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レッド・ポイント  作者: satoh ame
3/33

credit 03 疑念学


 カフェには15分ほどで着いたが、テーブルに案内されるまでの時間が長そうだ。

 ユイは扉近くの壁に凭れ、バッグから小さな画集を取り出した。今はもう、友だちでも幼馴染でもない人物に貰ったもので、草花の絵に古い詩が添えられている。偶然の出会いから少しずつ共通の話題が増え、同じ何かを好きになり、やがてかつての親しさが嘘だったみたいに離れていく。遠い日に、文字を書くと指が疲れるというふざけた理由で代筆を頼まれた手紙。彼女の溌溂とした声で綴られる言葉の中に、弱く寂しげな景色が揺れていたことを思い出す。たとえ相手の生死がわからなくても、あるいは自分だけが忘れられてしまったとしても、幼さの滲む過去の笑顔を灰にしたくなかった。

 連行された窓際の円卓から海が見える。メニューの片隅で存在感を失くしているババロアを救うべきだったが、ミシェルが食べたがっていたあれのバニラを注文してしまった。

 退屈そうに頬杖をついている良嘉ヨシカも、この店で怪しい男の話をするつもりはないようだ。「露骨に警戒しすぎだろ。戦場かよ」

「無防備に生きてたらすぐに狡猾な奴らの標的になる。毎日は戦えない」

 オーダーのときには気に留めなかったが、運ばれてきたグラスを見ると、彼だけがグレープフルーツ果汁だった。素行不良者の枠にも市販薬やカフェインで死線を彷徨う人がいるので、繊細な体質をからかったりせずに思い遣りのある言動を心がけなければ。

 先に飲み始めたメンバーに異変がないことを確認してキャラメルモカに口をつける。こちらが落第しない限り、留年不可避の彼らとはそのうちお別れだ。

 やがて4名分のアイスクレープが到着した。ババロアに自分を投影していたので前向きになれなかったが、綺麗な皿に載っていて意外と美味しそうだ。

「可愛いね! 切るの勿体ないな」

 実際は珍しいデザートより、ミシェルにすべてを委ねていたはずの右クリックが、上流貴族のような優雅さでナイフとフォークを操っていることに衝撃を受けた。淡い微笑みを湛えていて表情にも品がある。第2ボタンを取り去った猥褻パジャマを目撃済みのこちらとしては、公私の巧みな使い分けに戦慄するしかない。

 ミシェルは糖分高めの昼食に満足したらしく、とても機嫌がよかった。周りの他人から鑑賞されていても気づかないふりをしているのだろう。視線の扱いには慣れた感じだ。

 仲間の喜びを優先した良嘉は、アイスが甘すぎると言って半分しか手をつけなかった。寮で調理を担当していた割に、食事には無関心で素っ気ない。

 このまま怠惰な旅行を続けた場合、提出レポートが白紙になる。題材を問わないのなら殺傷沙汰を覚悟して、自分が本当に人間ではなくなったのかを調べたい。すでにまともな命ではないので、片手で掬える程度の交遊力も捨ててしまおうか迷っている。


 カフェの空気を楽しんで店を出ると、先ほどより潮風の圧が強まっていた。空にも翳りが見える。今夜、海辺で花火を打ち上げる些末なイベントがあるらしいが、天候の荒れで中止になるかもしれない。開催の有無はどちらでもいいけれど、現地まで行くと音と歓声がうるさくて疲れるので、ホテルの部屋から色鮮やかな光の粒を眺めるくらいで充分だ。

 いつもの癖で俯いていたせいか、隣を歩いていたミシェルが「寒いの?」と覗き込んできた。彼女は返事を待たずにニットパーカを脱いで差し出してくる。「これ着てみて」

 押し戻すのも心証が悪いと思い、親切を拝受した。「ありがとう。凍死しかけてた」

 観光客向けのショッピングモールを散策している途中、人々の往来に混ざる不自然な軍用ブーツに再び警鐘が鳴った。ホテルですれ違った男の仲間だろうか。ここは部隊を持たない島なので、誤解を防ぐためにも、通常は普通の靴で出歩くはずだ。身なりは自由だけれど、少人数のグループで犯罪を企図しているようにしか捉えられない。

 辺りを厳戒し、植物園前の広場で不審人物について切り出した。良嘉もきっと同様の疑惑を抱いている。

 話を聞き終えたミシェルの反応は想定外のものだった。

「物騒なときに来てしまったわね。遊び尽くす予定だったのに残念」

 彼女は風船に萎まれた子どものように苦笑している。

 右クリックも驚いている様子はなかった。

「ブーツの奴らでしょ? 6人いたと思う。一応憶えたけど自信ないな」

 彼の方がひとり多く見つけていて事故歴のある自尊心を破壊された。

 水平線を観察していたミシェルがこちらに向き直る。夕食の内容を相談するみたいに穏やかな口調だった。

「何かあったらこの島の人たちを助ける? ユイ、あなたが決めて」

 未来を覗いてから慎重に検討したい気分だ。指揮科をエリートだと思っているらしいパラダイス員も、こちらが特別な優等生ではないと知った途端にいかれた罰ゲームから離脱したくなるだろう。また味方を死なせた場合、いろいろな意味で檻行きが確定する。結論としては、自主性を重んじながらも受け身でいるべきだ。

「救援要請があれば加戦する。それでいい?」

 敵はおそらくアルジラ島の人間だ。協力市街から防衛部隊が駆けつけるため惨事には至っていないが、過去にも何度か来寇らいこうされている。アルジラはレザール制圧を諦められずに侵略を繰り返し、レザールはアルジラの兵を見せしめに殺す。

「応援が来るまでのあいだ」と声にした瞬間、勝機が暗転する。一旦海が荒れてしまえば、波が落ち着くまで船の出入港は不可能。しかし、敵の数は多くない。この島にいる捕吏ほりの誅伐班と結束することで非戦闘員の命くらいは守りきれるはずだ。

「制服持ってきてねえよ」良嘉は苛ついた指で襟元を引き伸ばしている。「都合が悪いのか? それなら俺を殺して最初からいなかったことにしろ。早く罪人になれ」

 メンバーの挑発を注意したいが、過ちの血飛沫が口を塞ぐ。

「強敵かもしれないからパジャマに着替えるね! 堅苦しいとやる気出なくて」

 ミシェルが頷いた。「構わないけど必ず島民を助けて。あなたの役目よ」

 清々しいほど協同性が水没しているが、単独行動を許される状況ではない。

「学園にはわたしが連絡する。単位貰えなくてもレザール掩護の意志は伝える」

 どうせ戦場にしか必要とされない士官学生だ。偽善的な行いは嫌いだけれど、できることはしてみてもいいと思う。通りかかった魔女が、瀕死の自分を生かしたのと同じように。



                                 credit 03 end.

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