約束と夢を紡いだ先は
「これだけ俺を期待させておいて逃げ出すのか?」
「それはありません! ちゃんと側にいて閣下の生き様を見届けます!」
「なら帰ってくればいい。 ここは君の家だと言っただろう」
「でも、私はセロですから……」
すると閣下は小さく溜息をつき、ようやく私を地面に下ろした。
「セロである以前に君は一人の人間だ。 ここでは我慢する必要はない」
「ですが……」
「どうしても気が引けると言うなら、口実を作るか」
「……口実?」
「あぁ」
顔を上げると、既に美しい紺青の瞳は私を映していた。
私はこの瞳にめっぽう弱い。
でもいつもと違って、何だか熱が籠もってて色っぽい。
「君が俺の『婚約者』になればいい」
「……はい?」
一瞬頭が真っ白になった。
そしてようやく言葉の意味に気付き、ボフッと再び湯気がでた。
「な、何言ってるんですか?!」
「何って、君がここに留まる口実にはこれが一番だ」
「セロが公爵家の婚約者になんてなれる訳ないじゃないですか!」
「その『セロだから』というのが気に食わない」
「え?」
「七年も虐げられていたのだから多少は目を瞑ろう。 だがこれ以上、都合よく逃げの口実にしないでくれ」
閣下が眉間に皺が寄せた。
怒ってる。
でもさっきより視線の熱量が増してて目が離せない。
「言っとくがヴランディ家は戦闘能力重視だから君ぐらいの腕があれば充分だ。 それに当主の俺が良いと言ってるんだから問題ない」
「問題ありですって! そ、それに……婚約は、好きな人とするものです」
「貴族の結婚なんて政略結婚が殆どだぞ」
「うちの両親は恋愛結婚だったと聞いてます」
「……そうか」
「そうです。 だから軽々しく『婚約者になればいい』とか言わないで下さい!」
ほんの一瞬、閣下の瞳が揺れた。
その隙をついて、私はふいっと顔を背ける。
幼い頃憧れた、誰かのお姫様になる夢。
でもセロである以上は叶わない夢。
だから、この人を守れる騎士になるんだ。
それならずっと一緒にいられるから。
例え閣下の隣りに見知らぬ女性が立つことになっても……。
その時、下ろした髪を掬うようにざぁっと夜風が吹いた。
同時に閣下にぐっと引き寄せられる。
そして唇を私の耳元に寄せてきた。
「ならこれから『恋愛結婚』にすればいい。 俺はそのつもりだ」
風に流されてしまいそうな小さな呟き。
でも私の鼓膜にはしっかりと届いていた。
口をはくはくさせる私を見て、閣下は口の端を上げた。
「今回の事で自分がいかに挟心なのか分かったよ。 誰にも君を渡さない」
「だから……、私を『婚約者』に……?」
「あぁ。 強引だが立場を利用してでも繋ぎ止めないと、またどこかに行ってしまいそうだからな」
「そ、そこまでしなくても、私は閣下のお側にいると誓って……」
「それは上司としての俺にだろう? 俺は君が好きだから求婚しているんだ」
「……っ?!」
『好きだから』という言葉に動揺して思わずうっと言葉を詰まらせた。
私だって閣下の事が大好きです!
そう叫びたいけど、やっぱり身分が違いすぎるし、隣りに立つ自信もない。
こんな情けない自分のまま求婚の申し出を受けるなんて、やっぱり失礼だ。
すると閣下は腕の中で縮こまる私の顎を掴み、ぐいと持ち上げた。
「君は俺の気持ちを利用してここにいればいい。 その間に俺が君を口説き落として『恋愛結婚』に変えてやる」
立て続けに甘い言葉を囁かれ、身体の奥底から湧き上がってくる熱にクラクラする。
どうしよう、気持ちを伝えるタイミングを逃してしまった。
閣下は私がまだ閣下に恋してないと思ってる。
だから宣告通り口説き落としに来る。
今ですら卒倒しそうなのに、そんなの絶対に身が持たない。
そもそも目上の人からの求婚を断るなんて、犯罪者になるか余程の事情を抱えてない限りできない。
となると閣下が諦めない限り、私に拒否権はない。
しかも爵位を取り戻せば貴族同士になる。
だから爵位を取り戻そうとすればする程、私は閣下との結婚に向かって突き進んでいくことになる。
だったら、腹を括るしかない。
「閣下!」
「っ何だ」
今まで大人しくしていた私が突然声を上げたもんだから、閣下の声が少し上擦った。
「私は閣下をお守りする騎士になりたいです!」
私はもう閣下を好きになってる。
だから言い寄られて求婚を受けたなんて思われたくない。
自分からちゃんと閣下を好きだと伝えたい。
閣下の婚約者だと胸を張れる自分になりたい。
だから今は、時間がほしい。
「ですから閣下……、いえ、キアノス・ヴランディ公爵様、お願いがあります」
久しぶりに名前を呼んだからか、閣下の表情が一瞬強張った。
それを見て、私は肩で息をしながら閣下の前に小指を立てた。
「どうか私がお守りするお姫様になって下さい! それで自信がついたら貴方の婚約者になります!」
しまった、これじゃ告白じゃなくて宣戦布告じゃないか。
でも一生分の勇気を使い切った気がして、今更言い直せそうにない。
すると閣下は空を見上げ、フウ、と溜息をついた。
「……呆れましたか」
「いや、やはり一筋縄ではいかないなと思っただけだ」
そう言って閣下は、差し出した私の小指に自分の小指を絡めた。
そして目を瞬かせる私を見ながらクスクスと小さく笑った。
「これはやられたな。 君を手に入れる為には姫になるしかないのか」
「権力を使って私を婚約者にしようとしてるんですからおあいこです」
「ほぅ、なかなか言うじゃないか」
いきなり後頭部を掴まれたと思ったら、自分の唇と閣下の唇が重なってた。
男の人の唇って、思ってた以上に柔らかい。
それにお菓子を食べた訳じゃないのに、すごく甘い。
伏せ目がちで微笑むその顔は、月明かりに照らされて色気も美しさも三割増しだ。
「では早速、より親密な関係を築いていきましょうか。 私の愛しい騎士様」
まずい。
閣下がこんなにも妖艶なお姫様になるなんて想定外だった。
いや、それよりも今、キスされたよね?!
ブワっと全身が熱くなった。
「か、過度なスキンシップは禁止です!!」
「恋愛結婚がしたいならこれ位で怖気づくじゃない」
そう言って閣下は私を抱き上げ、逃さないと言わんばかりに抱き締めた。
これはややこしい事になってしまった。
閣下の色仕掛けにあっさり陥落してしまいそうだけど、負けてなるものか。
愛想を尽かされる前に、絶対に騎士になってやる。
それでちゃんと閣下に告白するんだ!
でもこの約束がもっとややこしい事を引き起こすなんて、私はまだ気づいてなかった。
これにて第一章完結です。
現在第二章執筆中ですので、ぜひブックマークを付けてお待ちいただければ幸いです。




