落胆の寝起き、ふやけた朝
ふわ、と水から浮かび上がるような感覚で目が覚める。被っていた毛布から這い出るようにして顔を出し、そのままの体勢で隣にあるベッドへと顔を向けた。
(きれいなまま……)
ベッドは昨日見た、きれいな状態のままで残されている。ということは。
(寝ていない…のかしら?)
それどころか荷物すら置いていないということは、部屋に入ってきてすらいないようにも見える。とすれば、やっぱり彼も『妖精失くし』とは一緒にいられなくなった、ということだろうか。
そこまで考えた所で、ぞわりとした感覚が足元から登って来る。
(いや、そもそも)
そんな感覚を覚えたこと自体に驚きつつ、例えそうであったとしても、それはもう覚悟していたことだ。むしろ、今までが変だったのであって、これが本来の反応とも言える。なにより、私自身がそうあるはずだと思っていた。
ふぅ、とため息を一つ。耳を澄ませると、宿と階下からは足音一つしていない。既にほかの客は出かけた後なのだろうか。
ともかく、目が覚めた以上いつまでもベッドにいるわけにもいかない。もぞもぞと毛布から抜け出し、フードを被るとそのまま外への扉に手をかけた。
★
廊下に出ても、相変わらず宿からは自分以外の足音がしない。それほど遅い時間なのかとも思ったけれど、それにしては外もほとんど人の気配がない。ということは、まだ早い時間なのだろうか。
(けどそれにしては、宿の足音も聞こえないなんて……)
妙な違和感を感じながらも階段を降り切り、酒場への入口に差し掛かる。そこでようやく違和感の正体、その一端を見つけることができた。
「起きたか」
カウンターには宿の主人。昨日会った通り、口数は少ないが、今はそこじゃない。
そのカウンターに突っ伏して眠りこけているのは、どう見ても自分の連れ、スカイさんそのものだ。彼は昨日、私から離れるために部屋に来なかったのではなく、ここで酔いつぶれていたのだろう。
「朝には少し早いが、これでもお腹に入れておけ」
「これは……?」
何とはなしにスカイさんの横に腰かけるのに合わせ、目の前にスープ皿が滑り出てくる。中には湯気が立つほど暖められたスープ。それが、おいしそうなにおいをあたりにばらまいている。
「昨日そいつが注文していたものだ。先に上がった連れに食べさせるのだと言っていたからな」
昨日の最後に効いた声は、どうやら本気だったらしい。そのことに苦笑いしつつも、主人にはお礼を言う。
「俺は少し出る。そいつが起きたら一度部屋に戻るといい。何かあれば、裏に人を待機させているから呼べ」
腰に巻いたエプロンを外しながら、カウンターを出ようとする主人に重ねてお礼を言い、その背中を見送る。
残ったのは私とスカイさんの二人だけ。昨日はそこそこ繁盛していたように見えた酒場も、こうなってしまえば静かなものだ。
……きゅるるる。
だからだろうか。その音はどこまでも大きく響いた。もし今他に人がいれば吹き出していたかもしれない。
そんな、空腹を訴える自分のお腹に促されるまま、皿と一緒に出されていたスプーンを握り、スープを口に流し込む。まだ熱々の状態だったからか、唇に触れた瞬間かなりの熱に顔が歪む。が、飲み込んでしまえばその熱さも心地よい温度となり、体の中心から熱を伝えてくれる。
「……おいし」
言ってから、そんな感想が出たことに自分でも驚く。
さっきの空腹や、朝起きた時の驚きもそうだけれど、明らかに自分が変わりつつある。それもこれも、今目の前で安らかな寝息を立てている人と出会ってから。
「……」
「…ん、んん…」
じっ、と覗き込むようにして見つめると、その視線を感じたのか、もぞもぞと動き始める。その仕草とふやけたような寝顔を見て、ついつい指で頬をつつくようにして、いたずらをしてしまう。が、それにも彼は、もごもごとした動きを見せるだけ。
顔は変わらず、ふやけたまま。
(彼は本当に……どういう人なのかしら)
思えば、彼はこちらの話を聞くことが多く、私自身も彼にそこまで興味があったわけでもないことも合わさって、まだ彼についてはほとんど知らない。
それでも、彼は今まであってきた人とは明らかに違う。そう思うには十分すぎるほどだった。
★
宿を出た主人は、入口で頭を抱えるようにして辺りの惨状を目の当たりにしていた。
「実際に目にしても信じられないな」
呟く主人の目の前には、倒れこむようにして寝ている人、人、人。それもよく見れば、昨日宿の酒場で相手をした客ばかり。
と言っても、別に襲われたりして倒れているわけじゃない。彼らは昨夜、あのスカイと呼ばれていた旅人としこたま飲み、そのまま酔いつぶれていったのだ。
それだけでなく、自分はぎりぎりまで酔いつぶれることなく話を聞き、そのうえでその場にいた全員を酔いつぶしてしまった。
(あんな芸当、心が読めているとしか思えねぇ)
一緒にいた女も併せて、只者ではない、ということだろう。
(『妖精失くし』……、いや『妖精いらず』と言ったか)
顎を掻くようにして考えを切り上げると、そのままの足で朝市へと進み始める。
酔いつぶれた客たちは当然、そのまま放置されたままなのであった。