credit 26 自省学
右クリックは物音を立てないようアロゥの画面を確認し、消灯済みの通路に出た。何かを悲しんだまま眠ってしまったミシェルにベッドを譲ったことは正しいと思う。
「東まで戻るの面倒だな」夜を持て余すくらいなら、良嘉と惟の班に加わるべきだ。受付で武器の返却を求めたところ、第一弾として、ペイントが削れた『sakebou』のマウンテンパーカと死んだパジャマを差し出された。
「これと似たやつありませんか? 普通の服は着たくないんです。すみません……」
「探してみるのでお待ちください。仮眠室に備品があるかも」
暇潰しに徘徊していると、白い部屋から現れたナースが目の前の通路を歩き去っていった。その表情にやわらかな慈しみが浮かんでいたせいか、後ろ暗い興味に唆され、窓のないスライドドアをノックもせずに開けた。新種の自傷かもしれない。
ベッドに寝ていた青年と目が合う。銃撃された補佐だとすぐに気づいた。
「入ってもいいですか? 良嘉の仲間です」私情の圧が強すぎて、冷淡な物言いを中和できない。偽りの笑顔を作れたら狡猾狂のポイントが貰えるのに残念だ。
「大丈夫ですよ。どうぞ」と人好きのする返事があった。声は掠れている。
距離を保って対象を観察した結果、青年のビジュアルに使途不明なプロ意識を感じ取って一層心が荒んだ。「ミシェルに会いました?」
「お名前は伺ってませんが、黒い髪の方でしたら……」
彼は戦地で相当なダメージを食らったらしく、会話をするのも辛い様子だけれど、不意に侵入してきた自分と揉めないよう気を配り始めている。その実直さが目障りだ。
「それ惟ですよ。たぶん。先に言っておきますけど、ミシェルに話しかけたり触ったりしないでくださいね。僕が傷ついてメンヘラになったらあなたの責任ですよ」
彼女を独占したがっているように解釈されたかもしれないが、未来永劫誰かと契約の手錠を掛け合うつもりはない。部屋を出た後、不愉快な態度で接したことを反省しなかったわけではないのに、周りの愛情を悉く攫っていきそうな補佐の風貌が脳裏をちらついて叫びたくなる。けれど直ちに、もしくは島を離れる前に自分から謝るべきだ。
「でも殺せばよかった」
受付に戻ると、綺麗に畳まれた淡いグレーのパジャマと銃、東で譲渡されたホルスターなどが並んでいた。疲れているので軽装で行く。レザールに加勢したのだから、鬱屈とした気分は戦場で晴らせばいい。
「パジャマは災害用の配給品なので差し上げますよ。Lですが、サイズ合わなかったら言ってくださいね」と親切な女性が微笑んでいる。とてもやさしそうだ。
「僕のこと嫌いじゃなかったらボタン留めるの手伝ってくれませんか?」
車で巡回に発とうとしていた捕吏を呼び止め、森の麓まで同乗した。
予めアロゥ経由で参戦の意思を伝えておいたので、メンバーも楽しみに待っていてくれるだろう。「僕はもうホテルに帰ってひとりで朝まで寝たいけどね」
通り過ぎた郊外の駐車場で、複数の死体が折り重なっていた光景を思い出す。武装していたのは敵。他はおそらく島民だ。大きな血溜まりの、黒に近い赤が坂の下まで流れていてぞっとした。答え合わせに意味がないのでミシェルには何も訊かない。
煤煙にまみれた登山道を辿って上へ向かう途中、気まぐれに変な木の枝を拾った。あまりナイフを持ち歩かないのはきっと、滅茶苦茶に人を刺すことを怖れているからだ。それが弱点なのか、道徳的な采配なのかは知らないけれど、早めに克服しなければ。
60mほど先のベンチに自分と同じ赤のマウンテンパーカを見つけた。そこからだいぶ手前の茂みにアルジラ兵らしき人物が屈んでいる。標的が2名なので隙を窺っているのだろう。無防備な背中を晒していて、ほぼ間違いなく接近には気づいていない。足音を抑えて距離を詰めた。「あのふたり、交際してると思う?」
粗暴に振り返った兵士がリボルバーの銃口で頭を狙ってきた。「誰だッ!?」
「捕吏じゃないよ。島の人間でもない」発砲を未遂で躱してから武器ごと蹴り飛ばし、直後に靴の裏で上体を押し倒す。仰向けに転んだ敵の胸に枝を捻じ込んだ。「悪趣味だね」
力を入れすぎたのか、串刺しのような形になり、男は生い茂る草に捕らわれて死んだ。
古びたナイフを敵のベルトから抜く。ほんのりと温もりが移っていて可笑しいほど気味が悪い。自分のしてきたことは、いつか必ず大切な明かりを奪っていく。
平常心を装って登山道へ復帰した。仲間は未だベンチから動かず、その奥にべベール様の輝きが見えた。一緒にバイクで撥ね飛ばされた良嘉は治療を拒み、眠らずに医療ステーションを離れたのだろう。座ったまま惟の身体に寄りかかっていて、意識も若干危うい雰囲気だ。悪夢を遠ざけようとしていた怖がりは可愛いけれど。
霧を帯びた草葉の匂いで酸素が薄く感じる。「待たせてごめんね。状況は?」
惟が苦い顔をして首を傾けた。暗い夜空の下で、漆黒の長い髪が艶めいている。「見ての通り。誰か殺したの? 小指の側面に血がついてる」
「アルジラ兵だよ。降伏しなかったから適当に処理した。良嘉寝てる?」頬に触ると案の定、威嚇するように振り払われた。「手の甲まで腫れてるじゃん。耐えられそう?」
気に障ったのか、彼は上着の袖を伸ばして負傷部位を覆い隠した。何を受け容れても、自分たちが悲惨の隷属から逃れられないのはなぜなのか。運命だとしたらあまりに酷い。
「さっき補佐の人に会ったよ。助けなくてよかったのに」
立ち上がった良嘉が襟を掴んできた。「攻撃したのか? いい加減にしろよ」
「ジョークだよ。そんなに痛いの? 普段もう少し我慢強いじゃん」
鬱陶しい人間関係を断ち切る目的で遠くへ引っ越しそうな惟が細く息を吐いた。「ここで揉めるのはやめて。うるさいし迷惑」
「仕方ないな。交代するから治療して貰って眠りなよ。ミシェル起こさないでね」
良嘉は虚ろに頷き、惟に銃を渡しながら「後は頼む」と言って歩き出した。
背景を埋めるボトルグリーンの美しい森。涙腺のない草木が羨ましくなる。
「僕たちって何のために生まれたんだろうね」
愛情も友情も、心を永遠に満たし続けてはくれない。狭くなったり、広くなったりする胸の隙間を塞ぐように邂逅と惜別の讃歌を口ずさんでいる。誰にだって、笑顔で手を振れなくなるくらい傷つくことがあるだろう。泣いていないからわかりにくいだけだ。
credit 26 end.




