二人の姫君
彼女の名は、レティーナ・ハーメルス。
キアノス閣下、ウィラード陛下の従叔父にあたるオラーク殿下の御息女である。
立派なレディになるべく、相当な努力を積んできたんだろう。
佇まいも大変美しく、背に輝かしいオーラまで見えてくる。
そんな彼女の元へ、歩みを進める一人の男性。
周囲は左右に分かれて道を作り、彼を彼女の元へと導いていく。
「プリンセス・レティーナ」
「まぁ、お久しぶりでございますわ。 キアノス様」
振り返って見せた笑みからは、フワッと花が溢れ落ちるようだ。
レティーナ様は優雅にスカートの裾を持ち上げ、膝を折った。
完璧な立ち振舞い。
そして閣下も、スッと差し出したレティーナ様の右手を取り優しく微笑んだ。
その瞬間に悟った。
(レティーナ様は、閣下の事が好きなんだ!)
それまで高貴なオーラを放っていた彼女が、閣下が微笑み返した瞬間に可憐な少女のような愛らしい表情に変わったのだ。
それは一目惚れとかいう偶発的な感情じゃない。
黒で縁取られたブラウンの瞳には、彼一人しか映していない。
きっと学院に入る前から想いを寄せていたんだろう。
私は二人の視界に入らないよう、巡回ルートを変更した。
「レティーナ嬢は今も変わらずキアノス閣下をお慕いしてるのね」
「確か今年で十六だったかな。 レティーナ嬢なら、きっとご多忙なキアノス閣下を労ってあげられるだろう」
「あれ程美しくなったレティーナ嬢を見れば、閣下も放ってはおかんだろう。 縁談も直ぐに決まるだろうね」
会場を巡回中、二人の噂話が次々に耳に入ってくる。
確かに絵になる二人だ。
あれだけ閣下の周りに集まっていた女性達は口惜しげに、でも遠巻きで二人を見守ってる。
あの二人ならきっと皆が祝福してくれるだろう。
レティーナ様だって、きっとそのつもりで研鑽を積んできてる。
平民でセロの自分なんかが入る余地なんてない。
(閣下も罪作りな人ね……)
今すぐにでもよき伴侶になれる相手がちゃんといるじゃないか。
私なんかに現を抜かしてる場合じゃないだろう。
(そう、私がなるのは閣下の背中を守る騎士なんだから)
ふと左の耳朶に触れ、浮かれすぎだ、と自分を律した。
「お嬢さん、もしも話し相手が必要でしたら私と如何ですか?」
その時だ。
涼やかな声と共に、スッと目の前にパチパチと爆ぜるドリンク入のグラスが差し出されて驚いた。
しまった、気が抜けてた!
私は慌てて背筋を伸ばし、声をかけてくれた青年に一礼した。
「お見苦しい所を見せてしまい大変申し訳ありません! 只今任務中ですので、その様な配慮は不要でございます!」
「そうかい? なんだか寂しそうな顔だったからつい声をかけてしまったよ」
そう言って青年も、申し訳なさげに頭を下げた。
年頃はキアノス閣下より下の様で、明るいブラウンの髪は癖毛なのか、切り揃えられた襟足が少し跳ねてる。
そして長い睫毛で縁取られた切れ長の瞳は、きつい印象というより眼力がすごい。
「あれ、君は……」
すると、青年が何故か訝しげに眉を寄せた。
……何かやらかしてたかな。
まさか閣下達の事に気が向いてたのが、職務怠慢に見えたとか?
ならこれ以上失態を見せるわけにはいかない。
『では仕事に戻ります!』と私はもう一度頭を下げ、この場を離れようと踵を返した時だ。
青年にパシッと手首を掴まれた。
「君、もしかして『武闘祭のいばら姫』かい?!」
青年の跳ね上がった声が広い会場内に響き渡った。
一体何の事だろう。
思わず私は後ろへ一歩離れた。
「あの、人違いでは⋯⋯?」
「そんな筈はない! その燃えるような赤い髪、宝石の様な翡翠色の瞳。 あの武闘祭で長剣を振るっていたのは君だろう?!」
確かに長剣を持って戦っていたのは先にも後にも私一人だった。
だからといって『武闘祭のいばら姫』かと聞かれても答えられない。
キラキラと瞳を輝かせる青年からの圧に慄き、私は更にもう一歩後ろへと足を引いた。
「確かに武器は長剣ですが、私はいばら姫では⋯⋯」
「いやいや、小柄な身体で場内を華麗に舞う、一輪の美しい花。 あの長剣とのギャップがまた良くて、我々の間では『武闘祭のいばら姫』と呼んでいるんだ。 まさか本物に会えるなんて感激だよ!」
あぁ、別称という事か。
もしかして『いばら姫』って、バラの花の名前にもある『ロゼ』から連想して付けたのだろうか。
そう言えば陛下にお会いした時にも、花がどうとか言ってたな。
うん、何とか理解は出来た。
だからもう仕事に戻りたい。
さっさと切り上げようと後ろへ下がってたのに、青年はぐいぐい距離を詰めてくる。
しかも手を握られてるなんて、どこからどう見ても職務怠慢じゃないか。
「申し訳ありません。 これ以上は……」
「ジェズアルド、一体どうしたんだい?」
ようやく手が離れた所で、今度は初老の男性が数名、興味有りげに声をかけてきた。
するとジェズアルドと呼ばれる男性はフフン、と何故か誇らしげに口の端を上げた。
「皆様は今年の武闘祭をご覧になりましたか? 彼女こそが、あの大舞台で身の丈ほどの長剣を振るい相手を魅了したご令嬢、『武闘祭のいばら姫』です!」
……何だか誇張されてないか?
でも嬉々とするジェズアルド様の演説で、この場にいた皆が『おぉ!』と目を大きくした。
「それは真か?!」
「まさかこんな可憐なお嬢さんだとは……」
「ぜひうちの護衛騎士に!」
そうしてほぼ一方通行な会話が始まってしまった。
お陰で周囲も異変に気付き、何だ何だと次々に集まってくる。
前方が人の顔で埋め尽くされるまで、然程時間はかからなかった。
罵られるのは慣れてるけど、善良な方々にここまで詰め寄られた経験がない。
しかも相手方は王族だ。
無作法に払い除ける訳にもいかない。
引っ切り無しに声をかけられ、目が回りそうだ。
「皆様、彼女が困ってますよ」
そのきっかけを作ったのは貴方です!
そう叫びたかったけど、ジェズアルド様が止めてくれたお陰でスゥッと音が止んだ。
逃げるなら今だ。
でも先にジェズアルド様が私の前へと進み出た。
「折角出会えたのだから、この後二人でゆっくり話でも……」
再び私の手を掴み、逃さないと言わんばかりに笑顔で詰め寄ってくる。
もしかして、私が立場上断れないってわかってて言ってるのかな。
だからといって、職務怠慢と言われて今後の騎士生活に影響が出る方が困る。
不敬罪になるかもしれないけど、ここは思い切って声を上げなきゃだ。
「あの! これ以上は……」
「これ以上は妨害行為だ。 手を離せ」
その一言に周囲がざわつき、緊張が走る。
ジェズアルド様の顔も一気に青ざめた。
私の隣りからジェズアルド様の腕を掴んだのは、眉間にくっきりと皺を刻んだ閣下だった。




