credit 32 迷夢学
惟はミシェルとともに、棟から疾走5分ほどの『Cosme = Escalation!』に辿り着いた。避難勧告を躱し、店内に残存している中等部生の男女を保護しなければならない。
先刻、西の哨戒塔に『不気味な音がする。助けて』と当事者のアロゥから連絡があり、捕吏が人員の配備に頭を悩ませていたので自分たちが名乗り出た。
仲間と不料簡の罪を分け合い、警報を無視してパエリアを囲んだことは秘密だ。疲弊していた良嘉と右クリックは厨房横の長椅子で休ませている。
郊外らしい巨大なコスメショップに近づいてみたが、周りの路面店と同じく消灯済みで、人影などは見当たらない。広々としたメインストリートは往来もなく沈黙している。
侵入の痕跡がないことを確かめ、洋館っぽい店の裏手に回り込む。教えられていた中等部生のアロゥにかけてみると、女の子の弱い声で『はい』と応答があった。
「スタッフ用のドアから出て。西の哨」
「ユイ!」ミシェルが鋭く会話を遮る。「足音が……! 捕吏の靴じゃないわ」
彼女の目を見て頷き、『隠れていて』と訂正のため口を開いた刹那、慎重な解錠音に続いてドアノブが動いた。このまま生身の島民を連れて、路上や草原を進行するのはリスクが高すぎる。敵を殲滅してから救うことも考えたが、自分とミシェルが著しく負傷した場合、中等部生の命が危ない。咄嗟の判断で彼女と建物に入り、素早く施錠した。
段ボール箱が雑多に積まれたスタッフルームで、ふたりの制服がこちらを観察している。夜目が利くまで少し待つと顔が見えた。「わたしは惟。彼女がミシェル。士官学生」
「瑛奈と、つき合ってるリッくんです。中等部の2年です。本当にすみません」
暗がりでもわかるほど華やかなメイクをした、緩い三つ編みの女子&淡い長髪にクマ耳のカチューシャを着けた男子。彼の名前はリッでいいのだろうか。
「謝らないで。流れに抗うのは悪いことじゃないわ」ミシェルはふたりに物音を立てないよう助言し、最上の3階までの順路をフロアマップで確認している。
店内を統率する大人びた香り。お洒落な可愛さは評価できるが、窓が多すぎて無防備な印象の建物だ。不測の事態に備え、ミシェルの同意を得て仲間に協力要請を発信した。
休眠中のエスカレータを上り、奥まったコスメカウンターの裏に身を潜める。非常階段の先は屋上だ。任務に関しては、中等部生の死傷を防ぐことを最優先事項とする。
ふと隣を見ると、瑛奈の様子がおかしい。「どうかした?」
「ネックレス失くしたみたいで……。さっきまであったのに。探してきます!」
走り出した彼女をリッが追いかける。「瑛奈! 待って!」
エスカレータの直前で、彼が瑛奈の腕を捕まえてくれたことに安堵したものの、それを振り払った彼女がよろけ、停止した段差を踏み外して大きな音がした。ブレザーのポケットから零れたコンパクトが、元気に弾みながら2階まで落ちていく。
「エナちゃん、ケガはない?」駆け寄ったミシェルが彼女を助け起こした。
リッも瑛奈に手を差し伸べる。「ごめん……。別れるって言わないで」
吹き抜け部分から、1階を照らす複数の光線を捉えた。敵はおそらく店の外だ。危機の急迫が他の3人にも伝播した。
「見つかったら容赦なく殺される。ネックレスは後で探して。わたしも手伝うから」
「……これ、お詫びに貰ってください」瑛奈が泣きそうな顔で、こちらに2本のリップスティックを渡してきた。「昼にここで買った新品です。あたしより似合うと思います」
立場上断るべきだが、好意の返戻で悲しませたくない。「ありがとう。大切にする」
不穏な中、同様に礼を言って受け取ったミシェルが、「急いでさっきの場所に隠れて。私とユイが死にかけても冷静に」と口早に告げ、不安げなクマ耳に瑛奈を託した。
光の数とイコールであれば、敵は4体。この階に近づけないよう下で始末すべきか。
銃を握ったミシェルの表情が険しい。「非常階段で下りましょう」
「OK」踵を返したタイミングで発砲音が轟き、正面のガラスドアが吹き飛んだ。しかし何秒待っても敵が突入してこない。
缶が転がる軽快なノイズ。脅威の速さで紫色の煙が拡がっていく。確実に窮地だ。
「逃げて! たぶん『HOMICIDE:撃壌』!」
「え?」ミシェルは、ほぼ間違いなく毒殺学の講義に出席していない。「劇場?」
「早く、あのふたりも屋上に! 絶対に吸わないで!」
瑛奈とリッを連れて柵のない屋上へ。とにかく隣の建物の状況を知りたい。先回りされていたらまずいことになる。この場に佇んでいても死ぬけれど。
不意打ちで響く銃声に息を呑んだ。連射の速度で4発。すべて一撃で仕留めたのか。
「右クリックね。あまり食べなかったから心配してたけど、持ち直してよかったわ」ミシェルは今後も仲間として、彼に清潔な愛情を注ぐつもりらしい。
毒が長く残るので下の階には戻れない。設備の凹凸を避け、細い余白で助走をつけて1.5mほど跳躍すれば、カフェの屋上に移ることができる。
「落ちそう」、「嫌です」と中等部生ふたりに拒否されて困っていたところ、赤地に白のペイントが絶望的に派手な、お揃いの『sakebou midnight』たちが対岸に現れた。
「こっちは大丈夫だ! 早くしろ!」良嘉が瑛奈とリッを受け止めてくれるようだ。
右クリックが含みのあるピースで微笑んでいる。「敵の死体は見ない方がいいよ」
扉の隙間から忍び寄る毒霧の鉤爪。「お願い、生き延びてほしいから先に行って」
リッ、瑛奈の順で強引に跳び移らせ、ミシェルを送り出す。煙が靴に触れた直後に熱っぽい眩暈が凍り、鼻と口から伝う血を手の平で抑えきれない。「最悪……」
「何やってんだよ!」
軽く助走をつけてこちらに跳んだ良嘉が、躊躇いなく自分の身体を抱え上げたような気がした。視界が色を失くし、梯子に似た無数の四角で乱れていく。
それでも今、仲間のあたたかい胸か肩に頬を押し当てていることはわかった。
怖くなって良嘉の服を掴んでしまったかもしれないけれど、彼もすぐに忘れるだろう。
「置いて行けばいいのに……」どうせ死なないのだから。
「しっかりしろ。見捨てたりしねえよ」
貰いもののリップカラーが齎す『ときめきの魔法』を意思の力で封じ込めた。
恋も愛も、いつかは滅びゆく支えだ。
credit 32 end.




