子爵令嬢の価値
「この娘はセロですが剣の腕は確かです。 もしも兵力にもならないようでしたら、側室にでもいかがでしょう。 身なりはこんなですが顔は整ってますし、しっかり躾けておりますので公爵様のお好きな様に……」
「少し黙ってくれ」
「ヒッ!」
キアノス公爵様の冷ややかな声色に叔父は怯えた声を上げた。
『冷血の貴公子』なんてものじゃない。
さっきから全身を刺すような悍ましい殺気を放っている。
まるで本物の魔物のようだ。
私は気圧されないよう、奥歯をグッと噛み締めた。
「で、話を進めたいんだが」
スッと長い脚を組み替えただけでも、部屋中が緊張感で張り詰める。
公爵様を前で手揉みをする叔父の額からは、大量の汗が流れていた。
「……ぜ、ぜひとも! で、いかが程で……」
「……」
公爵様は顔を顰めつつ右手を上げた。
するとユーリ様は足元に置いてあった革張りの黒いトランクを開き、一枚の紙を取り出して叔父に手渡した。
それを読んでいた叔父の落ちくぼんで小さくなった目が、これでもかと大きく見開いた。
「セ、セロをこ、こんな額で……?!」
「それで良ければ下に署名をしてくれ」
「か、畏まりましたぁっ!!」
叔父は迷うこと無くペンを走らせてた。
興奮状態にある夫を見て、夫人も慌てて側に駆けつける。
余程の高額なのか、夫人もまた恍惚とした表情で肩を震わせた。
公爵様は叔父から受け取った書面を確認すると、そのまま自分の胸ポケットにしまった。
「文書はこちらで預からせてもらう。 では彼女をこちらへ」
「はいぃ!!!」
夫人は嬉々として私の縄をナイフで切り、生贄を差し出すかのように私を突き出した。
するとようやく公爵様の殺気も治まった。
今がチャンスだ!
私は夫人の持っていたナイフを奪い、剣先を自分に向けた。
「お前らの好きにさせてたまるか!!」
グッと手に力を込め、自分の胸目掛けてナイフを振り下ろす。
(お父様、お母様、ごめんなさい!!)
大好きだった両親を思いながら、ギュッと目を閉じた。
すると バキィン!!とガラスを割った様な耳を劈くな音が直ぐ側で響いた。
「……え……っ?!」
私が持っていたナイフの刃が、まるで氷細工を壊したかのようにキラキラと朽ちて床に落ちていく。
信じられない。
公爵様が手で刃を握り潰してしまった。
「馬鹿な真似をするな!」
瞳に炎を灯した公爵様の怒号が、耳の奥までガンガンと響いてくる。
ようやく両親の元へ逝けると思ったのに、最期の望みを絶たれた私はその場に座り込んだ。
そして涙で歪む公爵様に向かって声を張り上げた。
「セロは死ぬ事すら選べないのですか?!」
良かれと思っていたのか、公爵様は困惑した様子で私を見つめる。
途端にボロボロと涙が零れた。
私が何をしたっていうの?
魔力をもってなかっただけで、何故こんな仕打ちを受けなきゃならないの?
「もういや! 死なせて!!」
「ロゼ!!」
泣き散らかす私を止めようと、公爵様は自身の外套の中へと私を引き込んだ。
その力強さに驚いて一瞬息が止まった。
「君を苦しめたのは俺の罪だ……。 すまない……」
天幕の中で聞いた時の様な優しい声。
けど何処か寂しそうにも聞こえた。
苦しいぐらいに強く抱き締めておいて、何を謝っているのかは分からない。
でも公爵様の身体から伝わってくる熱に、冷えきった心が溶かされていくのは分かる。
「こ……この馬鹿者が! 公爵様になんて事をする!!」
「黙れ!!」
叔父の怒号に怯み、思わず公爵様の服を掴んだその時だ。
再び公爵様が悍ましい殺気を放ち、この場の空気を一瞬で凍らせた。
「そう喚くな。 お前達の処罰は既に決定事項だ」
今にも射殺そうと唸る公爵様に二人は腰を抜かし、ガタガタと震え出す。
そしてこの息苦しい程の狂気の中、ユーリ様は平然とした様子で叔父にもう一枚の書類を手渡した。
それを受け取った叔父は一瞬で顔面蒼白になった。
「……こ、これは……?」
「ルカス・アルバート子爵の娘、ロゼ・アルバート嬢を監禁、そして財産横領の罪で貴方は爵位剥奪となりました。 これまで己の欲につぎ込んできた全て、きっちり返納してもらいますよ」
聖人のような笑顔で恐ろしい事を言うユーリ様に、叔父はブンブンと勢いよく頭を振った。
「誤解です! 監禁ではなく保護していたのですよ! 証拠もないのにお戯れも程々にしていただきたい!」
「証拠ならちゃんとここに揃えてあります。 ご覧になりますか?」
そう言ってユーリ様は先程のトランクをドン!と叔父の前に置いた。
もしかしてあの中身が全部そうなの?
親戚とはいえ、さすがに引いてしまう。
すると公爵様は外套を脱いで私の肩にかけ、ジリジリと伯父に迫り追い詰めていく。
「貴様の思惑通りアルバート子爵の爵位は継承困難、爵位停止状態だ。 大方アルバート家の財産を己の領地拡大に使用し、爵位そのものを消失させる魂胆だったんだろう」
「そんなっ滅相もございません!!」
「後はロゼを売れば隠蔽できたかもな。 だがそれもここまでだ」
すると青白い顔をした叔父は何を思ったのか、突然大声で嘲笑った。
「何故こんな能無しを庇うのです?! セロの命の一つや二つ、なくなっても誰も悲しみやしない!! 寧ろ生かしてやってるんだから感謝してもらわねば!!」
すると公爵様は腰に下げていた剣を抜き、叔父の喉仏目へと剣先を突きつけた。
「魔力があろうとなかろうと、我が国の民である事に違いない。 それを愚弄し傷つける者に制裁を下すのは至極当然のことだろ」
「ヒッ、ヒィイィッ!!」
「さぁ、今ここで俺に裁かれるか、大人しく牢に入るか決めろ」
「あ、あぁ…………」
とうとう叔父は公爵様の威圧に耐えきれず白目を剥いた。
それを見て公爵様は顔を顰め、パチンと指を鳴らした。
外で待機していたのか、幾人もの兵士達がドカドカと部屋に入ってきて二人を取り囲んだ。
「これ以上は時間の無駄だ。 その者達を連れて行け」
「「「はっ!!」」」
泡を吹いた叔父は、喚き散らす夫人と共に鎧姿の兵士達に拘束され、連れて行かれてしまった。
私はその顛末を呆然と眺めていた。
「少しは落ち着いたか?」
「は、はい!」
キン、と剣を鞘に収めた音で我に返った。
すると公爵様がこちらに近づいて、私の前で膝をついた。
気付くと息苦しい程の殺気も収まり、紺青の瞳にはしっかりと私が映ってる。
優しくて、でもやっぱり少し泣きそうで。
何でそんな目で私を見るの?
するとコホン、とユーリ様の咳払いで私は急いで二人から距離を取り、床に額をつけた。
「た、助けて頂きありがとうございます。 そしてこれまでのご無礼をお許しください!」
「気にするな。 我々は君を保護する為にきたのだから」
「保護……?」
私が顔を上げると、公爵様は小さく頷いた。
「ま、待って下さい。 セロを保護するなんて、そんな事をしたら周囲が何ていうか……」
「なんだ、そんな中傷にやられるような俺だと思ってるのか?」
公爵様は深い海の様な紺青の瞳を細め、口の端を上げる。
その屈強な眼差しに、私は慌てて首を左右に振った。
でも本当について行っていいのかな。
さっきのやり取りもあって頭が回らない。
「気が引けるというのなら、我々王立騎士団の一員になる手もあるが?」
『騎士団』の言葉を聞いて私は顔を上げた。
「騎士団……私が、ですか?」
「あぁ」
「待って下さい! 私は魔力をもたないセロですよ? 騎士団に入る資格はありません!」
そう、魔法が使えないセロはまともな仕事に就く事も出来ないのだ。
庶民の日常生活にも魔法が浸透し、セロが出来る事が殆どないからだ。
就けても小間使い、汚れ仕事といった程度だ。
ましてや騎士団なんて人を守る仕事。
魔法がなければ困る場面だって多い筈。
「勿論無理にとは言わない。 だが魔法を使わずともあの刀剣狼に傷を負わせるだけの才能を放置したくない。 それにここで功績をあげれば、爵位を復活させる近道になる」
「爵位を復活……?」
「爵位を復活させるには、君がルカス・アルバートの娘だと証明する必要がある。 なら騎士団に入って功績を上げるのが一番手っ取り早い」
「そんな事が可能なのですか?!」
「あぁ。 勿論継承権を放棄しても構わない。 だが爵位は君の父上が積み上げてきた証だ。 このままだとアルバートの姓を名乗ることも難しくなる。 本当に一人になってしまうぞ」
両親を亡くし、一人きりで泣いていた記憶が蘇る。
またあの絶望感の中で生き続けなきゃいけないのか。
しかもお金も住処も何処にもない。
でも、爵位を取り戻せば道が拓けるかもしれない。
この方についていけば、夢が叶うかもしれない。
誰かを守れるぐらいに強くなりたい。
何より救ってくれたこの方に恩返しがしたい。
「ロゼ」
「は、はいっ!!」
名前を呼ばれて私はピシッと背を正した。
すると公爵様はほんの少しだけど頬を緩めた。
「俺に忠誠を誓えば、部下として俺が君を守ってやれる。 それでは駄目か?」
『守ってやれる』って、公爵様にですか?!
想定外の台詞に心臓が大きく脈打った。
本当に私を保護するつもりなんだ。
そんな風に言われたらもう信じるしかない。
私は肩にかけてる外套をギュッと握り、片膝を立てて公爵様に深く頭を下げた。
昔父に教わった騎士の礼だ。
「公爵様、いえ公爵閣下、貴方に忠誠を誓います。 どうか、私に貴方をお守りする権利をお与えください」
「よし。 君の命、俺が預かろう」
そう言って公爵様、もとい公爵閣下は私の手を取り立ち上がった。
それに合わせて私も立つと、足がふらつきポスンと閣下の胸に飛び込んでしまった。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
ひゃぁぁぁっ! 頭を撫でられてしまった!
無理もない。
立って向かい合うと、私の身体は閣下の腕の中にすっぽりと収まるサイズだ。
子ども扱いされても仕方ない。
「ししし失礼致しました!」
私は瞬速で壁際まで飛び退いた。
恥ずかしすぎて息が止まってしまいそうだ。
すると閣下は怪訝そうな顔で私を見る。
「これから王都に向かうが本当に大丈夫か?」
「え、王都に、ですか?」
「そうだ。 動けるなら早速荷物をまとめてきてくれ」
「えぇっ?!」
今すぐ連れて行かれるの?!
これはもはや強制じゃない?
それでも行く宛の無くなった私は閣下についていくしか道は無かった。




