credit 18 保護学
人類が消失した雰囲気に浸れる郊外の広場で、紫色のべベール様を見つけた。惟は、硬貨と引き換えた緑茶を首に押し当てる。この朝靄に似た心労の製造元を知りたい。
冷えた中身を流し込みながら、筐体に寄りかかってアロゥを確認した。音で受信できなかったモールスは液晶画面に記号が残る。だから、以前使っていた端末は土に埋めた。
二度と会えない部隊員たちとの最後の遣り取り。信頼を向けてくれた彼らへの返礼品が非業の死だ。ときおり、戯れに手を差し伸べてきた魔女の気まぐれを恨みたくなる。
北部も不穏な状況であることを警戒し、申し出のあった右クリックに一任してしまったけれど、緊急の場合は担当区域に別れを告げてメディカルセンターに参戦すればいい。
先刻、初めて訪れた哨戒塔で捕吏に挨拶を済ませ、巡回を口実に屋外へ逃げた。誰とも話したくない気分だったことを悟られていないか不安だったが、無駄にまともな人間を装うのはよくない。どうせ隅々まで陰性だ。
芝生の広場は艶やかなほど暗く、音のない草の囁きが美しい。命の駆け引きを悲しくて痛いと感じたいのに、血腥い報復を諦めないのは矛盾している。
行き先も決めずに孤独な警備活動を懐かしんでいる途中、パン工場前のバス停に、はためく布のようなものを捉えて眉を寄せた。間もなくそれが人の服だとわかる。裾から覗くギプス包帯と、木製の杖がふたつ。ベンチに座る初等部3年生くらいの男の子。
近づいてみたところ、恐竜の絵を散りばめた薄い青の病衣を着ていた。予感ではなく確信だが、ミシェルと同行者が捜していた人物に違いない。南から歩いて来たのだろうか。
子どもは泣いているらしく、袖で目元を覆っていて声をかけにくい。しかし仲間には少しでも早く、不可解な場所で対象を保護したと伝えなければ。
「ええと……、突然ごめんなさい。ひとりでメディカルセンターにいた男の子?」
少年は怯えたように顔を上げ、こちらを遠慮がちに観察した後、顎の涙を拭いながら「……はい」と頼りなく応じた。長距離移動のせいで酷く疲弊している様子だ。
「わたしはシティ・ハロルの惟。レザールに加戦したの。あなたは?」
「島民のノアです」
妙に慎ましい子どもの態度から、他人とはあまり打ち解けたくない体質だと察する。
ミシェルに報告した結果、彼が行方不明の入院患者であることが確定した。こちらは初対面の無垢な生命体に恐怖しているけれど、少年が見つかり、彼女はとても嬉しそうだ。
アロゥを仕舞いつつ、ノア本人に事情を訊ねてみる。「どうしてここに?」
「おみまいに行くってやくそくしてた友だちが来なくて……。この地区の広場でよくあそんでたから、そこにいるかなと思って……」語尾が潤み、彼はまた俯いてしまった。無人のメディカルセンターに取り残され、心細さに耐えられなかったのかもしれない。辿り着く前に夜を迎えたのは気の毒だ。
「了解。わたしか捕吏が、友だちのいるシェルターまで送る。だから泣かないで」
自分が同じ境遇だったとしたら、相手を信じるのではなく、見捨てるつもりで置いて行ったのだろうと塞いでしまう。人との関係が深まらない因子は、おそらくその辺りにある。
侵略者たちが未出荷のパンを狙っているのか、背後の工場で粗暴な破壊音が炸裂していて、下手に姿を晒すと厄介だ。食料が奴らを引きつけているうちに身を隠すべきと判断した。救えたはずの島民を死なせた場合、除籍&退学では済まない。
安易に助けを求めるのはポリシーに反するが、哨戒塔で暗記しておいた連絡先を呼び起こし、北部の担当者に窮状を報せた。すぐに強化車両を手配してくれるらしい。
「一緒に来て。歩ける?」頷いたノアを支えて立たせ、2本の杖を渡した。近くに駅や図書館などはなく、徒歩圏内にある羊小屋の裏に避難するしかない。
幸い、アルジラ兵に捕捉されることなく目的地まで移動できた。バス停の風除けのお陰でパン工場からは死角になっている。無関心なふりをしてくれた羊の沈黙も有り難い。
『そっち大丈夫か?』と不意に良嘉から文字が届く。パラダイス員にしてはモールスの遣り取りが流暢だったが、彼の所属が逓信科であることを思い出して腑に落ちた。『敵に見つかったらゲームオーバー』とふざけたジョークで応答する。本当は単位の呪縛から解き放たれて、自由度の高い戦略を抱懐したい。
やがて無灯で走行してきたトラック型の車両が、最短距離の歩道に停まる。しかし次の瞬間、アスファルトを弾む軽快な金属音が響き、閃光とともに爆発した。
現場から10mは離れているはずなのに、空気の圧で髪が強く舞い上がる。一拍遅れて草の残骸が降り注いだ。幼い身体を咄嗟に庇ったが、傍らで耳を塞いでいるノアは無事だ。羊たちも負傷していない。投擲物は威嚇用の粗製手榴弾だろう。交戦の合図は歓迎する。
車体前方のドアが開き、捕吏の男が駆け寄ってきた。「怪我はありませんかっ?」
「こちらは問題ないです」煙越しに浮かぶカーキ色の車両は損壊を免れたようだ。「この子を乗せて直ちに避難してください。わたしは残ります」
「勝てますか?」男は逞しくノアと杖を抱え、荷台の仲間に引き渡した。「敵は複数です。ひとりで戦うのは無謀すぎますよ」
返事を求めて振り向いた彼に、「下等兵に敗けるほどの不才に見えますか?」と苦笑してナイフを握った。「来てくださってありがとうございます。早く行って」
発進した車体を追いかけ、パン工場から走り出してきた兵士が銃撃を試みている。武装した3名のマシンガン。火花は綺麗だが生かしておく理由はない。
とにかく弾を躱せる角度から攻めるべきだ。あまり考え込まずに集中へ針を傾ける。
靴音を抑えて接近し、修得した戦技を絡めて最寄りの男を貫いた。異変に気づいた残兵の蟀谷を狙って一撃で仕留め、ラストは切り落とすつもりで首に刃先を叩き込む。弱く脆い生の断絶。もう、言い訳できないくらい遂行している。
数秒の作業の後に訪れた静寂。
殺戮の果てに得る喜びなどひとつもない。
触りたかった羊の存在も忘れて来た道を引き返しながら、血糊で汚れたナイフに映る月明かりをぼんやりと眺めていた。手に馴染んだ武器には自分のことを知られすぎているので、いつか葬らなければと思ってはいるけれど。
苦楽を分かち合うのなら、罪科に狂れる胸の戦域まで。
credit 18 end.




