credit 39 離島学
聖堂内で想像していたより外が明るい。すでに朝の配下だ。惟は左手で目陰を作り、アルジラの隊長を追う。温い酸素に混ざる死の匂い。
約15m先を行く女は、流血か痛み、あるいはその両方で走れなくなっている。ふらつきながら断崖へ進んでいるが、肉迫して止めを刺す必要はなさそうだ。もう、アルジラの手下もほとんど残っていないだろう。
女が粗暴な形相で振り返る。「来るな……!」
面倒なので立ち止まった。自分の黒い髪も、敵の傷んだ金髪の束も、透き通った柔い海風に洗われている。情景だけは爽やかで悲しい。失血の隙間に注がれる仄暗い涙液。自分たちは戦地に誘われる定めであり、幸いに抱かれることはない。ならばなぜ生まれてきたのだろう。考えるほどに空しくなる。
水平線を背に、女は諦観した瞳でこちらを強く見つめ、姿勢を正した。
命を終える者への羨望を歪ませて、敵の覚悟を笑いながら蹴り飛ばすような生き方を選ぶとしたら、そのときは自分も崖から身を投げるべきだ。死ねなくても、何度でも。
口調学の退屈な講義を思い出してみる。教本の中の正解に、役立つことなど何もない。
女が少し微笑んだ気がしたけれど、自分は胸に小さな傷を負っていて、すべて青空のせいにしたくなる。
指揮科の優等生には戻れなくてもいい。
「後ろは奈落だ。心して下がりなさい……」
・
ハロルからの応援が引き返すというので、慌しく港に集合し、その船に同乗した。
ホテルに置いてきた各部屋の荷物は、親切な誰かが後日送ってくれるらしい。
「知り合ったレザールの人たちに、お礼もお別れも言えなかったわね」
陽射しにまみれた甲板で、腕に包帯を巻いてくれていたミシェルは残念そうな面持ちだ。彼女は、流れ着いた警邏班のボートに、ヒルデの配偶者が乗っていたか否かを酷く案じていたが、詳報が届く前に出港してしまった。
パジャマにマウンテンパーカを重ねた右クリックが唇の端を曲げる。「さよならは仕方ないよ。……惟、眠いの? 良嘉は寝ちゃってるね」
起きていられなくはないが、座り込んで船の縁に凭れているうちに、波の揺れで往路のあれが甦ってきた。変な鳥&風の音も頭に響く。
「『幻ノ酔ヒ止メ』……」上着のポケットには入っていない。
「だめだよ。薬、飲まないで。魔女の血を疑わない方がいい」と右クリック。
「どういうこと?」
「私たち、自分の意思で身体を治そうとしてはいけないみたい。簡単な手当は大丈夫よ」
他者の慈悲で治療が行われた場合は宥恕されるのだろう。だから医療ステーションでは罰の悪心が起きなかった。奇妙な法則を突き止めたふたりに賛辞を贈りたい。
「教えてくれてありがとう」痛みや苦しみから逃れようとする行動が、魔女の血を軽んじることとイコールではないと思うけれど、諦めて受け容れるべき立場だ。
ふと良嘉が顔を上げた。乗船してすぐに、心を閉ざすように腕を組んで俯いていたが、夢を見ていたかはわからない。「うるせえな……。何かあったのか?」
「乗ったこと後悔してる」船の来往は二度としたくない。旅行も苦手だ。
彼は怪訝に眉を寄せた。「レザールに残りたかったならボートで戻れ」
「そういう意味じゃない」
会話を遮るようにアロゥが振動する。戦地で音を消したままだった。
学長からの着信だ。緊張が逸る指で応答ボタンを押す。「……惟です」
『覇気のない声ですね。他の3人も無事なのですか?』
「はい。表面上、ほぼ無傷で生存しています」
『捕吏の責任者に様子を訊ねましたが、制服を着用していなかったというのは本当? あなたたちを庇うような返答だったので、詳しく聞き出しましたよ』
自分以外のメンバーが寮に制服を置いてきましたとは言えず、口を噤むしかない。
『事実で間違いありませんね。取り組みは意欲的でしたが、単位の認定は保留にします』
「えっ……」気を失うなら今だ。できれば命も葬ってほしい。
『落第とは言っていません。先ほどハロルⅡ区のコンサート会場で、「team転蝶」と「考察特捜部」が乱闘を起こしているとの連絡が入りました。爆発事故の影響で人手が足りていないようです。こちらの港に到着次第、全員で現場へ向かってシティ・ポリスの援護をしなさい。よろしいですか?』
仲間に内容を伝達してみたところ、停電した映画館のようなムードに包まれた。
頑張ろう、と呟いた右クリックの声が波音にかき消される。ミシェルと良嘉も虚ろに頷いた。疲弊した4人の留年候補生が活躍できそうな予感は皆無だ。
「ユイ、ごめんなさい。制服を蔑ろにした私たちのせいだわ」
「ライブ楽しいじゃん。みんなで行ってみようよ」
良嘉は気まずそうだ。右クリックの発言に自省心を刺激されたらしい。おそらく補佐のアイドルを負傷させた件だ。感情を捨てない限り、過ちと後悔からは逃れられない。
この船が港に着く頃には、くだらない争いが収まっていることを願った。
「少し寝てもいい?」悪夢を怖れる余力すら失くした自分が可笑しくなる。
長い夜の攻防と朝の陽気。誇れるほどの戦果は得られなかったが、仲間が生きていてよかった。心からの喜びでありながらも、どうせすぐに無言を求めて、孤独な部屋に癒されたくなるけれど。
爽然とした光で、血の跡が白く霞んでいる。袖口の先に視線を遣ると、まだ人を殺していないような、拙い手をしていた。
中等部の教室を抜け出し、ハロルの街を凱旋している青い自分に、もう一度会いたい。
credit 39 end.
Thanks!
Until next time!




