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レッド・ポイント  作者: satoh ame
24/38

credit 24 森閑学


 良嘉ヨシカは地上へ戻ることを決め、足元に小さな灯りのついた廊下を歩いていた。スクラブ男との度重なる諍いにもうんざりしている。自分は左手首の罅と擦り傷で済んだが、頭から血を流していた右クリックはしばらく目を覚まさないだろう。

 ふとカイラの容体が気にかかり、彼の部屋を訪ねてみると、なぜかベッド脇の椅子にユイが座っていた。若干白く煤けた『sakebou midnight』のマウンテンパーカを着ているので偽者ではなさそうだ。自分たちの件で呼び出されたのかもしれない。

 彼女は異性の肌質や眉の生え方、唇の凹凸おうとつに研究者並みの興味関心を抱いている様子で、休業したアイドルの顔と腕を中指でそっとなぞっていた。外側の隙のなさは優秀だが、ミシェルより諦めが早く、要求や拒絶の感情表現が大人しい印象だ。

 寝かしつけられたのか、カイラは惟の黒い髪をひと束握ったまま目を閉じていた。

「ケガは?」こちらを一瞥し、彼女はベッドの観察対象へ向き直る。振り返らなかっただけで、きっと初めから知られていた。

「吹っ飛ばされて手首にヒビ入った。治ったから気にするな」

 惟は苦笑した後で、「眠らなかったでしょ? 声の演技ヘタすぎ」と穏やかに告げた。彼女にも探られたくない抽斗があるらしく、内的な隠し事は追求せずに尊重する方針というのが慎密だ。この心情秘匿系は『涙が止まりません委員会』から確実に排斥される。


 棟の外に出てみると、景色は未だ藍色の配下にあり、挑発的な濃霧に包まれていた。

 隣の哨戒塔が騒がしい。車両に乗り込もうとしていた捕吏ほりがこちらに寄り、「森に放火されていると連絡があった。君も来てくれないか」と言った。

 立場上頷くしかない。まったく気は進まないが、任務に集中しているうちに手首の痛みが和らぐことを願った。サプライズで嫌な記憶も甦りそうだ。「行きます」

 捕吏の男は凛々しい口調で、中の人員に余所者の参加を伝えた。

 導かれるままカーキ色の荷台に乗る。「これ、畑に転がってたやつだろ……」

 自分たちを轢いたばかりの凶器が爽然と走り出す。殺伐とした夜だ。

 同乗した捕吏の、異物の挙動を監視する気配に居たたまれない思いをしながら俯いていると、さほど高くもない森の麓に辿り着いた。

 先に駆けつけたらしい放水部隊がざわついている。煙が細々としているので鎮火には成功したようだ。登山の管理小屋と、中腹の休憩所が燃やされたと報告があった。

 数分遅れて別ルートから到着した車両が芝生の端に停まる。降りてきた捕吏に赤の上着が混ざっていた。惟が西の班に協力することになった経緯はわからないが、彼女はこちらに品のある微笑みを残し、毅然とした足取りで森林放火対策チームに加わった。

「学生ふたりには、山頂付近の索敵を任せたい」とリーダーらしき男。

「は?」最悪だ。登山に来たわけではない。

 同じことを思っただろうが、惟は感情を出さずに頷き、「承知しました。ご無事で」と軽く頭を下げて輪を離れた。「良嘉。行きましょう」

 山に入るとすぐに懶惰らんだな大人たちの姿が消失した。

 惟は、申し訳程度に整えられた小道を避けて縁の部分を歩き続けている。不意に足を止めて振り返った。「辛いなら医療ステーションに戻ったら? Tシャツの襟死にかけてる」

「まだ生きてるだろ」無意識に首回りの布を引っ張っていた。袖で覆っているが、罅割れた骨の辺りが篝火の発狂を嘲笑う熱さで腫れている。朦朧として、任務、敵、単位のすべてがどうでもよくなってきた。楽しくも悲しくもない変な気分だ。

 再び山頂を目指し始めた惟が、「休みたくて泣いてるの?」と強攻撃を仕掛けてくる。その割に、抉れた傷口を照らしているような硬い声だった。「汗? 服の中に流れてる」

 答える前に、彼女は道の先にあるべベール様に視線を遣った。遠くの筐体が眩しい。

「何がいい? わたしは緑茶にするけど」

「水……」ポケットに突っ込んでいたカードを惟の華奢な手に握らせた。愛らしい甘さは皆無だが、黒い髪と白い肌、赤い唇が、コビトを弄ぶ童話の女と完全に一致していて可笑しくなる。「これで買え。緑茶は奢る」

 不要品を押しつけられた顔をしつつも、彼女は首の角度で従う意思を表してきた。

 自分とカイラが揉めていたら、あちらの味方をするのだろうと捻くれたくなる。

 駆けていく仲間を見送り、側のベンチに救いを求めた。降参だ。痛みを止める術がない。スクラブ男の嫌味な好意を撥ねつけたりせず、治療を頼んで眠るべきだった。手首の罅くらいなら、回復にさほど時間はかからなかっただろう。

 ボトルを抱えた惟が隣に座り、蓋を外してから水を渡してきた。「自分で飲める?」

 笑っているので、たぶんからかわれているのだろう。水はとても冷えていて氷のようだった。凍えて死んでも構わない。

 惟は「これ、ありがとう」とカードを返却しながら言った。「片手で撃てるでしょ」

 彼女のポケットから登場した銃が生々しく、受け取ると隅々まであたたかかった。

「梨食べない? ナイフ貸してくれたら嬉しい。わたしのやつ悲惨なことになってる」

 果物の皮ならどうにかできそうだ。「俺が剥く」

 夜の森で惟は笑顔になった。無防備すぎて、このままではきっとすぐに攫われる。

「わたしが持って回転させるから、良嘉は刃を固定して。それで上手くいくはず」

 無駄に接近した結果、潤った長い髪が自分の指に重なっていて動きにくい。

 望み通り単位が与えられたら、惟は指揮科のクラスへ帰るのだろうか。代わり映えのしない朝食の後、空室の切なさを感じることなく別れの挨拶が交わされればいい。

「こんなとこ見られたら放学だぜ。大丈夫なのか……?」

 緩く笑った顔が幼気だったので、彼女に子どもの頃の思い出を訊いてみたくなった。

 こちらは、嫌がらせで足を撃たれたときの絶望と、害徒への復讐計画を打ち明けたい衝動で吐きそうだ。爛れた黒い洋燈を肉体の檻に閉じ込めておけない。だからといって痛み由来の幻覚に、怒りの穿刺を委ねてはいけないとわかっているけれど。

 いつの間にか現実が途切れ、聞き覚えのある鬼畜の絶叫が内壁を震わせていた。

 架空の廃墟に佇む惟が、やさしい手で自分を廊下に押し出そうとしている。

 心はどこまでも愚かだ。

『良嘉。拷問は請け負うから耳を塞いで。……お礼にグラタン作ってくれる?』



                                 credit 24 end.

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