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肥大する懸念

 ――――生臭い匂いが立ち込める。

 死と隣り合わせの中、熊のような図体の男が声を荒げて叫ぶ。 



『今すぐ逃げろ!』



 まだ仲間達が遠くで戦っている。

 そっちへ行きたいのに、身体が動かない。

 嫌な予感がする。

 


『いやだ! 俺も戦う!!』



 必死に声を上げたが、剣よりも鋭い蒼緑の瞳が俺の胸を突き刺し、踏みとどまらせる。



『馬鹿野郎! お前は俺との約束を果たすと言っただろう!!』



 そう言い放った後、あれだけ恐ろしかった男の視線がふと緩み、優しい笑みを浮かべた。



『頼んだぞ』



 身体がガタン、と大きく揺れ、少しずつ、少しずつ引き離されていく。



『嫌だ……ルカス!! 皆――!!』



 幾ら手を伸ばしても、泣き叫んでも、二度と恩師達といることは叶わなかった――――





「……ノスさま……、 キアノス様!」



 女性の声で名を呼ばれ、俺は弾かれたように顔を上げた。


 ふと撫でた首筋がジトリと汗ばんでいる。

 頭の中が靄で覆われていくような感覚に、思わず頭を振った。



「キアノス様? 大丈夫ですか?」


「あぁ……大丈夫だ」



 不安げな表情で俺を案じるレティーナの背後で、侍女が着々と茶会の準備を進めている。  

 そうだ、確か俺を労う為だと言ってここまで連れてこられたんだった。


 穏やかな日差しを取り込んだガラス張りのガーデンテラス。

 ここから見える景色は、想像していたものより遥かに木々で覆われている。

 小さな森のようにも見えるが、ピンクや白といった花々の存在によって『人の手が加わった空間』なのだと気づく。

 

 だがその姿形は様々で、中でも人の手程の大輪の花は見事だ。  

 そしてふと香る甘い香りは、レティーナから感じていた香りと同じものだった。 

 


「ここの花は全てピオニーですわ。 私が家を出た後、母が私の代わりにと育てていたそうです」


 

 虚ろと眺めていると、レティーナがフフッと顔を綻ばせた。


 確かに似ているかもしれない。

 自尊心も、気位の高い所も、愛らしい容姿と甘い香りが中和して高貴に魅せる。 


 いかにも研鑽を積んだ公爵令嬢(レティーナ)らしい。

  


 彼女(ロゼ)とは正反対だ。


 

 ロゼは小柄な容姿からは想像もつかない程に逞しく、生命力に満ち溢れている。

 そう、命の芽吹く森の中にいるような澄んだ空気を纏っている。

 そんな彼女の隣りに居ると、生きた心地と安堵感でいつも満たされるのだ。



 ……それはずっと変わらず側にあるものだと思っていたが、そうでは無かった。



 俺の手を取らず『大丈夫です』と言ったあの時の笑顔。

 それが今でも頭から離れない。

 普段なら手に取るように分かる彼女の表情が、この時ばかりは読めなかった。


 尋問の際の態度が高圧的過ぎただろうか。

 いや、気圧されていたなら『逃げた時は自分の首を落とせ』など言える筈がない。

 寧ろあの時の翡翠の瞳には、承諾以外の選択肢を許さない程の気迫があった。


 本当に、親子そっくりだ。


 そんな彼女が、勤務中に他の男に会いに行くなど有り得ない。

 頭ではわかっているのに、あの時はどうしても疑念が拭えず冷静さを欠いていた。


 ロゼは、それを見抜いていたのかもしれない。


 情けない姿に呆れただろうか。


 大事な仲間達の様に、そのまま手の届かない所に行ってしまうだろうか。

 

 

(まただ……)

 


 あの時負った肩の古傷が、針で刺される様に疼き出す。

 ロゼといるようになって随分と緩和されていたこの症状も、いなくなった途端にこれだ。

 

 彼女は『ずっと側にいる』と約束してくれた。

 それでも、ルカス殿がいなくなったあの日を、何度も思い出してしまうのだ。



 

「キアノス様、お茶が入りましたし気分転換にいかがですか?」


「そうだな……、頂こう」



 白い湯気を立てるカップに口をつけると、フルーツの様な香りと味わいが喉を通っていく。

 ざわついた心も、ふと鎮まるのを感じた。



「……如何ですか?」


「あぁ、とても美味しい」

 

「本当ですか?! この茶葉、ルドアン名産ですの! 卒業する時に一緒に買って帰ったんです!」

 


 レティーナはパァッと目を輝かせて、腰ベルトの辺りからいそいそと小さな丸鏡を取り出した。

 彼女の物にしては珍しく黒を基調としていて、艷やかな表面はまるで螺鈿を施したような輝きを放っている。

 

 するとレティーナは鏡を伏せるようにして掌に乗せると、それを包むように反対の手を被せた。

 鏡に魔力を注いでいるのか、彼女の手の中がボウっと淡い光を放つ。


 

「どうぞ、見て下さい」



 光が収まると、レティーナは笑みを浮かべて正面にいる俺に鏡面を向けた。

 


「これは……?!」


「茶葉を買ったお店です。 また行こうと思ってお店の外観を記憶させておいたんです」



 思わず息を呑んだ。

 俺が映る筈の鏡には、見たことのない町の光景がぼんやりとだが映っている。

 


「……これは魔道具か?」


「そのようです。 ですが、叔父様は『まだ試作の段階だから世に出せない』と仰ってました」


「叔父? ベルトラン伯爵のことか?」


「はい。 私の卒業が決まった時に宿舎へこれを送って下さったんです。 試作品だから一つしか記憶出来ないみたいですけど」



 確かベルトラン伯爵は義兄のグラッセン公爵と鉄鉱業を営んでいた筈だ。

 まさか魔道具の開発にも手を伸ばしていたとは知らなかった。

 しかも記録できる魔道具は未だ流通していない。

 


「確かに素晴らしい技術だ。 因みにこの開発に関わっているのはベルトラン伯爵だけか?」 


「詳しくは聞いてませんが、確か奥様のミレー様も携わっていたかと」


「そうか……」



 ベルトラン伯爵には子どもがいない。

 これがレティーナの手に渡ったのも、きっと娘の様に可愛がっていたからだろう。


 ベルトラン伯爵が襲われたのも、この技術を狙っての犯行だろう。

 ならば一刻も早く犯人を見つけなくては。


 俺は椅子を引き立ち上がると、レティーナへ敬意を込めて騎士の礼をした。


 

「とても有意義な時間だった。 おかげで身体も楽になったようだ」

 

「そんな……、私は当たり前の事をしたまでです。 私、キアノス様が傷つくのだって見たくありません。 だから決して無理はなさらないで下さいませ!」


「ありがとう、レティーナ」



 民を守るのが騎士の職務だと言うのに、レティーナの様に気遣ってくれる民がいると励みになる。

 彼女なら、どこへ嫁いでもきっと良き妻になれるだろう。

 


「早速で済まないが、一度ヴランディ家に戻っても良いだろうか。 少し調べ物をしたい」


「そう、ですか……」


「勿論腕の良い護衛をつける」


「いえ、大丈夫です。 お仕事も程々で、お休みになってくださいね」


「分かった」


 

 レティーナを屋敷へと送り届けると、俺は直ぐ様馬車を手配し、屋敷へと向かった。


 ようやく解決の糸口が見えた。

 これでロゼの無実も証明出来るだろう。

 早く、いつものロゼの笑顔が見たい。


 逸る気持ちを抑えつつ、屋敷の前に馬車をつけるとユーリがいつものように出迎えた。



「おかえりなさいませ。 もう護衛の仕事はよろしいのですか?」


「少し調べたいものがあるんで戻ってきたんだ。 ロゼはいるか?」


「ロゼさんでしたら任務があると言って、今朝早くにオールナードへと向かいましたが」


「オールナードに……?」



 入れ違いになってしまったか。

 まぁいい、夜には戻ってくるだろう。

 

 帰ってきたら何と言って出迎えようか。

 先ずは謝罪からだな。

 そして甘いものを用意して、しっかり労ってやろう。


 そうして様々な言葉を用意していたが、その日は夜が明けても、ロゼが戻ってくることはなかった。


 


 


 

 



 

 

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