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明滅に伸ばす掌②

 空が白み始めた四時三十分。スピカは階段を下り始めた。レグルスから借りた導書と地図は、リュックサックの中に入れてある。空いた両手はバランスを取るため横に広げる。そうして体がぶれないよう、一歩一歩爪先から足を下ろす。

 普段徹夜作業をしているアルファルドは、三時になってようやく寝始める。この時間であれば、すっかり寝付いており起きてこないだろうと踏んだのだが、それでも階段が(きし)む度に、スピカの心臓は早鐘を打った。幸い、早起きの小鳥達が、鳴き声で音を隠してくれている。

 階段を下りると、店側に向かう。普段通り、店の出入口から家を出るつもりでいたのだ。

 店の出入口にはベルが取り付けられている。店の前で待つアヴィオールはそのことに気づいていた。スピカの姿が見えると、扉の上を指差しながら「ダメ、ダメ」と声を出さず口を動かし、両手でバツ印を作った。

 スピカもそれに気付き、扉から離れる。暫く考えた後、踵を返して店の奥へ、住居側へと戻る。

 廊下に取り付けられている窓の鍵を開け、ゆっくりと開く。レールを滑る、カラカラという音が漏れるが、ベルの音に比べればずっと静かであった。そこに足をかけると、窓のレールを(また)ぎながら体を反転させ、家の外へと抜け出した。

 窓を閉めて、スピカは長いため息をついた。緊張が一気にほどけて、その場に屈みこんだ。


「上手く抜け出せたね」


 そこへ、アヴィオールが近付きながら声をかける。彼の小声に、スピカも小声で返した。


「帰った後が怖いわ」


「出かける前に止められるよりマシだよ」


 それもそうだと、スピカは賛同し頷いた。

 まだまだ町が眠りから覚めない時間。辺りは明るいにも関わらずひっそりと静まっていて、まるで何処か別の世界に来たようで胸が高鳴る。


「さ、行こう」


 アヴィオールの号令に、スピカは頷いた。リュックサックの肩紐を握り、弾む足取りで歩き出す。



「帰りはどうする? 夕方の塾には間に合わないかもしれないよ?」


 いつもの通学路を歩きながら、アヴィオールは問い掛ける。スピカは髪を揺らしながら首を振った。


「仕方ないわ。今日は休んじゃう」


「休むの?」


「だから、今夜怒られるのは確実なの。行くと決めたのは私だけど、憂鬱(ゆううつ)だわ。遠出して、挙げ句に塾をサボるとは、どういうことだ! って」


「目に浮かぶよ」


 アヴィオールも帰った後のことが心配らしく、小さく笑いながら言葉をもらした。


「僕も、父さんに叱られるなあ。休みの日くらい家業を手伝え! って」


「笑って誤魔化(ごまか)しましょ」

 

「だね、笑って誤魔化(ごまか)そ」


 スピカは腕時計を見、空を見る。そろそろ始発の時間が迫っていた。アヴィオールと顔を見合せ、駆け出した。

 パタパタと響く二人分の足音。通学路を途中で曲がり、大通りへ向かう。シャッターだらけの商店街を走り、公園を通り抜け。駅に着いたのは、列車が到着する二分前だった。間に合ったことに安堵しつつ、乱れた息を整えた。

 始発ということもあり、乗客は少ないようだ。改札はしんと静まり返っている。


「って、休んでる場合じゃないや」


 ぜえぜえと肩を上下させて何も話せない程に疲れきっているスピカを待たせて、アヴィオールは券売機へと向かう。


「いくらだろ……えっと……いいや! アクィラで精算してもらおう」


 そう言いながら、目についた二百ベルの切符を購入する。後ろを振り返り手招きすると、スピカが覚束(おぼつか)ない足取りでアヴィオールに近寄った。切符を受けとると、辺りを見回し駅員を探す。


「駅員さんいないわね」


 そのうち、定刻通りに列車がホームに入ってきた。艶やかな車体に(まと)う朝靄と、白銀(しろがね)の煙。夢の中のように幻想的な風景だ。


「早く乗りましょ」


 列車に見とれるアヴィオールの手を、スピカは引っ張る。二人は切符を手に持ったまま改札を抜け、列車へと乗り込んだ。

 この日の列車はやや古い車体のようだ。中は木造で、シートはレトロな柄であった。乗客は案の定少なくて、二人はボックス席に向き合って座る。

 そのうち、列車は走り出す。浮遊感はあるが揺れはなく、ただ緩やかに空へと向かう。


『ご乗車頂き、ありがとうございます。快速、ピクトル行き、車掌はわたくし、ディータがご案内致します』


 駅員のアナウンスを聞きながら、アヴィオールは鞄から本を取り出す。表紙に天文学Ⅲと書かれたそれを開き、二人でそれを覗き込んで、授業中に書き込んだノートと照らし合わせる。前日に受けた授業の復習を始めたようだ。教科書の図解を指差しながら、ああだこうだと話し合っている。雲から飛び出した列車は、青が紫に溶けた空をすうっと走っている。窓の外は、見ればため息が出そうな程に非現実的で美しい景色だというのに、スピカもアヴィオールも一瞥(いちべつ)すらしない。


「切符を拝見します」


 車掌に声をかけられて、スピカは顔をあげた。差し出された車掌の手を見れば、それは羽毛に覆われている。


「あ、チコさん。おはようございます」


 この日の車掌は、つい数日前に会ったチコであった。彼は声こそ優しげであったが、その顔はやや不満げに口許は弧を描いている。


「早朝の銀河鉄道だというのに、眺めるのは天文学の教科書……感心しませんね」


 スピカとアヴィオールは2人して「え?」と間の抜けた声をもらす。アクィラまでは、三時間近く列車に揺られていなければならない。退屈しのぎに勉強するというのは間違いだろうか。


「天文学なら、教科書より本物見なさい」


 チコは帽子の(つば)を掴んでくいと上げ、もう片方の手で窓の外を指差した。そこでようやく、勉強に夢中だった二人は幻想的な風景を目にした。


「わあ……」


 赤から紫、青へのグラデーション。その空にきらりと光る星々が無数に浮かぶ。星々の周りでは、星座に所縁(ゆかり)のある幻獣達が飛び交っていた。

 ペガサス座の真下では、ペガサスが飛んでいたのだろうか、ひらひらと舞う羽根が遠くからでもよく見える。くじら座の真下では、雲海を浮き沈みする海獣の背が見えた。


「あれが竜座、で、あそこの星が四十二番星ですよ」


 チコに言われて指差す空を見る。教科書と見比べる。確かにそこにあるのは竜座だった。しかし、その光の下には幻獣はおらず、ただ雲がそこにあるのみ。


「竜はね、人類と同じくらいに賢くて気高い幻獣であったと言われているんです。だから、人類に簡単に見つかるような場所にはいないんでしょうね」


 チコの声は、恋に焦がれる少女のように細く甘いものだった。スピカはチコを振り返って問いかける。


「竜、好きなんですか?」


「はい。一目惚れってやつです」


「へえ…………え? 一目惚れ?」


 スピカは目をしばたかせる。まるで会ったことがあるかのような口振りに驚いたからだ。だが、竜は神話時代に人類の前から姿を消したはず。



「嘘でしょ? って顔、してますね」


 チコは、スピカとアヴィオールの顔を交互に見る。アヴィオールもまた、チコの言葉を信じきれていないのだろう。スピカと同じように瞬きしていた。

 チコは、その反応にすっかり慣れているらしい。傷付いた様子も見せず、腹を立てることもなく。帽子を取ると髪をオールバックに整えて、帽子をかぶり直した。


「幼い頃に一度だけ会ったんです。昔すぎて、記憶、朧気(おぼろげ)ですけど。

 その時の竜に会いたくて、星に一番近付ける銀河鉄道の仕事に()いたんです。でも、流石に……中々会えませんね」


 チコはそれ以上竜について話すつもりはないようであった。アヴィオールに手を差し出して、切符の催促をする。アヴィオールはポケットに手を入れると、二つに折れ曲がってしまった切符をチコに差し出した。車掌としては好ましくない状況で、チコは眉間にしわを寄せて切符を受け取った。両手で切符を伸ばし値段を確認すると、またも眉間を寄せる。


「あ、ごめんなさい。時間がなくて、後で精算してもらおうと思ってたんです」


 アヴィオールはそう説明し、慌てて財布を取り出した。スピカもそれに習い、切符と財布を取り出して精算の準備をする。


「二人はどちらまで?」


「アクィラです。いくらですか?」


 スピカも切符を差し出した。チコはそれを受け取り、瞬時に暗算して二人に差額を伝える。スピカとアヴィオールは、言われた額だけ金を払うと、チコから切符を二枚ずつ受け取った。一枚は改札で買った切符、もう一枚は新しいものだ。それぞれ改札鋏で切れ込みを入れられていた。


「そうだ。これもどうぞ」


 チコは鞄の中から銀紙に包まれた何かを取り出した。それをスピカ達に一つずつ渡す。

 アヴィオールは受け取るなり、銀紙の一部を剥いで中を見た。ミルクチョコレートだ。

 チコは人差し指を立てて、柔らかに微笑む。


「貰い物ですけど、よければどうぞ。みんなには内緒ですよ」


「ありがとうございます」


 スピカとアヴィオールは、声を揃えて礼を言った。チコは二人から視線を外し、隣の車両へと歩いて行った。


「チコさん、すごくいい人ね」


「チョコも貰っちゃったしね」


 スピカは銀紙を剥いで、中身のチョコレートを見る。手のひら程のやや大きめのそれは、羽ばたく鳥をデフォルメにした愛らしいデザインであった。頭から食べるか、翼から食べるか悩んでいると、すぐ近くからパキンと軽い音が聞こえた。

 アヴィオールを見れば、彼はチョコレートを頬張っていた。彼が貰ったチョコレートも同じデザインのようだ。しかし、既に頭が欠けている。


「何て残酷なこと……」


「だってチョコだよ?」


 アヴィオールが鳥の頭から食べたことを指摘しながらも、スピカもまた頭から頬張った。口の中に、カカオのほろ苦さとミルクのまろやかさが広がる。自然と顔が綻んだ。

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