拓かれた道の先に
「閣下……」
ぼんやりとでも、その姿を見たら安堵で胸がいっぱいになった。
あぁ、きっともう大丈夫だ。
不覚にも涙が出そうになった。
でもちょっと待って。
コレットを放ってからここに来るまでが早すぎる。
まだ魔力だって戻りきってないだろうに、転移の魔法を使って……?
「こっちだ!」
閣下は私の腕を強く引いて、部屋を飛び出した。
魔物によく見られる赤い瞳は光に弱い。
未だ目が眩んでいるエメレンス様の横をすり抜け隣の部屋へと逃げ込んだ。
バタン!
扉を締めると視界が一気に遮られる。
勿論明かりもない。
でも少し乱れた息遣いを頭元で感じるということは、閣下はすぐ側にいる。
嬉しい反面、また無茶をしたのではと心配だった。
どうやってここまで来たのか聞こうと顔を上げた時だ。
「無事で良かった……」
そう言って閣下は私を掻き抱いた。
まるで存在を確かめるかのように強く強く。
苦しいけれど心地よくて、すごく幸せで。
同じ気持ちだったんだと、私はまた泣きそうになってしまった。
ほんの僅かな一時でも、心が軽くなった。
「今この屋敷は結界の中にあるからエメレンスが逃げる心配はない。 手短に現状報告を」
腕の力が少し緩んだけど、私の身体はまだ閣下の腕の中だ。
なので私は胸元に顔を埋めたまま、小声で現状報告を始めた。
「い、今のエメレンス様はS級の危険種と同様の力をもっています。 しかも閣下から奪った魔力で体内改造も施した様です」
「あの腕の事だな。 他には?」
「後は……魔力を奪うのに魔晶石を使っているそうです。 ただそれは……人体実験で体内に埋め込まれた魔晶石によってです」
「それは……」
「エメレンス様は身内に強要され、魔力を持つようになった元魔力なしだったんです」
閣下の身体が、一瞬強張った。
魔力なしは底辺階級の人間だ。
だから日々の怒りや不満、快楽の捌け口として扱われるのが日常茶飯事だった。
でも命まで弄ぶ権利は神様にだってない。
徐々に込み上げてくる怒りと理不尽さを堪えながら、私は報告を続ける。
「エメレンス様は報復の為にアンカスター家を襲撃するつもりです。 でも今アンカスター家に行ったら……」
「人型の魔物の存在が知られる……か」
少し淋しげな声にふと顔を上げると、気付いた閣下も私に目線を合わせた。
「アルフレッドから聞いたんだが、エメレンスの魔力を吸収する算段はついているのか?」
「これまでの感触ですと、エメレンス様の手腕に魔晶石があるかと推測されます。 なので剣で腕の動きを封じるつもりです」
「……何だ、セロと分かって情が移ったのか」
「違います。 私は閣下の魔力を復讐に使うのご許せないんです。 ですが、本人に改心する意思があるかどうかは聞いておきたいんです」
「甘いな、ロゼは」
ヒヤリと冷たい声に身体が震えた。
こんな考えじゃ足手まといと言われて離脱させられるかもしれない。
それでもグッと奥歯を噛み締め、私は閣下を見据えた。
「実は私、エメレンス様と賭けをしてる最中なんです」
「賭け?」
「はい。 私が負けたらエメレンス様のものになるんです」
「何だと?!」
「武闘祭で決着をつける予定だったんですが、邪魔が入ったので今ここでつけるつもりです」
「待て! 分が悪すぎるだろう!」
「閣下は私が負けると思っているのですか?」
「……!」
「ここで私が勝てば、魔晶石を使ってまで魔力を持つ必要はないと言い張れます!」
閣下の瞳が一瞬揺らいだ。
エメレンス様を引き合いに出すのはずるいかも知れないだけど、私だって生半可な気持ちで戦いを挑む訳じゃない。
私はジッと閣下の判断を待った。
「……全く、困った部下だな」
すると閣下は何やら唱えながら、私の肩から背中、腕、足へと身体の線をなぞるように手をかざした。
「制服の方に防護力強化の魔法をかけておいた。 それなら身体に影響はない筈だ」
「ありがとうございます!」
「律儀な所は評価するが、それが他の男の為だというのが気に食わないな」
「なんですかそれ」
「俺との約束もあるんだから、必ず無事に戻ってくるんだ」
閣下は私の耳朶に触れる既の所で囁いた。
その破壊力に腰が砕けそうになったけど、服が強化されていたので卒倒せずに済んだ。
「俺も一緒に向かう。 決して無茶はするな」
「はい!」
すると閣下は私の頭を優しく撫でた。
「あれでもエメレンスは大事な部下だな。 よろしく頼む」
「……はい!」
私達は段取りを決め、再びエメレンス様の捜索に向かった。
道を誤っても、閣下にとっては大事な部下の一人。
やっぱり放っておけないんだろう。
後はエメレンス様が私達の話を聞いてくれればいいんだけど。
「エメレンス様!」
厨房付近の廊下でようやく発見したものの、エメレンス様はゼェゼェと呼吸が荒く、かなり息苦しそうだ。
「……キアノス様も来たんですね……」
私達に気付いたエメレンス様の目に光は無かった。
既に左手迄もが鉤爪の様に変異してる。
捕まったら最後、釣り針の様に鋭く湾曲した爪が身体に食い込んで絶対に逃げられない。
エメレンス様は私の隣りにいる閣下に視線をずらし、苦々しく笑った。
「屋敷の結界もキアノス様でしょう。 また魔力切れを起こして倒れますよ」
「それはどうかな。 七年ぶりにまともに休ませてもらったし、甘く見てると痛い目みるぞ」
するとエメレンス様は、私ではなく閣下目掛けて襲い掛かった。
閣下はそれを剣と体術で見事に弾き返す。
激しい打ち合いに入る隙がなく、私はただ立ち尽くすしかなかった。
「ロゼ! 後は頼む!」
「はい!」
エメレンス様から距離をとった閣下の掛け声を合図に、今度は私はエメレンス様との間を一気に詰めた。
「なっ……?!」
私は閣下のすぐ横をすり抜け、地を擦るような低い姿勢のまま剣を振り抜いた。
そしてその反動を利用して剣を振り上げ、エメレンス様を払い除けた。
「いきなり出てきて何考えているんだい?」
「貴方を助ける方法です!」
長剣は幅も重量もあるから、小回りの効く鉤爪相手には不利になる。
でも防御、戦闘力では負けない。
隙を作らないように立ち回ればいいのだ。
「そんなに思ってくれるんなら僕のものになってよ」
「それは無理です。 私が忠誠を誓うのは閣下だけですから」
「ふーん……。 じゃあやっぱりキアノス様を潰せばいいんだな」
「させません!!」
閣下に近づかないよう攻撃でエメレンス様をいなしていく。
その間にもエメレンス様の鉤爪は着実に収縮していた。
「クソ……ッ!!」
鍔迫り合いの末、エメレンス様は殺気を増幅させ、苛烈な一刀を打ち込んできた。
何とか躱すも、鉤爪は床を抉り飛ばす。
これまでとは比べ物にならない程の威力だ。
それでも長剣に触れれば魔力を吸われる。
なのにこれだけの力をぶつけてくるということは、もう力で振り切るつもりなんだ。
「ハァァっ!!」
グググッと長剣を押し上げ鉤爪を薙ぎ払うと、体勢を崩したエメレンス様を押し倒し、馬乗りになった。
「これで終いです!!」
そのままエメレンス様の肩を掠めるようにして床に剣を突き刺した。
「ぐっ……っ」
「動かないで!!」
柄を握る手に力を込めると、エメレンス様の血に濡れた剣が魔力を吸収し始めた。
「肩ならダメージが少なくて済みます。 だからこのまま堪えて下さい!」
するとエメレンス様の瞳が揺らぎ、抵抗していた腕の力が緩んだ。
柄頭についた魔晶石の色は、深く深く、黒く染まっていく。
「まさか、僕の魔力を奪うつもりなのか?」
「元は閣下のものでしょう。 ですが、貴方の命までは奪うつもりはありません」
「何を……」
「更生して、一緒に閣下を守りましょう。 それが貴方の贖罪です」
大きく見開いたエメレンス様の瞳に光が灯り、徐々に優しい青色へと変わってきてる。
嬉しくなってふと笑うと、エメレンス様も口元を緩めた。
「やっぱりロゼには敵わないな」
エメレンス様は小さく呟いて、そのまますうっと眠るように目を閉じた。
その穏やかな表情に、柄をもつ手の力も緩む。
するとパキ、パキと魔晶石にヒビが入る音が聞こえる。
こっちもそろそろ限界みたいだ。
安堵からか、柄を握っていた手の力が抜ける。
「よくやったな。 お疲れ様」
全身の力が抜けきる直前に、閣下が私の身体を後ろから受け止めた。
だけど労いの言葉とは裏腹に、何故か眉間に皺を寄せてる。
「閣下……?」
「済んだならさっさとエメレンスから降りるんだ」
そう言って閣下はエメレンス様から私をズルリと引きずり降ろす。
そうか。
必死だったとは言え、確かに令嬢が男性の上に乗るなんてはしたなかった。
閣下はそのまま私を壁際に座らせると、部屋のカーテンを引きちぎり適当な大きさに割いていく。
そして床に刺さった剣を抜き、エメレンス様に止血処置を施した。
「今はこれで我慢してくれ」
深い眠りについているエメレンス様に告げると、再び私に冷たい目を向け近づいてくる。
何かミスをしたのかと思いきや、閣下は私を抱き上げ、壁を背に座り込んだ。
そして私は、壁ではなく閣下にもたれかかる体勢になる。
そのまま外套で隠すように包まれると、益々互いの身体が密着する。
ようやく自分が抱き込まれてる事に気付き、カァッと顔が熱くなる。
「ちょ、ちょっと何なんですかっ!」
「助けが来るまでここで休んでろ」
「……こんなの恥ずかし過ぎます」
「やましい事はしてないんだから別にいいだろ」
確かにそうですけど!
好きな人にこんな事されたら心臓が止まってしまいそうだ。
多幸感と羞恥心の間で一向に気が休まらない。
すると閣下は私を宥めるように、静かに話しかけてきた。
「そういえば今回の件、陛下も関わってたんだな」
「はい。 陛下のお陰で心強かったです。 そういえばコレットは……」
「ちゃんとアル達と一緒にくるさ」
「良かった……」
「これが爵位を取り戻す功績になると良いな」
閣下の一言にハッと目が覚めた。
閣下を守ることに必死でその事をすっかり忘れてた。
これが功績として認められたら、爵位も戻ってアルバート家を復活させられるかもしれない。
そうしたら独り立ちもできるし、これ以上閣下の所で居候することもない。
閣下にも迷惑をかけないで済む。
喜ばしい事なのに、今胸が痛い。
何でだろう。
夢が叶うかもしれないというのに、こんなにも淋しいと思ってしまうなんて、どうしてしまったんだろう。
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