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レッド・ポイント  作者: satoh ame
20/38

credit 20 屋上学


 銃撃が止まった。ようやく柱の裏から動ける。ミシェルは手早く備品を集め、須磨スマを近くの処置室に呼び寄せた。

「腕、大丈夫ですか? 私が庇いきれなかったせいです。『救護基礎A』の単位を落としてしまったので大したことはできませんが……」

 若干引いた様子の研修医が、空気を読んで白衣の袖を捲った。「たぶん軽傷です」

 肘の下から血を吐き出している切創に硝子片が残存していないことを確認し、ガーゼと包帯で保護する。須磨が無事な左の手でそっと導いてくれた。

「私はこれからアルジラ兵と交渉して人質を取り返します。敵が少なくなったのでこの建物に隠れていてください。シェルターまで送ることができなくてすみません」

 彼は袖を戻しながら恐縮するように首を振った。「どうかお気遣いなく。巻き込んだのはボクの方です。単位は諦めてもいいと思いますが、命は大切にしてください」

 銃跡まみれの通路を走り、薄暗い非常階段を駆け下りる。警戒は空振りで敵の姿はない。右クリックが派手に屠り尽くしたので、メディカルセンター内部への侵攻を阻止できたようだ。仲間の援護に感謝しなければ。

 入ったときと同じ医療従事者用の扉から外に出ると、海水の甘みを帯びた潮風が吹き荒んでいて、ハロルの乾いた夜とは別世界みたいだ。

 無人の車道を渡り、雑に割られたホテルの正面ドアを潜って中へ進む。非常灯の慈悲で辛うじて足元が見えた。趣のある古い階段を上がりつつ、須磨に借りたメスを銀の棺から離脱させた。冷たい金属の重みで手の平の戦意が研ぎ澄まされていく。

 左右に延びる廊下の憂鬱。難なく辿り着けるとは思っていなかったけれど、屋上のひとつ前の階で粗暴な女の声を察知してしまった。案内図によれば、このフロアはレストランとカフェのみに宛がわれているようだ。他に潜んでいる敵がいたとしても囲まれるほどの数ではないだろう。

 隠密に距離を縮めてみると、声の主は消灯したレストランのテーブルに座り、端末を口に寄せて「味方? ほぼ全滅! 酷い有り様!」と開き直っている。哀悼も無念も含んでいなくて清々しい報告だ。物体と生命の区別がついていないのかもしれない。

 通信相手に気づかれた場合、人質奪還に支障を来す怖れがあるので、早くしてと焦れながら遣り取りが終わるのを待つ。約1分後、静かになった。

「テーブルに座るのやめたら? 下品よ」

 瞬時に振り返った女がマウンテンパーカの襟元に掴みかかってくる。衣服の防御が及ばなかった鎖骨辺りの肌を爪で抉られた。

「自殺しに来たの? 迂愚なお嬢さん。……取込み中だ! 死ぬなら他に行け!」

「乱暴ね。でも、人は自分を満たしてくれる存在にしかやさしくないって知ってるから。私が士官学生なのは意外だったかしら」

 殴られる寸前に躱して戎衣の胸に刃を突き刺したとき、触れる程度の力で先が深く呑まれていくことに感動した。圧をかけると柄の後部まで肉体に沈み込んだ。

 パーカの紐を握ったまま頽れた女の手を振りほどく。「そのメスあげるわ。急いでるの」


『人質の交換が成功したらすぐに撃って』と発信してから屋上への扉を開ける。無数の銃弾に破壊され、すでに鍵が機能していなかった。

 夜空の下、視界の隅々に広がる死と火薬の余燼よじん。悲惨な光景に多少の衝撃を受けたが、汚い取引を行おうとしている男が自分を捉えたことで意識がクリアになる。

「小娘! ……家出少女か? 止まれ! 逆らうならおまえも殺すぞ! 来るな!」

 どことなく浮浪者然とした、陰険な風貌の兵士だ。文字通り味方が散ったので、生き長らえる手段を模索した結果がこれなのか。島の少年を攫っておいたのも、戦況によっては窮地脱出の駒に使えるという理由だろう。あまりに卑怯で話にならない。

「その子を解放して。私が代わるわ」

 ノアの学友と思われる痩せた初等部生は、ナイフで脅されている状態に疲れたようで無気力に項垂れている。癖のある焦げ茶色の髪に半袖の制服を着ていた。

「だめだ!」と男は叫ぶ。風に乗った残響が市街の闇に霧散する。

「なぜ?」カジュアルな歩調で近づいていくと刃先の的がこちらに移った。

捕吏ほりはどうした!」男が訝しげに沈黙する。「女、本当に人間なのか……?」

 訊かれていることの意味はわかった。

「そうよ。私にも好きな名前とか嫌いな果物がある。人間らしくて不気味でしょ?」後天的な魔女との混血で外見が変わることはないのだから、説明するだけ無駄だ。事情も経緯も明かす必要はない。「交代に応じて」

 2歩の距離まで接近した途端、男がこちらの頬にナイフの側面を叩きつけ、追い払うように少年の肩を押した。「随分と小賢しい態度だな。顔を切り刻まれたいのか?」

「お望みならどうぞ。ドールハウスで暮らしてるわけじゃないから覚悟はできてるわよ」

 さりげなく目線を外し、初等部生が屋上の端まで逃げたことを確かめた。

 右クリックが照準を合わせてくれていると信じて睫毛を伏せる。

 刹那、横髪を揺らす風圧と発砲音。予想通りのタイミングに思わず笑ってしまう。

 目を開けると、アルジラ兵の頭部が魔法みたいに弾け飛んでいた。首から胸元にかけて夥しい人血が連なり、湧き出すチョコレートフォンデュさながらに肌の色を侵食していく。

 男はゆっくりと後ろに倒れた。頬に貼りついていたナイフも死んだ。

 ノアの友だちらしき少年は、転落防止の錆びた鉄柵に指を絡めて蹲っている。子どもに見せるべきではなかったが、この流れが最良だったはずだ。決して悪い状況ではない。

 熱っぽい耳の辺りに手を触れてみると、覚えのある生々しい滑りで負傷を察した。

『ミシェルごめん 男の子無事でよかったね 大丈夫?』

『ケガは平気』銃の調達ミスで危うくユイの単位が灰になるところだった。

 これから先も、安全を約束された世界で、水飴のような毎日を送る予定はない。自分の枷と苦闘し続けた者にしか与えられないアルメリアのリボンを涸らしたくなかった。

 複雑に睦み合う懊悩と挺身。談話室の可愛い賑わいも、戦場の烈しさも美しい。

 けれど今は死の匂いに喉を塞がれ、苺水の冷えた後味を唇の裏に探している。

『気が向いたら私を叱って いつもより長く抱き締めてあげる 協力ありがとう』



                                 credit 20 end.

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