絶望のその先に
「一体どこをほっつき歩いてた!」
煌々と輝くシャンデリアの下で、バシン!っと乾いた音が響く。
頬を勢いよく叩かれ、私は床に倒れ込んだ。
「お前が仕留めそこねた所為で中止になったんだぞ!!」
事情はもう説明した。
なのにザクセン男爵の怒りはおさまるどころか、更に身体へ蹴りをいれる。
「ちょっと、顔に傷でもできたら売れなくなるわよ!」
「おお、そうだったな。 こいつの顔をみるとどうもアイツの顔がちらついてな」
ザクセン男爵は私の髪を容赦なく掴み、ぐいと持ち上げた。
隣りではザクセン夫人が薄ら笑いを浮かべて傍観していた。
「この赤い髪も、緑の瞳も、ルカスに見えて腹が立つ。 出来るなら切り刻んでやりたいぐらいだ」
憎しみの炎を滾らせ私を睨むその男は、父ルカスの兄、ホルト・ザクセン男爵だ。
騎士団の中でも一軍に入るほどの剣士だった弟ルカス・ザクセンは、子爵令嬢だったカーナの婿としてアルバート家を継いだ。
それが兄のホルト・ザクセンには気に入らなかったらしい。
自分の上をゆく弟への劣等感と逆恨みで膨れ上がった憎しみを、尽く私にぶつけてくる。
戦乱の中で私は母を病で亡くし、戦場に向かっていた父も戦死したと通達を受けた。
するとそれまで疎遠だった伯父が突然訪ねてきて、孤児になった私を引き取ったのだ。
一人にならずに済むと最初は喜んだけど、伯父ははなから家族になるつもりなんかなかった。
そう、父への復讐に充てがうつもりで私を引き取ったのだ。
魔法が使えない私に幾度と暴力を振るい、私が剣を使えると分かると己の領地へ放り込み、魔物の討伐を命じた。
まだ幼かった私は、従うしか他に道がなかった。
「これまで魔法が使えない役立たずのお前を生かしてやったんだ。 有り難く思うんだな」
髪を掴んでいた手を振り下ろし、そのままガン、と床に頭を打ち付けた。
衝撃で目の前がくらくらする。
するとザクセン男爵は腕を組みつつ、顎を撫でながらフン、と鼻を鳴らした。
「もうお前は用済みだ。 明日には娼館に行ってもらう」
「何故ですか?! 刀剣狼は居なくなったと言った筈です!」
「今回は運良くヴランディ公爵様もいらしたのに、お前がヘマをするから早々に帰ってしまわれたんだ。 折角の機会を無駄にしおって……」
だからあの時会えたんだ。
でもそれがこんな事態を招くなんて思いもしなかった。
「でもぉ、本当に娼館に売っても大丈夫なの? そんな事したらこの子がアルバート家の子爵令嬢だってバレるんじゃない?」
「あれから七年も経つんだ。 アルバート家のことなんぞ誰も覚えちゃいない。 裏にいい取引先があるから安心しろ」
「そう、なら大丈夫ね」
ザクセン夫人がダン!と私の手を踏みつけた。
木の靴底だからミシミシと骨が軋む。
頭上から小さな笑い声が聞こえた。
「丁度アルバート家の財産も尽きた所だし、寧ろ好都合だ。 ルカスの娘は死んだと届ければアルバート家の爵位は確実に消失する。 俺の復讐も終いって訳だ!」
二人は高々と笑い、何度も何度も私の体を痛めつけた。
両親が残してくれたものが全て奪われる。
名前も、爵位も、私という存在も。
どんどん目の前が真っ暗に塗り潰されていく。
自分の命は守れるようにと、両親は私に生きていく術を教えてくれた。
なのにそれを活かすことができなかった。
自分の不甲斐なさに涙が出てきた。
「さぁ、地下室にいくぞ。 逃げ出されちゃ困るしな」
「!!」
強力な雷魔法をかけられ肺が痙攣を起こし、一瞬意識がとんだ。
「う……っ」
「まだ意識があるのか。 お前は本当に魔法の効きが悪いな」
ザクセン男爵はブツブツ愚痴を零しながら私を後ろ手に縛り、口に布を噛ませた。
これじゃ命を断つことすらできない。
「今だけはお前がルカスに似ていて良かったよ。 最後にその絶望した顔が見れたしな」
心の支えだった剣の道も絶たれ、生きる希望もなくなった。
もうどうすることもできない。
ううん、もうどうでもいい。
明日からは名を持たない、只のセロとして生きるのだから。
(お父様……、お母様……)
早くそっちに逝きたい。
激痛に耐えきれず、とうとう意識さえも手放した。
◇◇◇◇
「ロゼ! 早く起きなさい!」
バン!!と扉が開いた音で目を覚ました。
ザクセン夫人が何やら慌てた様子で地下室に入ってきた。
もう朝が来たのか。
「ほらほら、お前を買いにお客様がいらしたんだよ! さっさとおし!」
噛まされていた布が外され、ようやくまともに息が出来るようになった。
「ほらほら、そんな青い顔してたら客に引かれるだろう。 しゃんとしな!!」
そんなの私の所為じゃない。
でも抵抗する気すら起きず、引きずられるようにして応接間へと連れて行かれた。
「まさかあの御方がまた訪問してくださるとは思わなかったわ! しっかり奉仕してくるんだよ!」
浮足立つザクセン夫人を見ていると、よほどの上客なのだろう。
応接間の扉を叩く音からもそれが伝わってくる。
「大変お待たせ致しました!」
「おぉ!待っていたぞ!」
両手を広げた伯父の声も大層嬉しそうだ。
「公爵様! こちらの娘でございます!」
伯父は私の頭を掴み、無理矢理顔を上げさせた。
その視線の先にいたのは、思いも寄らない人だった。
「キアノス、公爵様……?」
革張りの椅子に腰掛け、ジッと私を見つめるのはあの紺青の瞳の人だ。
けれどそこに光はなく、視線はまるで刃物のように鋭い。
その隣りでは傷を治してくれたユーリ様も、冷たい眼差しでこっちを見てる。
間違いない、昨日の二人だ。
「お前を是非ともと言っておいで下さったんだよ。 ほら、よく顔を見てもらいなさい」
ザクセン男爵は私を引きずり、公爵様の前で無理やり跪かせた。
民を守る騎士団の団長でもセロを買うんだ。
お礼も言わずに逃げてしまったから、恩知らずな奴だといって奴隷にでもされるんだろう。
失望と絶望とで、心がどんどん黒く塗り潰されていった。