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レッド・ポイント  作者: satoh ame
16/38

credit 16 暴戻学

 独特の異質な気配があって、ここが夢の中だとすぐにわかった。耐え忍ぶことが制裁なら、心を切り裂いてでも受け容れなければならない。

 良嘉ヨシカは利き始めた夜目で辺りを窺った。なぜか既視感のある草叢くさむらに俯せていて、左隣には見憶えのある青年が同じ姿勢で横たわっている。真新しい衛生班のジャケット。赤茶っぽく艶めいた髪を暗い微風そよかぜが撫でていく。

「カイラ……!」揺すって起こそうと腕を上げたとき、自分と彼の片手首が紐で結ばれていることに気がついた。ナイフはすでに抜き去られている。

 何の前触れもなく、頭の内側から響いてくる足音に息を止めた。薬を盛られた設定なのか、身体が重くて立ち上がれない。

 懸命に呼びかけたものの、カイラは微動だにせず、所属の入った抹茶色の上着も静止画みたいに固まっている。夜霧に湿った土や草の、噎せ返るほど深刻な匂いまで感じ取れるのに、これが幻だとは信じ難い。

 やがて迫っていた足音が止み、知らぬ間にカイラの傍らに佇んでいた人物がこちらを向いた。翳っていて顔は見えないが、おそらく自分が葬ったアルジラ兵の男だ。

「報復か? 先に撃ったのおまえだろ。仇討あだうちに容赦はしない主義だ」

「殺されたら殺し返す。悪いことは何もないでしょう」

 声の距離感がおかしい。耳の中で反響する振盪に酔いそうだ。

「カイラは戦員じゃない。危害を加えないでくれ」

「こいつ、死んでるのに?」と男が笑い出す。「『そちら』でも絶命するよう、祈りを込めて屍体にむちうつ。……え? 何ですか? ありふれた憂さ晴らしですよ。たとえるなら、撥ねられてひしゃげた動物を踏みつけた後、大きな車道に向けて蹴り飛ばしたときの快感と同じ。君も味を占めているでしょう?」

「知らねえよ!」

 褒められた成績ではなかったが、現実で猟奇を仕留めたことだけは誇りに思いたい。

「人質は、攫った直後に惨殺し、無傷で帰すと約束してから顔を潰す。常識ですよ」

 陽気なステップで移動した男が、小型のショットガンを構えてカイラの足元に立った。銃口は、草叢に伏せた彼の背中を狙っている。

「やめろ! 撃つなッ!」

 至近距離から放たれた散弾が外れるわけもなく、耳を劈く銃声を合図に、穴だらけになった衛生班のジャケットから不規則に血が湧き出した。このままでは原型を崩される。

 すぐに次が撃ち込まれ、数発で華奢な右肩も破壊された。脆くなった肉片が飛び散り、物憂い血煙が上がる。繋がれた手首から伝わる無慈悲な衝撃。夢だ、現実ではないと頭では認識しているのに、精神の顫動せんどうを抑えることができない。

 気が触れかけた頃にはもう、カイラの身体があった場所には、布の切れ端と少しの髪、人の形に凹んだ草の輪郭、そして意識が朦朧とするほどの血溜まりしか残っていなかった。

 目を背ける力さえ奪われるくらい、あまりに惨く、冷酷で非情。

 男は発砲をやめて銃を下ろした。「生まれたことが罰なのです。哀れな青年たち」

 僅かな重みを感じて縛られた腕を見ると、変わらずカイラの細い右手があって、けれどそれ以外は血塵と化していた。記憶を切除されたみたいに、顔も声も思い出せない。

「今から伺って、『そちら』でも殺して差し上げましょうか?」

「黙れ鬼畜! 目的を言え!」

 男は銃口を自らの顎の裏に押しつけた。

「君も知っているはずです。命というものは、肉体を失うと急速に忘れ去られる定めなのですよ。写真は喋りませんし、映像は温度を持ちません。更新されない情報は、いつしか薄れ、朽ちていく。大切な人だったのに、可笑しいでしょう」


 唐突に目が覚め、怠い現実が押し寄せてきた。西棟地下の医療ステーションでベッドから上体を起こし、汗で張りついたTシャツを引き剥がす。カイラが心配だ。

 半ば無意識に備品のスリッパを履き、ふらつきながら廊下に出たところでスクラブ男と遭遇した。長めの金髪に、猛禽的な淡い色の瞳が、やはり冷たい印象だ。

「学生さん。勝手に覚醒してくれてよかったです。……治癒した後、右の足首に表れた奇妙なサインはタトゥーですか? 書き写すことも、読み取ることもできませんでした」

 自分を匿った魔女の話はしないと決めているので口を噤んだ。

「答えたくないなら結構です。あなたの過去に興味はありません。それと、カイラは奇蹟的に救命できました。教え子に死なれなかったことだけが幸いです」

「嘘じゃないよな?」すぐに信じられる状況ではない。「本当は死んだのか……?」

「一緒に来なさい。重傷ですが、現在の生存は保証しますよ。やめておきますか?」

 散弾を浴びたカイラは、連れられて入った『icu』のベッドで静かに眠っていた。

 彼の側についていた医療者が、さりげなく退室してくれたことを察して頭を下げる。

 男は点滴の回路に細工をしたらしい。勧められた椅子に座ってしばらく眺めていると、カイラは緩やかに目を開けた。それを見届けた後、彼は無音で部屋を出て行った。

 危うく犠牲になりかけていたシティ・タークのアイドルと視線が合った瞬間、考えるより先に言葉が零れた。

「撃たれたのは俺のせいだ。許さなくていい」

「……恨まれたいんですか?」と酷く掠れたやさしい声が問いかけてくる。

 彼の手を見ると、爪の縁に血が固まっていて、命の駆け引きが残した波風に胸が塞いだ。

「傷痕が消えるまで俺が責任を持つ。タークが無理そうなら、他のシティでまたステージと演技の仕事を探せ。ライブも映画も立派な救護活動だ」

「そんなに必要とされてないですよ……。ファンには感謝してます。竜巻にも……」

 体力が限界だったらしく、寒いと呟きながら再び寝てしまったカイラの、曖昧に濡れた睫毛を指でなぞってみる。辛くても人間の脆さを怖れすぎてはいけない。

 今なら、ユイが抱え続けている呵責と後悔の断片を思い遣れる気がした。欠落ばかりでまともな分岐を選べなかったのは、きっと自分だけではない。

 夢のせいなのか、『あちら』で食らった襤褸切れみたいな感傷が、倒れかけた夜路よじの標を蝕んでいく。



                                 credit 16 end.

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