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レッド・ポイント  作者: satoh ame
28/38

credit 28 水浸学


 山頂が遠いようで近い。ユイは、拾った木の実を投げて遊んでいる右クリックとともに峰らしき場所へ辿り着いた。けれど薄甘い夜風に酔い始めていて興味が持てない。

「わたしたち下山していいと思う? 敵もいないみたいだし」

 外疲れをしたので部屋で休みたかった。選べるなら仮眠より42℃のバスタブだ。

 囲いに凭れてアロゥを眺めていた右クリックが顔を上げる。彼はデジタル表示の洒落た腕時計と、人気のラテに似たブラウンの髪を暗闇でそっと光らせていた。奇抜な言動を慎めば、留年確定のパラダイス員とは思えないくらいまともな生命体に見える。外側の様相に反して、驚異的にいかれている内面が魔女の琴線に触れたのだろう。本人がそれを喜んでいるかはわからないけれど。

「ミシェルと良嘉ヨシカ、地下シェルターでやばいことになってるじゃん。僕たちも参加しようよ。まとまってた方が上手くいく気がする」

「麓で事情を話して許可が出たら西の拠点に。……ねえ、あれ見て」

 来たばかりの山道を引き返しかけたとき、突然眩い炎が閃いた。発火は中腹辺りだ。今は倒れたべベール様2台分ほどの大きさだが、森が無彩色になるのはまずい。

「走らないとだめだよね?」ホルスターから銃を抜いた右クリックが唇を尖らせた。

「歩いていくつもりだったの?」と笑ってみる。


 全力疾走で現場に向かう努力はしたが、熱風の圧が強すぎて燃焼地点の調査は難しそうだ。到着時には教室程度の範囲だった炎が更に拡がっている。放火した敵も側にはいないだろう。無駄に動かず麓で指示を待つべきか。急いで決断しなければ。

 戸惑いを愚弄するように、足元で小さな爆発が起きた。震駭が指先に突き抜けていく。

「狙撃されてる! 逃げて!」咄嗟に右クリックを押して草叢くさむらを駆ける。

 視野を掠めた岩石の裏にふたりで身を隠した。敵が僅かに的を外したことから推察すると、おそらく遠距離の高所からライフルで撃ち込んできている。応戦したくてもハンドガン&ナイフでは致命傷を与えられない。圧倒的に不利な状況だ。

「ケガしてない? 危なかったね」彼の緊迫した声に窮地の鼓動が重なる。「方角は南西で、70mくらい先の樹の上にいると思う。長銃と暗視スコープ借りておけばよかった」

 優秀な学生なのに進級できない理由が謎だ。「迂回して下山しましょう」

 道のない暗がりを行く他に選択肢がない。姿を晒せばまた撃たれる。草地は傾斜が不安定だが、遮る樹木があるだけましだ。ここで戦闘不能に陥るわけにはいかない。


 しばらく警戒しながら走っていると、さほど離れていない茂みから発砲音が響いた。

「僕たち追われてるよね?」好戦的な気分が高まってきたのか、右クリックはデスゲームに悪乗りした瞳で背後を振り返っている。「激しめに惨殺してやりたいね!」

 彼の願望は否定しないけれど、アルジラ兵はハンドガンの射程まで近づいてこない。どうにかして追跡を断ち切らなければ劣勢のままだ。一緒に来た捕吏ほりたちも懸命に索敵しているはずだが、簡単には掃討できないだろう。

 進路を読まれないよう気を配り、慌しく足を動かしているうちに急な斜面へ追い詰められていた。崖といっても差し支えない形状で、これに挑むのは自殺行為だ。

 20mほど下に横たわる豊かな水。川に見えるが、幅が広いので湖かもしれない。せせらぎすら聴こえない穏やかさの裏の顔が、底なしっぽく深そうでぞっとする。

「惟、飛び込もう。麓であれ借りて反撃しようよ」

「待って。少し考えたい」安全な方法はないのか。精神が途絶しそうだ。

「泳げないの?」驚いた様子の彼はたぶん、指揮科の学生は多方面に優秀だという誤ったイメージに毒されている。「水が怖いとか? 嫌がらせで沈められたの?」

 不安由来の緊張を、胸から引き剥がして遠くへ投げ捨てたかった。「……気にしないで」

 すぐ横で木肌が爆ぜる。もう後ろには逃げられない。けれど、この場で被弾して単位を散らすのは敗北に等しい。加勢を提案した責任は自分にあり、レザール島に確実な功労を捧げるまでは負傷できない。「左右に分かれて後で合流……」

「無理!」と叫んだ右クリックに腕を掴まれ、気づいたときには宙に放り出されていた。スリルを感じるいとまもなく、鈍い衝撃を伴って水面みなもに墜落する。

 炭酸みたいに弾ける泡の刺激で身体が浮き、沈没だけは免れた。額と首に貼りついた髪を乱暴に払う。「飛び降りるなら先に言って!」

 同じく水浸しになった右クリックが人差し指を口元に当てた。ごく自然な仕草で、濡れた髪をよけるのを手助けしてくれている。「見つかるから大きい声出さないで」

「わかった。でも流されてる。溺れそう」自分たちは川に嫌われている。

「心配しないで。僕泳げるから」水への自信を表したらしい明朗なピースが背景の夜気に溶け込んでいない。「惟ひとりくらい大丈夫だよ。筆記試験は全部赤点だったけどね」

 こちらの背を抱えるようにして、木陰に守られた対岸へ進もうとしている実技系男子にすべてを委ねた。今は平気でも、ぬるさざなみの余韻が冷める頃、自分はきっといろいろなことを後悔する。配られた避難所の地図に救いはない。

 強い手で岸に引き上げられ、ようやく危機から離脱できた。幸い靴も履いている。

「ありがとう」まだ悲しみの欠片さえ予感していないのに、仲間との思い出を増やすのが怖くて視界を覆いたくなる。これから下される試練を誰にも覗かれたくない。

 鮮烈な赤色だった『sakebou midnight』の上着が水気で黒っぽくなっていた。

「こんなに濡れたら燃えなくていいかもね」右クリックが袖口で頬の雫を拭った。

 魔女の血に頼ったせいか、静かに生彩を欠いている彼を、着衣のまま微温浴で長く深くあたためてみたくなる。異性にささやかな愛情が芽生える現象に名前がほしい。

「寒くない? ハンカチ仮死状態だからパジャマ絞るの手伝う」

 今夜も、いつか傷つくために夢を描くという自分への悪戯をやめられそうにない。

「惟、蒼白だったのに意外と元気じゃん。次の長期休暇にみんなでナイトプール行こうよ」

「お願い」明日からは陸だけで生きていくと決めたところだ。「これ以上苦しめないで」

 複雑に澄み渡る葉擦れの輪唱。閉じたはずの胸にふと、映画のエピローグが甦る。

 君が分厚いカーテンで心を塞ぎ、頑なに人を信じないと誓っていても、命ある限り夜明けの扉は開かれていく。『過去をポケットに仕舞う力』をその手に。



                                 credit 28 end.

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