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レッド・ポイント  作者: satoh ame
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credit 02 旅行学


 すべてを託した『幻ノ酔ヒ止メ』に裏切られ、ユイは船の甲板に座り込んだ。

「大丈夫? もうすぐ着くから頑張って。お茶、これで合ってる?」

「ありがとう……」ボトルを差し出してきたミシェルに硬貨を渡したが、受け取りを断られた。縋るような気持ちで冷えた緑茶を額に押し当てる。「死にそう……。眩しい……」

 陽射しというか紫外線が降り注ぎ、彼女の涼しげなオレンジチェックのワンピースから、中に重ねたスリップの色が淡く透けている。朝、ボストンバッグを連れて制服で談話室を訪ねたところ、衣裳部屋に誘い込まれて同じデザインのブルーを貸し出された。自分に似合っていないことを差し引いても、配色が綺麗で素敵な服だと思う。

 シティ・ハロルを出港後、延々と不規則に揺れていた船がレザール島の入り江に吸い寄せられ、悪夢の航路から解放された。帰りの苦役は考えない方がよさそうだ。

 島の濃厚な海風に励まされながら、レトロな列車でホテルに向かう。こちらは『ドサッ』へのカウントダウンが始まっている状態だが、他の3名は爽やかで元気だ。素朴なTシャツ姿で男子の見分けがつきにくいけれど、無地のパジャマで出発するつもりでいた右クリックが、自分と同じ流れで着替えさせられていたことを車両内での暴露で知った。

 降りた駅からほとんど歩かずに到着したホテルは横に広い要塞風の建物で、最上の5Fに部屋が4つ、通路を挟んで向かい合うように割り当てられている。

「お昼は海岸沿いのカフェに行くから1時間後にロビーに集合して」

 ファンシーな手帳を眺めつつ、ミシェルが決定事項を告知する。昼食としてはどうかと思うが、列車で話していたアイスクレープを楽しみにしている様子だ。

「疲れたから僕だけルームサービス頼んでいい?」

「だめよ」

「その店遠いのか?」

 ミシェルが首を傾げた。「私の見立てでは3分くらいだと思う」

「15分以上かかるな」

「でも行くでしょ?」

 良嘉ヨシカは抵抗を諦めたようで、雑な返事をして部屋に入った。

 彼女はこちらに照準を合わせ、参加の可否を目で問いかけてくる。制服のときは下ろしていた緩く波打つ髪をポニーテールにしていて、童話界の子女に求められている系統の甘い愛らしさに包まれていた。なぜ救護科を志願したのかは聞いていないけれど、死にかけの傷病者も天使の幻影を見ているような気分になれて幸せだろう。

「本当は氷とシロップのやつ食べたいけど行く。少し休んだら治りそう……」

 存在を忘れていた荷物は右クリックか良嘉がここまで運んできてくれたらしい。意外と親切で心理的な分別に困る。交流を抑えて好意の返報性を遮断しなければ。

 足元に置かれていたボストンバッグに手を伸ばしたが、それに気づいた右クリックが代わりに持ち上げた。自分には効かないけれど、異性を射貫く技を修得しすぎだ。

 彼はドアの前で「惟、薬はもうやめた方がいいよ。次は死んじゃうかも」と悲壮感を添えて諭してきた。余裕溢れる態度とは裏腹に、ファストフード店で貰える恐竜の玩具を喜んで持ち帰りそうな幼さを残していて可笑しくなる。「船が無理なら、生きたまま棺に入れて空輸するしかないね! 貨物扱いになるはず」

「音うるさそうだけど船よりはましかも。別に死んでもいい。荷物ありがとう」


 心の静寂を探究しているうちに無湯のバスタブで眠ってしまったらしく、若干苛ついた感じのノックで目を覚ました。仕方がないので軋む身体を再起動させる。カーテンの隙間から洩れている眩しさが正しければ、まだあまり時間は経っていない。

 ドアを開けると迷惑そうな面持ちの良嘉が直立していた。「……何? 意識失ってた」

「呼んで来いって言われただけだ。早くしろ」

 反故にするつもりはなかったが、カフェの約束がリストから抜け落ちていた。室内に引き返し、小さなショルダーバッグを肩にかけて部屋を出ると、非行予備軍が通路の壁に凭れた姿勢で服の首元を弄んでいて、つい余計なことを口にしてしまう。

「待ってなくてよかったのに」

「ミシェルがうるせえんだよ。遅刻するな」

 一度うっかり寝過ごしただけで酷い仕打ちだ。

 昨日知り合ったばかりの悪態系メンバーと会話が弾むわけもなく、ふたりきりで乗ったエレベータの沈黙が気まずい。観察してみると彼は本日、廃墟のモノクロ写真が印刷されたTシャツをお召しだ。背中が平たくて大きいので、作るたびにたくさんの布が犠牲になっているのだろう。家族と喧嘩をした腹いせに街灯を激しく攻撃した後、深夜の遊園地に火炎瓶を投げ込みそうな不良濃度に閉口する。この先、やさぐれていたパラダイス員が仲間のために死んだりしたら相当な衝撃だ。どの科に所属しているのかを訊き出そうか迷ったが、親しくなりたくて質問しているような捉え方をされると心外なので黙っていた。

 基内の鏡を見て、食事をするのなら部屋で髪を束ねてくるべきだったと後悔する。

「ねえ、ゴム持ってない?」

「……伸縮包帯ならある」

「それでいい。貸して。新しいやつ返すから」

 無造作に渡された医療物資は使用頻度が低いのか、古びて衰弱している。ポーチに潜めていたハサミで適当に切って髪を結び終えたとき、ようやくエレベータの扉が開いた。

「わたしのこと留年候補だと思ってるでしょ」

「よく気づいたな。単位やるよ」

 乗り込もうとしていたスーツ姿の男性と接触しそうになった瞬間、ちらりと覗いた足元が軍用の革靴であることに違和感を覚える。幼い頃からもっと人を信じなさいとただされてきたけれど、フレンドリーな犯罪者に遺棄されたくないのなら、あたたかい島の視覚的な平和と安全性を結びつけてはいけない。

 良嘉も同じ疑念を抱いたらしく、Tシャツの襟を指で伸ばしながら怪訝な顔をしている。

 たとえ課外学習の最中であっても、交戦後の敗北は許されない。指揮の失錯で味方を死なせるのは潰走以上の罪であり、勝利は唯一の防御だ。出撃。鏖殺おうさつ。掃討。

 痛みと引き換えなければ届かない空域があることは、理解しているつもりだけれど。



                                 credit 02 end.

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