credit 29 哀切学
ミシェルは負傷した捕吏2名と、同行してきた冷淡な金髪、応援の医療スタッフたちを丁重に見送った。直後、疲弊した地下シェルターの広場に悲鳴が上がる。
半ば無意識に銃を構え、声の方へ顔を向けた。奥の通路から異様な緩慢さで歩いてくる仲間の姿。刹那、彼が右手で引き摺っているものに戦慄する。
慌てて駆け寄ると、仰のいていた男の死体と目が合った。散々殴ってからナイフで始末したのか、学長に知られたら単位が飛散するほど酷い有り様だ。
「良嘉。敵の外見がZ指定な感じだけど……」
「撃たれたからやり返した」彼は廃人っぽく傾きながら鋭利な双眸を彷徨わせている。
死体のフードから手を放し、通路の壁に凭れた仲間の左腕が、肘の上で千切れかけていて叫びそうになった。袖が裂け、抉られた肉と割れた骨の一部が露わになっている。彼の背後に長く蛇行している跡は犯人の血ではないらしい。鮮やかな銃創が惨く、想像してしまった痛みの濃度で、脳内がモノクロの花畑に侵されていく。
「正気保てそう? 泣いても大丈夫よ」死ぬことはないと理解しているけれど、今すぐにあの不機嫌な金髪の医師を呼び戻したかった。島民の怯えきった環視が胸をざわめかせる。
通路の先に『Bedroom-B』のプレートが見えた。「歩ける? 移動しましょう」
頽れるように蹲った仲間を立たせられずに困っていたところ、島の青年らしき3人のジャージが「我々にお任せください!」と協力を申し出てくれた。
「すみません。ベッドのお部屋までお願いできますか?」
逞しい彼らはスポーツのチームメイトなのか、「はい!」、「了解です!」、「痛そうですね!」と呼応し、絶息寸前の良嘉を背負ってコンクリートの通路を歩き始めた。
開かれたベッドルームは、喩えるなら増殖した試着室のようで、廊下の左右が計50部屋ほどに区切られている。銃弾の犠牲になった仲間は『01』に横たえられた。
「本当に助かりました。ありがとうございます」大した活躍ができていない羞恥心で、レザール側からの親切に恐縮してしまう。ハロルへ帰る前にもう一度礼を言わなければ。
求められた握手に応じると、ジャージたちは男の死体に布を被せると告げて現場に戻っていった。頼もしく朗らかな3人も、たぶん永遠に生きることはない。
寝台とチェストだけの空間で良嘉とふたりきりになった。シェルターに集まっていた島の非戦闘員は、警備の都合で別階層の『Bedroom-A』に収められたのだろう。
ふと思い立ち、内側からそっと扉の鍵をかけた。好奇の視線には慣れているけれど、今は強く隔絶されたい気分だ。
お揃いのマウンテンパーカを注意深く脱がせ、傷んだ身体を備品の毛布で覆ってみる。
人が殺し合う隘路で、甘い色のジェリィビーンズを抱え続けるのは難しい。
預かる形になったふたつの銃をチェストに置き、ランプを灯す。「良嘉。まだ話せる?」
彼は虚ろに目を開けて頷いた。肌は白いのに、髪も睫毛も厳かな夜の黒だ。
警戒の仕方が人一倍神経質な仲間が、これほど無残に深手を負っていることが奇妙に感じられた。「わざと撃たれたの?」
「憶えてねえよ……」熔解されるのと変わらない激痛に苛まれているはずだが、心のどこかで安堵している表情だ。「どうせ俺たち落第だろ。死んでも問題ない」
「確かにそうだけど」自分にも彼にも、命はいつか終わるものだという末文の正しさが残っていて、そのことが懐かしく、少し寂しくなる。「みんなでずっと寮にいましょう」
おそらく良嘉は、狂おしい恐慌から逃れる目的で、肉体への強攻撃を受け容れた。不規則に起こす自壊行動の理由は頑なに喋らない。秘密は歪んでいる方が綺麗だけれど、次第に複雑な暗渠を曝け出すのが怖くなる。だから真相を明かすわけにはいかない。
右クリックも良嘉の事情を知らないだろうが、察しのいい惟だけは気づいてしまう予感がした。そしてそれを、彼女は自分の秘密として地下室に閉じ込める。
ベッドのフレームから血が滴っているのを見て、壁に掛かっていたフェイスタオルを怪我の下に敷く努力をした。「私にできること、何かある? 調理とマップ作りの他に」
絆を絡めた大事なユニフォームなので、手が空くのなら被弾したマウンテンパーカの袖を繕いたい。「針と糸探してくるから待ってて」
「は? 俺縫われるのか……?」酸素はあるのに苦しそうだ。「……放っておけよ」
良嘉が意図的に負傷したからといって、身体を大切にしていないことを責めるつもりはない。くだらない嫌がらせをしながら暮らしている者たちを裁ききるまではすべて保留だ。命については本人が考え、孤独なまま連れ添っていけばいい。
「……ミシェル。拷問だろ……。面倒だから殺してくれ。繋ぎ合わせても無駄だ」
反撥する力が尽きたのか、普段より親しみやすい声の良嘉をからかいたくなる。
「裁縫は得意よ。仲間の腕が死んだら悲しいでしょ」
普通に接しているが、男子が自他に向ける破壊的な衝動を未だに解読できていない。
なぜか不意に、彼の左腕がキッチンで料理をしているときの情景が甦る。千切れたとしても、『毒を呷った方がましだ』と叫びたくなるほど容赦のない悪夢と引き換えに再生するだろうが、新しいものが以前と同じに感じられるとは限らない。
「良嘉。子どもみたいに縋ってみて。誰にも言わないから」
「頭の中で楽しめよ……! 迷惑すぎるだろ!」彼は怯えたように唇の端を上げた。
「私、救護科に必要ないのかしら」悪戯で引っ張ったTシャツの襟が汗で湿っていて、肩の継ぎ目が片方だけ破れている。「乱暴に扱ったらだめよ。これも直すから後で脱いで」
受難に打ちのめされている仲間を励ましたいと思い、夜想曲の拍に合わせて彼の胸の辺りを軽く叩いてみた。触るなという視線は寄越してきたが、あまり嫌がっていない。
「やめろ。……幻覚見えそうだ。俺は死ぬ……」
「右クリックに頼めば可愛い棺を用意してくれるわよ」とジョークを返す。
気丈なふりをしているけれど本当は、熱く激しい感情を押し殺している良嘉に泣かれるのが怖かった。メンバーが喜ぶ食事をさりげなく提供してくれるという、彼の寡黙な親愛に応えたくて、まだあたたかいはずの白い指を手の平で包んでみる。
残酷の行方を見守る中で、救ったり、救われたりすることが、これからもあるだろう。
「諦めて眠ったら? 私たちは適度に寄り添って、愚かなまま生きていきましょう」
意味もなくハロルの街並みを思い出してしまった。
学生特有の、風の強い空が眩しくて切ない。
credit 29 end.




