乱される花の香り
人生って、本当に何が起こるかわからない。
まさか王宮の敷地内でベルトラン伯爵が襲われてるなんて。
何とか王宮に運び込み医者へ引き渡したから、きっと回復も早いはず。
そこまでは良かった。
だけど私は一人、王宮の地下牢で一夜を過ごしたのだ。
閣下に報告をする為、情報の整理をしていた時だ。
私はいきなり王宮の守護兵に取り押さえられ、あれよあれよと地下牢まで連れて行かれてしまった。
理由は『私がベルトラン伯爵を襲ったから』。
私は呆気に取られてしまった。
どこでそんな話になったのか。
今朝支給されたパンを噛りながら、悶々と思考を巡らせる。
あの時、あの状況を誰が見ていたんだろう。
薬草園の辺りには、人の気配はなかった筈。
もしかしたらベルトラン伯爵以外にも、あの場で倒れていた人がいたのかもしれない。
でもそれなら、私がベルトラン伯爵を守った事を証言してほしかった。
……まぁ疑われるのなんて、慣れっこだけど。
これまでもセロだからという理由で色んな罪を擦り付けられてきた。
同じ人間なのに、魔力がないだけでモノ扱い。
まだまだ世間はセロには冷たい。
とにかく無罪を証明して早くここから出なきゃだ。
いつまでもこんな所にいたら、爵位を取り戻す以前に返上なんて事に成りかねない。
それは非常にマズイ。
私は鉄格子を揺すってみたりして、脱出ルートを探した。
すると、ガチャン!と錠前が開いた音に続けてコツ、コツ、と誰かの足音がこちらに近づいてくる。
まさか釈放されるとか?
私は期待を込めて、格子越しに音の方をジッと目を凝らした。
するとふわっと花の香りと共に、思いがけない人物が現れた。
「閣下! レティーナ様!」
良かった、ここから出られる!
そう思ったけど、二人から冷たい視線を浴びせられ息を呑んだ。
とても釈放される様な雰囲気じゃ無い。
レティーナ様は私の正面で足を止め、鉄格子越しで話しかけてきた。
「初めまして、ロゼ・アルバート。 いえ、叔父様を襲った犯人さん」
やっぱりまだ私の無罪は証明されてないみたいだ。
オレンジ色の大きな瞳には、昨晩の様な輝きはない。
瞳の奥で炎が滲んで見える。
身内が危険な目に遭ったんだ。
憎まれても仕方ない。
でもそれは私が犯人だった場合だ。
何で閣下は見てるだけで、何も言ってくれないんだろう。
レティーナ様は私に顔を近づけ、瞳を吊り上げた。
「我が家の家臣が、叔父様を襲ったのは貴女だと言ってるの。 何故命を狙ったのか、さっさと白状しなさい」
「私じゃありません! ベルトラン伯爵を発見した時には既に怪我を負っていました。 だからそれは何かの間違いです!」
私が声を張って無実を主張しても、レティーナ様の表情は険しいまま。
やっぱり私だけじゃ無理だ。
私は閣下の方へ視線を移した。
途端に身体の芯から熱を奪われていくのを感じた。
心を凍て付かせる様な『冷血の貴公子』の目だ。
「ロゼ」
閣下の冷ややかな声に呼ばれて、心臓がドクン、と一際大きく脈を打った。
「君がベルトラン伯爵を襲ったと聞いたが、ここで真実を話せ」
レティーナ様の隣りに立ち、閣下は私を見下ろす様に問いただす。
閣下はこの国を守る王国の騎士団長。
だからこうした尋問は誰であろうと行う必要がある。
そう、仕方がない事。
わかってる、わかってるけど……。
「で、ですから……私が、行った時には……」
どうしよう、上手く言葉が出てこない。
ここでちゃんと説明しないと、信じてもらえない。
ううん、言葉が出たとしても、本当に信じてもらえるのかな。
視線を床に落とし逡巡していると、閣下が小さく息を漏らした。
「あそこは巡回ルートに入っていなかっただろう。 何故近寄った?」
「それは……」
「どうせ逢引でもしてたんでしょう?」
横でフフン、と腕を組みながら微笑むレティーナ様の言葉に、閣下が瞳を揺らした。
やっぱり私の事、信じてなかったんだ。
その光景が、私の心に深く刺さった。
「昨晩は沢山の人に囲まれていたものね。 あんな大勢いたら、心を奪われる様な男性が一人位居てもおかしくないわ。 だからって勤務中に逢引なんてね……」
私はレティーナ様の声を切り裂くように、ガッシャァン!!!!と鉄格子を殴り、甲高い金属音を地下中に響かせた。
するとレティーナ様は小さく声を上げ、一歩後退った。
私は血の滲む指が食い込むほどに強く拳を握り、レティーナ様を睨めつける。
「私が忠誠を誓ったのは閣下だけだ。 それを裏切るような真似は絶対にしない。 それでも疑うのなら、拷問でも何でもすればいい!」
「……っ!」
「私はセロだ、どんな暴力、罵り、蔑みだって受けて立つ! だが私は絶対に貴女方には屈しない!」
私に捲し立てられ、たじろぐレティーナ様の背を閣下が支えた。
私は視界がぼやけないよう目尻を拭った。
「……言っておきますが、私をここに入れておいても何も解決しません。 本当の犯人はまだ捕まってないんですから」
私はゆっくりと片膝をつき、立ち尽くす二人を真っ直ぐ見据えた。
「選んで下さい。 私をここに閉じ込め被害者を増やすか、私を囮にして真犯人を捕まえるか、どちらか一つです。 どうかご決断を」
「そ、そんな事言って、どうせ逃げるつもりじゃ……」
「その時は直ぐに首を落としてもらって構いません」
「?!」
動揺するレティーナ様を捉え、私は閣下へと視線を流した。
「騎士団長、その時はお願いします」
「……わかった」
青褪めていくレティーナ様とは違って、閣下は眉間に皺を寄せただけだ。
さすが、騎士団長様だ。
「レティーナ」
「はい……」
「彼女の覚悟を聞いただろう。 釈放してやってくれ」
「ですが……」
「君が王族であろうと、これ以上部下を疑う事は許さない」
「……わかりました。 後で従者に伝えておきます」
レティーナ様は胸の前で両手を握り、小さく頷いた。
閣下もそれに頷くと、私の前に来て片膝をつき手を差し出した。
ふわりと花の香りがする。
香りが移るほど、レティーナ様の側にいたんだろう。
「ロゼ」
私を呼ぶ声からも、向けられた眼差しからも、さっきまでの冷たさは感じない。
でも、甘い花の香りが私の理性に霞をかける。
「大丈夫です」
そう笑顔で答えると、閣下は青い瞳を大きくした。
閣下の手を取るなんて、甘えた事はしない。
自分で無実を証明して、疑った事を後悔させてやるんだから。




