credit 27 追捕学
良嘉は目覚めた部屋の穏やかな灯りで、ここが医療ステーションの一室であることを知った。細い指で前髪を触られていた余韻は気のせいだろうか。
数時間ぶりに再会したミシェルがこちらを覗き込み、からかうような瞳で話しかけてくる。「哨戒塔と四角い棟の中間辺りに倒れてたみたい。肩のところも紫色になってたわよ。……大丈夫。さっき確認したら治ってた」
「勝手に見るな」ぞんざいな言い方をしてしまったが、魘されていた仲間を置き去りにできなかったのだろう。ミシェルは夢の中でどれくらい苦しんだかを訊いてこなかったし、こちらもどことなく沈んでいる彼女に理由を問いかけたりはしない。
「寝てるときは可愛いのにって思いながら眺めてただけよ。4回しか触ってない。だめだった? 金髪の男の人が何度か見に来てくれたからお礼を言った方がいいわ」
それはしたくない、と拒否の台詞を口にしかけた瞬間、唐突に通路が騒がしくなる。不穏な気配に突き動かされ、ベッドから下りてスライドドアの外を窺ってみた。何かあったのは間違いない。薄暗い受付前に険しい面持ちの職員が集合している。
流れてきた情報によると、近くのシェルターで暴動が起き、怪我人が出ているようだ。スクラブ男は現場に向かうらしいが、医師ふたりが両方ここを離れるわけにはいかず、だからといって女性ナースを連れていくのも危険との判断で同行者を決めかねている。
「ねえ、良嘉」とミシェル。言いたいことは察した。
「先に行ってくれ」日頃から観賞の視線に慣れている仲間を送り出す。自分ひとりだったらベッドの中で遣り過ごしていたかもしれない。面倒事は避けるべきだ。
「すみません。会話の内容が聞こえてしまったのですが……」
続いて廊下に出ると案の定、衆目が凶刃化していて逃げたくなる。
「私たちでよければ警護しますよ。少しはお役に立てると思います」
ミシェルは所属が救護科だということを伏せている。活力の多くをパーティとタヌキ袋の製作に費やし、ほぼすべての単位を落としていたので頼られると困るのだろう。
部屋に戻り、ハンガーに掛かっていたマウンテンパーカに袖を通す。戦闘に移行した場合はナイフで切り抜けるしかない。借りた銃は惟に返してしまった。
間もなく班員が、自分たちにスクラブ男を加えた3人に決まった。出発の前にカイラと話をしたかったけれど時間がない。激情に駆られた右クリックが彼の銃創を殴りつけたりしていないことを祈った。
下層に降り、原因不明の乾いた空気の中、複雑な順路で避難用シェルターに到達した。
現場はドーム型に似た広い天井で、灰色のコンクリートに倒れている制服姿の捕吏2名を囲うように群集のミステリーサークルができていた。片方は脇腹から血を流し、隣は俯せたまま動かない。異常性を感じるほど様子がおかしい。
「経緯を簡潔に説明してください」スクラブ男が冷ややかな声で情報収集を始めた。両負傷者のあいだにバッグを開き、慣れた手つきで怪我の具合を調べている。
「申し訳ありません。同僚がピストルを盗られました……」
飲料水の配給の件で乱闘が起き、駆けつけた捕吏を犯人が襲撃。銃を奪ってふたりに発砲し、逃走を図ったようだ。暴力の被害に遭った男性たちは壁際に蹲っている。
「重傷の方を運ぶために医療ステーションから応援を呼びます。無事に済むまでこのエリアの治安を保ってください」伝達された内容とは異なる悲惨さに焦りと苛立ちが抑えられないのか、機嫌の悪いスクラブ男が血溜まりに屈み込んだまま口早に言った。
要請の際の連絡が著しく不十分だったせいだ。こちらはいかれた島民同士が殴り合っているイメージで、打撲や擦り傷程度だろうと軽く捉えていた。
「私たちで追いかけましょう」ミシェルがポケットから登場させたハンドガンの弾を数えている。彼女に戦員としての不満はないが、役割を分担すべきだ。
「俺が行く。おまえは残れ。犯人が戻ってきたら他の島民も殺られる」
ミシェルが凛々しい笑みを浮かべて頷いた。「そうね。ここは任せて」
加害側も傷を負ったのか、よく見ると褪めた灰色の床に小さな血痕が落ちている。しばらくはこれを辿っていけばいい。
「使ってください……」聴取に応じていた方の捕吏が銃を差し出してきた。「あの男、長く島に潜伏していた組織系の前科犯かもしれません。ナイフでは無理です」
確実に仕留めなければ再び危害を加えられる怖れがある。謹んで華奢なリボルバーを受け取った。とにかく武器を奪い返し、1秒でも早く拘束しなければ。
備品の倉庫や調理室、シャワールームなどの扉を視界の端で記憶しながら血痕を追う。それぞれの通路の壁にも『B-2』、『F-5』といったアルファベットと番号がペイントしてあるものの、道順が不規則すぎてそろそろ帰れなくなりそうだ。
追加の医療スタッフは到着したのだろうか。責任を持って戦うべき自分が、待ち伏せされて撃たれるような無能を晒した場合、課外の単位も愚学倶楽部に搬送される確率が高い。
次第に間隔が空き始め、やがて床の血が消えてしまった。予め想定していたのに、意識が揺らぐほどの不安を感じて側の壁に手をついた。通路は真っ直ぐに延びている。このまま走るだけだ。なのに足が拒否している。靴音の残響も死んだ。
首に汗が滲み、先刻の夢が甦る。託された銃を渾身の力で握り直した。
あれは予知夢だったのではないか。自分が殺した男の身体に密閉され、永遠に近い時間、声も出せず、呼吸すらできずに凍てついた土の底へ。
気が狂いそうになり、Tシャツの襟を荒く掴むと悲鳴のような音がした。
もう限界だ。いつも棘立った猜疑心を抱え、血まみれの手で拾い集めた憂いや悪夢に打ちのめされている。だから眠るのが怖くて灯りを消せないとき、仲間が一緒に起きていると言ってくれたら、愛のある戦友を失う予感に怯えて余計に泣きたくなるかもしれない。
銃口で臆病な右の足首を狙う。「撃たれないとわからないのか……?」
向かい風に心を乱されてはいけない。それは理解している。けれど今、焦燥のように、『諦めたら許さない』と叱りながら何度も背中を撫でてほしくて胸が破れそうだ。
落魄れた願いの罰として、断崖で自分を糺され、二度と仲間の笑顔にも触れないほど惨い血の痛みが溢れればいい。
credit 27 end.




