credit 08 冗員学
住宅エリアの捜索に区切りがついた。惟はミシェルと良嘉に声をかけ、未施錠のシャッターから仄暗いホームセンターへ足を踏み入れる。
私物のペンライトを消し、アウトドアショップと同様に展示品の光源を借りた。無人の静寂が、己の罪跡を正しく振り返りなさいと囁いてくる。
「ユイは夜のおもちゃ屋さんに忍び込みたいと思ったことない? ドレスのお店とか」
夢見がちな怠学生に成長してしまったミシェルは、美少女すぎる愛らしさ&侵入妄想が全シティに不適格と判断され、そのうち絵本か映画の世界に飛ばされるかもしれない。
「特にないけど……。夜の暇な時間はバスルームにいるから」
探していた発火装置と軽量ロープを入手し、それらをミリタリーコーナーで見つけたウエストポーチに仕舞った。上着のポケットばかり頼っていると、何らかの理由で脱ぎ捨てる際に不都合が多いので、基本的にアロゥと予備のナイフしか入れていない。
調達が済み、店内でしばらく別行動をしていたふたりと合流した。レジの隙間から不足のない紙幣を挿し込んだ後、再びシャッターを潜って屋外に出る。
「何にしたの?」と生煮えな興味で問いかけた。「わたしは捕縛用のロープと発火装置」
「黒い多目的アイマスクあっただろ。あれはいいのか? 課外の予算で箱買いしろよ」
良嘉は引いたように笑いながら、大きな手の平に載せて品物を披露してきた。折り畳み式の双眼鏡と、暗闇でも方角がわかるコンパス。武器として使うナイフは寮から携帯してきたらしい。側にいても隠し場所を突き止められない濃霧に密かな防壁を感じる。
結束は大切だが、30分以内に独立しなければ、精神的な負荷で免疫が崩れそうだ。
「私はこれ」ミシェルは救急セットと菓子類を、それぞれ顔の横に掲げた。「戎器は哨戒塔で借りるつもり。……ユイと良嘉にもハートのグミあげる。どうぞ」
今の時点ですでに、仲間の死を怖れることに重く疲れ始めていた。解放を求めるばかりのこの胸中が、災いの前触れにも思える。「初恋味のグミ食べたかった。ありがとう」
協議の結果、丘の頂点に聳える白亜の鐘台まで足を運び、窮地の島を観望してみた。
燃え尽きた役所から立ち上る煙が切ない。標は橙色の街灯だけだ。
この島に夜明けは訪れるのだろうか。レザールの空が黎明に見放されていないことを祈るしかない。そして自分たちも、確かな戦果を収めて現状からの脱却を図るべきだ。
「絶対に落第は……」不意にアロゥへ無線が入り、右クリック本人から、最寄りの東シェルターに少女を送り届けたという報せがあった。最も危険視していたメンバーは朗らかで、戦死するかもしれないなどとは微塵も思っていない様子だ。彼には東の区域を任せた。
通信を閉じてふたりに向き直る。「わたしたちも一時解散して哨戒塔に」
不要な戦員になることは単位の喪失を意味する。命懸けで回避しなければ。
担当のエリアを相談している途中、会話から抜けて双眼鏡と戯れていた良嘉が「あれ見ろよ」と遠くを指差す。
その線を辿ってみたところ、汽車のターミナルらしき建造物に灯りがちらついていた。
「動きが怪しいわね」夜風に抗うミシェルの、横髪を耳にかける仕草が可憐だ。「普通こんなときに発車も点検もしないでしょ。アルジラ兵なら始末すべきね」
「同じ意見」考えるだけ無駄なので鵺に問い合わせた。
最速で事情を告げると、彼は少しの空白を挟んでアロゥに復帰した。『島の人間ではありません。鉄道の責任者に確認しましたが、全職員が避難済みです。よからぬ目的で敵の兵士が汽車のターミナルに侵入したものと思われます。充分に警戒してください』
「こちらで制圧を試みますか? 鐘台にいるので、すぐにとは言えないのですが」
『ゆいさん、待ってください。敵は爆発物を積んだ車両を脱線させて、停泊中の船と港を同時に破壊するつもりかもしれません』
悪夢の斜め上をいく展開だ。早めに阻止しなければ取り返しのつかないことになる。
突然、我関せず系の態度を改めた良嘉がアロゥを口元に寄せた。
「俺が行きます。双眼鏡で眺めてましたが、そちらの読み通り弾薬を積んでいるようです。被害が出る前に狙撃して車両ごと吹き飛ばします」
『間に合いそうですか?』
「……全力で走れば、たぶん」
『それではお願いします。線路に近い西塔に補佐をひとり待機させますので、その者を同行させてください』
「了解です。弓と着火剤つきの矢はありますか」
『確か武器庫に。用意しておきます』
無線を切り、良嘉はスニーカーの紐を強く結び直す。器用で慣れた手つきだ。
それより彼が、大人と対等に話をしていたことが衝撃だった。針のような反発心とは別回線で、社会性に複雑な成熟が進んでいるらしい。「本当にいいの? 責任重すぎない?」
「逓信科は俺だけだ。おまえの方が速いなら代わりに行け。カレー吐くなよ」
「所属聞いた記憶ないけど」反論したいが時間がない。「足に自信あるならお願いする」
不機嫌にも見える仕草で頷き、丘を下り始めた良嘉が振り返る。「大丈夫か? ふたりとも暴走するなよ」と余裕の言笑だ。
横でミシェルが手を振った。「良嘉も気をつけて。遊びみたいな殺し方はだめよ」
「あっ。借りた伸縮包帯、次の機会でいい?」憶えていたはずが、うっかりしていた。
「いらねえよ。残りは趣味に使え」若干ハスキィに傾いた声が遠ざかり、マウンテンパーカの赤が夜の色に呑まれていく。首位を競うような鋭い走りだ。彼の度重なる揶揄から禁縛と拷問への好奇心を感じ取ったけれど、きっと思い過ごしだろう。
ふとした閃きに誘われ、仲間の死んだ姿を静かに想像してみた。今のところ胸はさほど痛まないが、いつまでも凪いだ海にはいられないことを理解している。
努力も真面目も報われない。その悲観が間違いだというのなら、厳しさに立ち向かっていた自分があの日、奈落の奥底に横たわっていたのはなぜなのか。過去は変えられず、未来の窓硝子は氷のように冷たい。
巧みに狂い始める夜の狭間で、明日の交流を楽しみに眠れるほど美妙には生きられなかった。扉が酷く捻じれていて、愛情も、やさしさも、綺麗なまま受け取ることができない。
それが、『自分らしさ』に彩りを添える暗闇のすべてだ。
credit 08 end.