credit 21 無灯学
北部の拠点まで戻る気になれず、惟は通りかかったレストランの外側で休憩することを思いついた。中に誰かいたとしても構わない。心労のせいか雑な気分になり、ドアへ続く短い階段に座る。硝子越しの店内にべベール様の姿を見つけたものの、残念ながら扉が施錠されていて、あの飲料を購入することが叶わなかった。
屋上の件の報告を退屈な指で読み返す。怪我をしたミシェル本人が協力不要と主張していたけれど、単独で少年と研修医を南のシェルターへ送り届けるのは負担が大きいように感じた。戦闘モードの右クリックは、良嘉から西の侵攻情報を聞いて加勢を申し出ていたので、すでに狙撃地点から離れているはずだ。
ミシェルに『行くから待ってて』と送信して返事を受け取り、現場のホテルへ急ぐ。
途中、住宅地を巡回していた捕吏に銃を借りた。そのときの対話から、大人は誰も自分たちに期待していないことを察して空しくなる。
キックボードがあれば速いのにと思いながら走っているうちに目的のホテルが見つかった。車道を挟んだ位置に建つメディカルセンター上層の窓が派手に砕けている。
入口が破壊され、廃墟然としたホテルの館内に足を踏み入れた。厳かな壁紙&花より容易く手折れそうな燭台の細緻。価値のない戦いで死なせるには惜しい建物だ。
最後の階のレストランに女の兵士が斃れていた。近づいてみると一撃で仕留めた痕跡があり、ミシェルをどこか頼りない存在として捉えていたことを謝りたくなる。自分たちは所属の科に関わらず、曇天の絵を嵌め込まれた異物として流離う運命だ。
屋上のドアを開ける前から、新人レスQ隊員を連想させる子どもの声が聞こえていたので、おおよその状況は予測できた。
薄らぐ煙の中、人間と銃器の残骸が散けるコンクリートの床に、首のない死体が仰臥している。未だ弱化した炎が燻っていて怪奇映画のような有り様だ。
制服姿の少年が、縁の鉄柵に凭れて蹲るミシェルを励ましていた。彼女は遠目にもわかるほど耳の周辺を負傷している。昼のワンピースも似合っていたけれど、緩いウェーブのポニーテールが妖しく揺れていて、血を流しながら俯いている今の方が綺麗だった。
「立てないくらい酷い状態?」
ふたりが顔を上げてこちらを向いた。4つの注視から逃れたくなる。
ミシェルは苦く微笑み、「地面が傾いてまっすぐ歩けないの。耳の奥が血溜まりになってるのかしら。……ユイ、実在してる? 幻覚みたいで変な感じだわ」と困り果てている。トリップ中の本人はたぶん気づいていないが、頬の長い切り傷も痛ましい。
「助けを呼ぶから動かないで」身丈にさほど差異のない、約1.63mの仲間を運ぶのは無理だ。側に膝を着き、ノアに似た背格好の少年に問いかける。「わたしはシティ・ハロルから来た士官学生の惟。レザールに加戦したの。あなたは?」
「陸です」と彼は言った。
「リク君。保護して貰うから心配しないで。いろいろごめんなさい。ミシェルを見捨てないでいてくれてありがとう」
ポケットからアロゥを掴み出した刹那、不意にドアが軋んだ。反射的に銃口を向ける。
現れたのは武装したアルジラ兵ではなく、白衣を夜風に靡かせたメガネの男だった。彼は屋上の惨劇を眺め、自身を鼓舞するように一度頷いてからこちらに走ってきた。
「ミシェルさん。……発砲音が聴こえた後、突然静かになったので様子を見に来ました」彼は遠慮がちに会釈し、「ボクが隣のメディカルセンターまで運びます。できる限りの処置はしますが、少しでも早く南の棟に移送してください」と緊迫した口調で告げた。
ここは強がらず、白衣の救護精神に諾うべきだ。「わかりました。捕吏に連絡します」
会話は届いていたようで、ミシェルが不安げに眉を下げ、マウンテンパーカの袖を摘んできた。「ユイ、こんなことで煩わせたら学園に通報がいくかもしれないわ。お願い、眠ればいいでしょって言わないで……! 怖くて頭が変になりそう!」
可憐系美少女の割に癖のない声が錯乱しかけていた。きっと、生まれてしまった命のすべてに、適当な数の不都合と苦痛が振り分けられている。だから日頃は明るい彼女が、人前で真情を露わにすることを犯罪のように嫌悪している保安主義者ではなくてよかった。
「わたしがどうにかする。無駄に辛い思いはしない方がいい」
やはり魔女は、片手首に錠の輪を隠した戦員と密約を交わしているらしい。自我の影が黒に近く、内面の不健康に恵まれすぎた孤独な廃材。死の誘惑が響く空洞。
背景を悟ったレザールのふたりが、敢えて口を噤んでくれているとしたら、その控えめなやさしさに感謝したい。人として生きているあいだにしか滲まない気持ちが多くある。
鵺に相談したところ、彼の発案で解決策が見つかった。地上と地下の双方で敵を警戒し、最寄りの出入口を開放してミシェルと島民2名をシェルターに保護してくれるという。迷惑をかけたことで減点されても仕方がない。どこかで挽回しなければ。
優等生ぶった台詞を重ねて通信を終えた。囲まれても、戦えるのは自分ひとりだ。
白衣と少年が話している隙にミシェルが、「進級に差し障りそうなときは寮の仲間と距離を置いて。学長は魔女の血に与した生徒が嫌いなのよ」と呟いた。
間もなく、美術館と思われる建物の裏手で黄緑色の光が瞬く。準備完了の合図だ。
それを伝えると、白衣が丁寧な腕でミシェルを抱え上げた。肘の下に乾きかけた血痕が見えたけれど、自分にはできないことを請け負ってくれた献身的配慮が有り難かった。
少年は大人びた表情を保っていたが、アルジラ兵の頭部が吹き飛ぶレアな社会学習を喜んでいるはずがない。確実にカウンセリング案件だ。
襲撃のリスクを計算し、先導して階下へ向かう。人に触り慣れている医療者も、律儀に育とうとしている子どもも好きではないはずなのに、信頼を寄せてくれた島民に応えたいと思った。朝までに敵を殲滅する。謝礼はそれだけだ。仮初の平和に傘がないことはわかっているけれど。
怯える警笛と死の連鎖。殺しが得意な文字の指弾。醜く笑う他害思想への裁きを、世界が諦めてしまった。命は使い捨ての容器と同じだ。もう二度と、傷つくために目覚めなくていい。
感情が、肉体より早く死んでいく気がして、どの街にも必要とされない青い夢の脆さを、非常口の隅にそっと横たえてみる。
credit 21 end.




