credit 36 黎明学
惟は後部座席から、深夜を過ぎたレザール島の街並みを眺めていた。目覚めたばかりで気分は乗らないが、中央司令部に加戦しなければ。
今、『D積載の軽トラックに突っ込まれ、哨戒塔が半壊した』と東から無線が入ったばかりだ。マスクを顎に下げた捕吏の男が、運転席で過不及なく応答している。
他の3方角にもダイナマイト車が遊びに来るのだろう。夜が明ける前に決着をつけたいのは、自分たちだけではないらしい。
間を置かず、再び連絡があった。西の拠点へ向かう不審な車両が捕捉されたようだ。
状況は最悪だが、先刻『川の縁に転落した』と悲報を寄せてきた良嘉が、奴らを罠に嵌めると申し出ている。敵の車は彼に任せ、こちらはこのまま司令部へ行くと返事をした。他のメンバーと捕吏たちにも遣り取りが共有されているはずだ。
良嘉から『別の道を通ってくれ』と指示が届き、街沿いの迂回ルートを走行している。
「罠の子、黒い髪の方でしょ? 生意気そうな低い声の……。大丈夫?」彼はルームミラーに視線を移し、女性っぽいヘアクリップで橙色の前髪を留め直した。
「信じていただけませんか。勝算があるから引き受けたのだと思います」
1分も経たないうちに、さほど離れていないエリアで立て続けに二度、強圧の爆発音が炸裂した。樹林の奥から雲と同じ色の煙が上がっている。不謹慎だが絶妙に爽快だ。
直後、『上手くいった』と受信したので、労いの言葉を短く返信した。
通りかかった平原に、縞模様のテントが佇んでいる。サーカスだろうか。
刹那、過る違和感。「すみません。停まっていただけますか」
「いいけど、どうかした?」マスクは余裕ありげにラテのカップを手に取った。
誰もいないはずの空きスペースで、中型バスのようなものが動いている。暗くて判然としないけれど、複数の人影も視野に障った。「たぶん非常事態です」
停車後、彼が差し出してきた双眼鏡で現場を覗いてみる。
「……武装しているのでアルジラ兵でしょうね。島民にも、サーカスに励んでいる人たちにも見えません」臨時の拠点としてテントを乗っ取ったのだろう。「団員が避難済みかを調べた方がいいですよね? 中で人質にされている怖れがあるので」
「ゆいちゃん、神経質の鑑だね。シェルターの担当に訊いてみるから待ってて」
司令部への到着は遅れるが、脅威を見過ごすわけにはいかない。
マスクの通信を傍聴する立場が気まずく感じ、そっとドアを開けて歩道に出た。
冷然とした夜の黙思。島に居すぎたのか、ハロルとは違う酸素の味に馴染んでしまった。
しばらく経った頃、「全員シェルターに避難してるって」と聞かされた。人質が零なら容赦なく攻撃できる。懸命にDを積み込んでいる敵には申し訳ないが、ここで綿毛のように散って貰うしかない。マスクに相談した結果、ライフルの狙撃は彼に頼むことにした。ナイフでは不利な戦況だ。
テントを俯瞰しやすい丘に車を停め、芝生から現場を視察する。
団員が使用していたと思われるバス&トラックが4台ずつ。屋外で活動しているアルジラ兵は、今のところ6体。弾薬を撃っても、テントの奥に潜んでいるかもしれない敵までは処理できない。だが、車両の出発を見送るよりはましだ。東以外の塔を死守しなければ。
「撃つよ。耳塞がないの?」ライフルを取り出し、岩の陰で準備に入ったマスクが、異性慣れした笑みを湛えて反応を窺っている。「最近の学生、服の主張激しいよね」
「今回は特例です」仕方なく手の平を耳元へ持っていくと、立ち上がった彼に遮音用のイヤーマフを着けられた。聞こえていないが、発した声は『譲ってあげようと思って』で間違いないだろう。唇の動きで読めた。こちらは一旦、装着された好意を外す。
「久々の射殺任務だ。失敗して島奪われたら始末書の代筆よろしく」
本人は再び車のトランクを開き、似たものを耳に着けようとしている。
「ふたつあるなら先に言ってください」時間の無駄だ。
彼は片側を浮かせたまま、「そっちが訊きなよ。可愛いね」と笑って持ち場に戻った。
口調も緩く、捕吏の堅い制服を着崩していて意欲不透明な人物だが、最初の発砲で期待を超える爆発が起き、テントの面積が3分の1以下になった。トラックなども魔法のように消滅している。鋭い追撃で2体減ったけれど、やはり殲滅は叶わず、遁走する敵の姿が肉眼で捉えられた。剽悍で鬱陶しい奴らだ。
その中で、遠目にも装備が厚い女の兵士に興味を引かれた。束ねた髪が風に煽られている。アルジラの隊長か、それに近い者だとしたら逃がすわけにはいかない。
「わたしが追います。司令部へ向かってください。ありがとうございました」
引き留められないよう、急いで丘を駆け下りた。空の隅がうっすらと光を帯びている。
敵は断崖の方角へ進路を定めたらしい。
学生の分際でレザール島に加勢した理由は、内面の都合上、『留年を回避するため』にしておきたかった。戦う意志を閉じた途端に感情が墜落することを予知したせいで、体温の移った士官学生の肩書から手を放せない。一秒でも早く異常な自分を横たえて、寮のベッドで長く寝めたらいい。
大切なのは、凱を上げるとか、首席に選ばれるとか、そういう快晴ではないと気づいている。仲間が無事でいてくれたなら、それ以上の喜びはない。
部隊員の墓標に触れた睫毛の先に、断罪の温もりが滲んだ。あのとき誰からも、『惟が生きててよかった』と言われなかったことを幸いに思う。流すわけにはいかない涙が目蓋を塞いで、『殺してください』ではなく『助けて』と口にしてしまいそうだった。愚かな指揮科生は直ちに受刑すべきだ。命の熱さが、心の重みが嫌になる。
なのに、ミシェルが右クリックを抱き寄せているのを見て、本当は少し羨ましかった。不出来な自分も一度くらいは、烟る氷雪の中で遭難者をあたためられたらいいと思う。敵を追走しながら考えることではないけれど。
ハロルの学生に戻り次第、朝起きて支度を済ませ、制服の襟にスカーフを結んで部屋を出なければならない。罪状の代わりに渡される成績表。離被架に似た魔女の血。
雨露の多い世界だ。街壁に書き殴った心火の裏側は今も、眠れない誰かを見守るだけのやさしさを残せているだろうか。
credit 36 end.




