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レッド・ポイント  作者: satoh ame
7/33

credit 07 少女学


 右クリックはメンバーと別れ、小さなチアリーダーとともに住宅エリアを進んだ。

 手を繋いだ後、恥ずかしがっているような細い声で、名前はリリアナだと教えられる。

「リリってよばれてます。初等部の4年生です」

「僕のことは右クリックでいいからね。状況に応じて他人のふりしても構わないよ」

「わかりました。……この島の人じゃない、ですよね? よそおいが派手なので」

 返事をしつつ彼女の横顔を見る。きつく纏めた金色の髪が素敵だ。けれどユニフォームの上に着ているカーディガンは、いかにも子ども服という印象で瑞々しい。

 道中、本人から、弟が心配でシェルターを抜け出したと話があった。両親は仕事で島を離れていて、そのようなときは近くに住んでいる叔母が来てくれるらしい。

「ありがとうございました。私のせいで、すみません」

 厳格もしくは問題のある家庭で育ったのか、日頃から自己主張を控えて慎ましく暮らしている様子だ。優等生っぽい知性も感じられ、謙虚な可愛らしさに癒される。

「そんなこと気にしないでよ。女の子とお喋りするの楽しくて大好き」


 敵との遭遇もなく、やがて邸宅の建ち並ぶ区域に辿り着いた。仲間は無事だろうか。

「ホラー映画みたいだね」綺麗な家屋に広い庭。灯りの消えた黒い窓が不気味だ。

「ここです」とリリアナが扉に駆け寄って鍵を開けた。彼女は振り返らず、滑らかな足取りで廊下の奥へ歩いていく。

 物憂い暗闇。誰もいないのではないか。「もしかして僕、殺される?」

 半ばジョークで胸に手を遣っていると、リリアナが不思議な顔を覗かせた。「どうぞ?」

 挨拶の呪文を唱えて侵入した邸内には、これといった異状は見当たらない。

「ソファに座ってください。紅茶のめますか?」

「リリ。弟さんは?」拗れる前に不可解な進行を断ち切らなければ。庭で別れず、自分を家の中へ導いた理由を突き止めるべきだ。「もしかして……」

 雲越しの月明かりしか届いていないキッチンで、薬缶やかんと茶葉を手にしていたリリアナがぎこちなくこちらを向く。悲しみを抑えきれないような、けれど泣きたいとは思っていないような痛ましい表情だった。「2階です。一緒に来てください」

 彼女に続いてリビングを離れ、持っていたペンライトで階段の足元を照らす。

「言いたくないことは黙ってていいよ。僕もそうしてるし。別のシェルターまで送るから」

「大丈夫です」上階の『Lilianaリリアナ』を通り過ぎ、華奢な手が『Corradoコルラード』のプレートがついたドアを押し開けた。

 従って部屋に入る。生活感のない空間に、今は使われていないとわかるメディカルなベッドが置かれていた。その上にひと組のパジャマが眠っているのを見て、悲愴的な事情がうっすらと理解できた。

「これ、弟が最後に着ていたもので、洗ってないんです。ママがこのままにしておきたいって……」リリアナは記憶をひもとくように布地の端に指を触れた。「私がころしたんです。絵本を読んであげてる途中、急に苦しみだして、でも自分の意思で両親をよびに行きませんでした。それをさとったのか、弟が私の手をにぎってうなずいたんです。……少しずつ静かになって目を閉じたので、パパとママに伝えようとしてドアを開けたら、リビングにいたはずのふたりが部屋の前で泣いていました。……私はこのパジャマを取りにもどりたかったんです。家族のアルバムも。もやされたら何ものこらないので」

 ここで待つようにと言われ、ロケット柄のカーテンを弄びながら壁際に座り込む。

 間もなく帰還したリリアナが、抱えてきた写真立てをこちらに差し出した。

「弟と私です」

 煌めく陽射しの下、庭に球根を植えている姉弟の笑顔が四角い枠に閉じ込められていた。パジャマに加え、髪や瞳の色合いが自分と似ていて胸が痛む。

「死ななければ、あなたみたいに大きくなれたかもしれません。私はこれから先、さびしい気持ちと罪のざんげをくり返すことになると思います」

 それは違うと否定したくて、泣いている彼女の肩にそっと手を置いた。

「僕が弟だったら、感謝してリリの幸せを祈り続けるよ。生きることに耐えがたい苦痛が伴うなら解き放つのも愛情だ。見殺しにしたんじゃなくて、見送ったと思えばいい」

 まずは、死なせてくれと頼まれても、命懸けで仲間を繋ぎ止めようとする薄弱気質な自分を省みるべきだけれど。人は愛の裏側に、血を流す覚悟を試されているのかもしれない。

「酷いよね。どんなに辛くても生を手放さない限り、心は肉体の檻から逃れられない」

 リリアナは声を出さず、切ない微笑みを返事に代えた。

 労りを添えて彼女の腕を柔く握る。この期に及んでも、少女からやさしさを与えて貰おうとしている自分の欲望は完全に狂気だ。けれど夜を越す毛布より、一時の温もりと庇護を求めずにはいられなかった。

「ねえ、リリ。いい子にするから僕にも絵本を読んで」


 ふたりでタオルケットに包まり、物語の終わりを見届けた。傷のある鏡に他人の悪夢を映してはいけないと習ったのに、今夜はどうかしている。

「私にできるのは、思い出を忘れないことだけ。何度生まれ直しても会えなくなったのは私のせい。夢をうばったのも私。うらまれてるかもしれない……」

 彼女の瞳から溢れた滴が淡く光り、ユニフォームに覆われた胸を滑り落ちていく。

 道を誤っても変わらず愛してくれそうな姉の存在が羨ましくて、弟には本当に申し訳ないが、死んでくれたことに安堵してしまった。自分にだけ心の拠り所がないのは耐えられない。頭がいかれても決して見捨てず、あたたかく手を握って大切にしてほしい。刹那的でささやかな幸せをキャンディみたいに舐め続ける充塞の毎日。説教、指導は笑納一択。

 不意に未成熟な唇が額に触れる。こちらの身を庇うように腕を回してくる薄い重みを受け止めた。少女以外の何ものでもない美しい輪郭が、嗚咽を堪えて微かに震えている。

「代わりに私が死ねばよかった。……にげて。あなたのこともころしてしまいそう……」

 孤独にふさわしい暗闇だ。見下げた命を捧げるつもりで彼女の感傷を抱き返した。

「……さようなら、コルラード。……もう一度会いたい」

 麻薬を超える魔法の蜜でさえ、悲しみに敗けそうな人々を救えない世界。



                                 credit 07 end.

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