credit 17 余白学
東の哨戒塔では誰も相手をしてくれなかったので、右クリックは同じ敷地内の施設に移動してみた。呼び名が『塔』と『棟』で紛らわしいが、レザールの人々は、『とう』、『とお』と微細な変化をつけて区別していることにノーヒントで気づいた。
今、仕事着はネクタイなのにフェミニンな髪型の女性に可愛がられたい願望を持て余し、空洞を抱えて窓のない通路を徘徊している。ジョークを許さない静けさだ。
絶妙なタイミングで曲がり角の奥からパンプスの美音が響き、厳然とした出で立ちの人物が現れた。無地のタイトスカート。上は堅苦しい捕吏のジャケットを着ていて、乱れのない纏め髪と華奢なメガネが指導教官っぽい。その佇まいに興味をそそられた。
自然に近づき、「すみません。ケガしちゃったんですけど」と耳の下の切り傷を示す。木立を疾走した際、尖った葉に掠ったらしい。鏡が教えてくれるまで痛みを感じなかった。
女性は怪訝な目でこちらを見ている。とても迷惑そうだ。おそらく、身丈のせいで子ウサギのような印象を与えられなかったことが敗因だろう。
「軽傷のときは塔の医務室に行って。大したことないなら我慢しなさい。何なの、そのパジャマは……」あり得ない、冗談でしょう、と彼女は露骨に眉を顰める寸前だ。「まさかとは思うけど、デルニエ士官傭兵学園の?」
「はい。異常を確信する前に僕のこと返品したいって思ってますか?」加害の意図はないと知ってほしくて両手でやんわりとピースをしてみた。「筆記試験の成績はあれですが、軍器の扱いは得意です。抵抗がなければ右クリックって呼んでください」
女性は眩暈を抑えるように軽く俯いた。「ごめんなさい。返送先のセンターもわからないし、不気味な呼称の人とは関わりたくないわ。……学生の分際で名前を剥奪されたの? 外側は病弱貴族みたいで大人しそうなのに」
呆れながら拒絶されているのは問題ないけれど、この成り行きでは心を満たせない。
「いろいろあって留年確定です。それより、『聖愛と情操』の新刊読みました?」
「鬱陶しいわね。お喋りしたいなら街で女の子にでも声をかけて。忙しいの」去り際に彼女は制服のポケットから薄いビニルケースを取り出し、絆創膏を1枚渡してきた。「これあげるわ。だからもう話しかけないで」
男子がうっすらと嫌いな体質なのかもしれないが、好機を逃してはいけないと思い、首を傾けて傷口を晒した。「上手にできないので貼ってほしいです。だめですか?」
さりげなく彼女の真面目な袖口を摘んだ。振り払われなければ高確率で応えてくれる。
諦めたように嘆息しながら導いてきた捕吏の女性と並び、通路脇の長椅子に座った。
意味深な緊張に抑制されて呼吸をやめたくなる。自分から求めたのに、知らない人に触られるのが怖くなって睫毛を伏せた。耳のすぐ近くで左右の剥離紙を捲る音がする。
数秒後、静かになったので目を開けると、作業を終えた女性がゴミ箱に絆創膏の抜け殻を捨てていた。腕章に『掖』と書かれている。鵺の恋人だろうか。
「慣れてるようだけど、熱意のある戦員には見えないわね」彼女はこちらに視線を遣らず、自身の手元を眺めている。「漫画好きのパジャマManが、どうして士官学生に?」
「ただ何となく。殺戮は魔法なのかなって……」長椅子から立ち上がり、一歩離れて帰路に足を向けた。「暇なのでワイヤ爆弾探してきます。ありがとうございました。掖さん」
悪くはなかったが、温もりが若干期待値に届かず、ミシェルへの連絡を迷っていたところで彼女本人から救援要請が入った。「珍しく窮地みたいだね。戦ったら強いのに」
意外と几帳面な点と線の音を解読した結果、ミシェルと同行者の男は現在もメディカルセンター内に留まっていて、ホテルの屋上から複数のアルジラ兵に狙撃されているらしい。迷子の少年もまだ見つかっていないのだろう。
「あっ、充電……」既にアロゥのバッテリー残量が心許ない。焦りを帯びた指で『了解!』と送り返した。無線を共有している良嘉と惟も加勢を申し出ていたが、それぞれの持ち場が手薄になるとまずいので自分が参戦すると伝えた。東の捕吏に疎まれたとしても、早急にミシェルたちを助けて戻れば単位に影響はないと信じたい。
哨戒塔の下層に行き、武器庫の管理人に事情を話して学生証を見せる。
酷く怪しまれ、コンピュータで何かを照合されたものの、貸出拒否は免れたようだ。
「好きなの持ってきな。ペラいパジャマ着てるけど、防弾ベストはいいのかい?」
「僕は命を大切にしていません。死は、憧れと悲しみを入り交ぜた薬箱ですね」
厳めしい保管室の中央で、展示物のように輝く最新式の軽量擲弾発射器と巡り合った。
予想を上回る品揃えだ。脈打つ湮滅欲を宥めて装填用の強化カプセルを選び、許可を取ってマウンテンパーカのポケットに突っ込む。スモーク、ファイア、ニードルが3つずつで充分だ。予備としてハンドガンをひとつ加えた。
射程範囲内に、ホテルの屋上より高い建物があれば短時間で片づけられる。
敵の正確な数が把握できていないことを鑑みると突入が最良か。迅速に決断すべきだ。
「これ使いな。同僚の形見だ。髪の色が似てるからあんたにやるよ」
用紙にサインをしていると、管理人の捕吏が銃のホルスターを差し出してきた。
革が渋く傷んでいる。礼を言って受け取り、ウエストにつけてハンドガンを仕舞った。
「戦闘に巻き込まれると到着が遅くなるので、地下経由で南にあるホテルの側まで行きたいんですが……」
軽快に頷いた彼はデスクの上に地図を開き、適当なメモに番号を書き始めた。
「これを順に辿っていけ。最後のドアは中からしか開けられない。敵に気をつけろ」
小さな紙を笑顔で渡された。帰りは地上を走ることになりそうだ。
「親切にしていただいてすみません。行ってきます!」
武器庫の捕吏は女性ではなかったが、彼の親しみ深い人柄に自然と励まされていた。アルジラ兵を殲滅すれば、ミシェルもやさしく抱き締めてくれるだろう。けれど幸せはすぐに涸れ果ててしまう。永遠に満たされない心なら、望んでいた愛情だけでなく、物語も音楽も注ぎ込んで不安定な水位を楽しみたい。
ふと、保健室で読み耽っていた漫画の断編を思い出した。
胸の隠し部屋は不可侵のサンルーム。
鏡に映る孤独は、自分らしさの楔。
手首の血を舐めながら、陥穽まみれの憫笑街を遊び尽くせ。
credit 17 end.




