけ頭を下げた。
「申し訳ありません!!」
「……」
「従者の言葉を鵜呑みにし、キアノス様の部下を疑ってしまいました。 そして……兄の異変にも気付けず、本当に申し訳ありません!!」
「……」
……するとほんの少し殺気が収まったのか、呼吸がふと楽になった。
「……関わっていないのなら仕方のない事だ。 だがさっきの話を聞く限り、ジェズアルドがベルトラン殿を襲った事件に関わっているのはほぼ間違いないだろうな」
抑揚のない声に、ドクン、と心音が一際大きく鳴った。
そう、『次は失敗するなよ』の一言に私も困惑している。
ただハッキリと言えるのは、『兄の計画は既に一度遂行されている』という事だった。
「……私、兄を告発します」
「……」
「先程の話、父が聞けばきっと黙っておりません。 大切な人を傷つける人間を、今度こそ野放しには致しません!」
「いいのか? 下手すれば名を汚す事にも成りかねないぞ」
「……それでも私は告発します。 そして、ロゼ・アルバートは私が見つけて参ります」
すると、剣の様に鋭かった眼差しに動揺の色が混ざった。
それを見てようやく、キアノス様が激昂した理由に気づいた。
「……ハーメルス家の敷地内であれば、私一人が動く方が得策です。 私が彼女を探している間に、キアノス様はお兄様を追い詰める証拠を見つけて下さいませ」
「だが……」
「私を信じて下さい、キアノス様!」
「……承知した」
キアノス様は苦しげに眉根を寄せてつつ、願いを聞き入れてくれた。
本当は自分の手で救いたかったでしょうけど、さすがは愛しの騎士団長様。
今何をすべきなのか、見失わずにいてくれた。




