credit 12 傷痍学
良嘉は刻々と接近してくる列車に向けて弓を構えた。緊張を帯びた血が狂ったように胸を攻め続けていて悪くない気分だ。丘の上から覗いた世界が偽りでなければ、弾薬は1号車とその次に積まれている。片方の死で連鎖的に爆発するはずだ。
「上手くいくといいですね」渾身の演技かもしれないが、補佐のカイラは事態を悲観していない様子を見せ、仲間をステージに送り出すような明るさで応援してきた。「オレにできることがあったら遠慮なく言ってください」
次第に走行音が迫り、草の薄い地面から線路の振動が伝わってくる。
断崖の縁で先頭車両の窓へ狙いを定めた。そして、感覚を頼りに引き絞った矢を放つ。
直後、耳を劈く轟音とともに炸裂する炎。喜びを味わう暇もなく、吹き荒れる熱風から身を庇って草叢を顧みた。木立に囲われた藍色の視界にふと違和感を覚える。
数歩先に佇んでいたカイラの背が緩く傾ぎ、意識を抜き去られたようにふらりと倒れた。想定外の進行に声を発することもできず、残酷な予感に戦慄する。
揺れ惑う景色の中央で、覆面のアルジラ兵が小型の散弾銃を構えていた。列車の爆発音にかき消されたが、衛生班見習いを的にして殺意を撃ち込んだのは明らかだ。手元の所作で自分宛の追加発砲を察知した。
弓と矢筒を投げ捨て、ベルトに挟んでいたナイフを掴む。駆け出す勢いに乗せて敵の胴に刃先を叩きつけ、溢れる力で真横に裂いた。「反撃を予測しろ。おまえに勝ち目はない」
草の上に仰臥した兵士が救いを求める台詞を唱え始めたけれど、温情は牢の中だ。
「命乞いか?」道理を笑いながら敵の喉を何度も刺した。「黙れ! うるせえんだよ!」
無害化を終えた死体を一瞥し、怒りの高ぶる手でカイラを抱え起こす。真正面から撃たれていたので最悪の場合を覚悟したが、呼びかけるとほんの微かに睫毛が動いた。
「しっかりしろ。銃弾浴びたくらいで死ぬな。竜巻もきっと悲しむ」
返事はなく、挑発的なツアーTシャツは元のプリントが判別できないほど広範囲に血が染みていた。咄嗟に顔を庇ったようで、左腕も酷い有り様だ。しかし役立ちそうな伸縮包帯はホテルで惟に渡してしまった。とにかく、哨戒塔の傍らに建っていた棟かその地下にあるはずの医療設備へ急ぐべきだ。
身丈の割に軽い瀕死の偶像を抱えて山道を下っている途中、突然右の足首に激痛と衝撃が迸った。転倒する寸前に危うく踏み留まったが、錆びた金属の輪が気まぐれに綴じて、地面から浮いたスニーカーごと挟まれている。不運を嘆いても仕方がないので一度カイラを草の茂みに横たえ、血腥いナイフを滅茶苦茶に捻じ込んで罠を解いた。
流れる汗を雑に拭う。教えられた洞窟は遠くない。
朦朧とする身体で水路の縁を伝っていくと、扉のついた防空壕のようなものと遭遇した。
開け方を聞き忘れて悄然としていたところ、予め塔の監視員がこちらの状況を窺っていたらしく、内側から分厚い灰色の板が動いた。
「カイラ君……!」現れたのは捕吏の制服を着た小柄な女性で、襟に若葉の徽章をつけている。「入ってください。地下の医療ステーションまでご案内します!」
堅固かつ排他的な西の施設に響く靴音。降下する基内でカイラを観察してみたが、化粧をしていない素の肌が青褪めていた。昨日整えたばかりのような毛先の綺麗さが切ない。
女性に導かれた階層で、待機してくれていた医療スタッフに彼の身柄を預けた。
数名の男女が慣れた速度で血だらけになったシティ・タークのアイドルを運んでいく。
過去を改竄できるなら、自分が敵の散弾を受け止めたかった。人間の重みから解放された両腕が怠く、乾き始めた血糊が凍るほどの罪悪感に打ちのめされている。
顔を上げると、消灯したロビーの端からスクラブ姿の男がこちらを見ていた。
「学生さん。あなたも来てください。手首から先、火傷してます」
肩の辺りで揃えた明るい金髪に、猛禽の気配を隠した琥珀色の瞳。仕事はできるのだろうが、コンクリートの壁に反響する声が硬く冷たかった。
「任務があるので戻ります。カイラのことは申し訳ありませんでした……」
目を合わせる気力もなく、床に視線を彷徨わせたまま男に背を向けた。いつまでもここにいてはいけない。
「待ちなさい。簡単には帰しませんよ。あれ、ぼくの教え子ですからね」
乱暴に掴まれた腕を振り払った。衛生班の指導医に、彼の生徒であるカイラを犠牲にした罪を責められているらしい。ふざけた静寂が、従順なふりをしてみろと唆してくる。
「……列車の弾薬を爆発させるのとほぼ同時に、至近距離から小型の散弾銃で撃たれました。全部俺の不注意です」素直に謝罪すべきだとわかっているのに、尖り始める感情の棘を制御できない。「裁きたいなら見せしめに殺せよ!」
男は露骨に蔑みを浮かべた後、仕事だからと割り切るように嘆息して真顔に復帰した。
「その話題はやめましょう。Tシャツに穴あいてますよ。流れ弾、当たってませんか?」
無遠慮に襟を引っ張る医療用グローブの指を強く撥ね退けた。
遊びっぽく降参の真似事をして男が笑う。「右足も負傷したみたいですね。できる限りの処置をしますから一緒に来てください。逆らうのでしたら鵺に連絡しますよ。あいつのことは今も嫌いですが、元生徒会役員同士の学友なので」
単位を人質にして脅すつもりのようだ。どうせ進級できないミシェルと右クリックは構わないけれど、惟を留年の道連れにするわけにはいかない。
「連帯責任ってことか? 俺は……」立ち込める消毒液の匂いで急激に気分が悪くなり、反論の言葉が頭の中で崩れていく。気がつくと、当然の帰結みたいに膝を着いていた。
「学生さん、休戦しましょう。手荒な扱いはしませんので、治療だけは任せてください」
この期に及んでも捨てられない、対抗心まみれの非決定論に何の意味があるのか。不愉快な男に、優位性を誇示した爪で、継ぎ接ぎだらけの回路を暴かれたくないのは皆同じだ。
他人に弱みを見せてはいけない。なのに生意気な態度の奥底では、誰かがあたたかい手で肩に触って、大丈夫だと励ましてくれることを愚かなほど望んでいた。
床に映った常夜灯が滲んでいく。疲れてとても眠い。
惟は零れ落ちた単位に怒って拷問を仕掛けてくるだろうが、ときおり泣きそうな顔をしていたので、戦死しないと誓えば許してくれるかもしれない。
無水の漣は、すべて夜の試練だ。
credit 12 end.




