credit 14 隠密学
惟は遊歩道の左右に佇む建物を見て、若干迷った後に映画館を選んだ。
勉強への打ち込みで体力が衰退しているせいか、北の哨戒塔へ向かう途中に少し休憩したくなってしまった。因みにもう一方の候補は古美術的なメガネショップで、どちらも正面入口横の窓が派手に割られている。アルジラ兵の犯行に1単位賭けてもいい。
縁の破片に注意しつつ侵入してみたところ、内部は秘密基地然とした守りの闇に包まれていた。
「ミニシアター、懐かしい……」
一時期は貪るように観ていた映画も、心にゆとりがなければ鑑賞の意欲が湧かない。けれど、束の間の星明かりに浮かぶポスターは夢があって素敵だ。
念のため2階も軽く巡回したが、館内に人の姿はなかった。
下のロビーに戻り、通路に並んでいたべベール様の口にtearz硬貨を投じて冷たい緑茶を購入する。
長椅子に座る気になれず、広い壁にだらしなく凭れた。そのまま死ぬ寸前の傷痍兵みたいに屈み込む。今もまだ、孤独な自堕落への憧れを捨てきれていない。
ボトルを開けた途端に茶葉の香りが拡がって、毒を呷るように半分以上飲んでしまった。
各方角に分かれたパラダイス員たちは無事だろうか。良嘉が弾薬の処理に成功したことを知って心強く感じていたけれど、過激な爆発音に焦燥を覚えて高台から窺うと、東の林と思しき場所から煙が上がっていた。
ここで仲間の生死を案じても無駄だ。あの日、指揮下にあった部隊は落ちたグラスのように壊滅した。何者かに嵌められたのは間違いないが、犯したのは自分の手を汚さない形の集団虐殺だ。学園の庭で『重罪人』と聞こえたのは気のせいではなかった。
楽しみや嬉しさは過去の出来事として哀情を帯びていくのに、夜の鬱いだ後悔だけが同じ色のまま胸の底を彷徨い続けるのはなぜなのか。
どこで立ち止まり、どこへ行っても、この世界に憩いの空はない。
余った緑茶に蓋をした直後、硬いブーツで石畳を蹴る音に緊張が走る。油断していて策略を練る猶予がない。素早くチケットカウンターの裏に身を隠して無線を切った。
捕吏も同様だろうが、レザール島に潜伏しているアルジラ兵の数を正確に突き止めるのは不可能に近い。未だ海は荒れていて、応援が来る頃にはきっと夜が明けている。
間もなく、武装した男女が会話をしながら瀕死の窓を経由し、館内に侵入してきた。
体温であたたまったナイフを握って敵の動向を注視する。聞こえてしまった内容から推察すると、アルジラ兵はすぐに口にできる食料を探しているようだ。
短い遣り取りを終え、男はロビーの最奥にあるフードコーナーへ歩いて行った。
残された女は何を思ったのか、こちらのチケットカウンターに進路を定め、やがて客の立ち位置からレジに手を伸ばしてきた。機械を壊して紙幣を盗むつもりらしい。
下劣な犯罪を目の当たりにした嫌悪感で戦意を失いかけたが、男が戻る前に行動を起こさなければ不要な時間を注ぐことになる。北の哨戒塔を焼かれるわけにはいかない。
やるなら今だ。奥のキッチンから、断続的に食料を漁る音が響いている。
「叫ばないで」
レジを攻撃している女の右手をナイフで串刺しにした。これで銃の精密な操作はできない。雑に刀身を抜いて肉迫し、大声を出さないよう牽制する。
「うっ……、誰だ……?」女は左手で、刃物ではなく背中のライフルを掴もうとしている。
「あなたに関係ないでしょ。この距離で発砲するつもり?」
任務の使命を力に換え、痛みに呻く敵兵の胸に留めの一撃を食らわせる。
暗くて朧げだが、女が防具を着ていることも想定済みだ。覆いのない肩と脇の半ばから斜めに貫けば、さほど技術がなくても簡単に斃せる。刺殺&人体の基礎知識。
持ち主を失くした銃から弾倉を外してカウンターの裏に放り投げた。
次は男だ。足元が消音のカーペットで救われた。
最速でフードコーナーへ移動する。敵は同行者を絶命させられたにも関わらず、調理前のポテトたちが保管されている厨房で熱心に食料を物色していた。
配置は有利だが、接戦になると体格差でこちらが不利だ。
どうせ朝まで救援は来ない。レザール側の人員が屠られる前に始末しなければ。
静かに間合いを詰め、ナイフの刃先をアルジラ兵の後頭部に悪戯っぽく押し当てた。
振り返った男の顔が、「女か」と嘲るように呟く。学園の制服ではないので島民と間違えられたのかもしれない。こちらをひとりの人間ではなく、加害可能な物体として捉えているのが容易に見て取れた。
「だから何?」と挑発してしまったが、真正面からぞんざいに扱われたとき、不意に素の自分を刳り貫かれたように感じることがある。『己に厳しく』は地下牢の鎖に鍵を足す呪いでしかなく、ルールを無視して書き殴った楽譜みたいには生きられない。
「貴様、この島の捕吏か?」
「いいえ。シティ・ハロルの不出来な士官学生。意味わかる?」
背後から腕を回して敵の首にナイフを埋めた。
予め設定された演出のように、無情の血が指を伝って袖口に流れ込んでくる。
「……わたしは性別を理由に人を貶めたり、蔑んだりしたことは一度もない」
割れた窓に吹きつける夜気が手の平の罪歴を探っている。
自分はアルジラ兵を殺したかったのだろうか。
掴みどころのない孤独が古びた墓標に似ていて、あのとき部隊員と一緒に死んでいたら長く傷み続けることはなかったのにと俯きたくなる。
命の数ではなく心に触れようとすれば、怒りと悲しみしか刻まない戦争や侵略を廃滅に導くすべを見つけられるはずだ。なのに惨劇は濃く深く繰り返される。長閑に開き直った歪みと対峙し、正しいやさしさを求めてはいけないことは、充分に理解しているけれど。
外側だけが適度に綺麗な環境の中で、毎日が苦しみに爛れているのは当然だ。生きている限り、魔手、詐術、悪事からの黒い招待券を防除できない。
夜空の影が光を奪い、いろいろなものを覆い隠していく。
気丈な人間を演じながら、壊れ果てて暗がりに座り込む自分も、届かない死も全部。
credit 14 end.




