4 息子の独白(2)
それからは、たびたびアトリエで泣いている様子は見かけていたが、いつからか、本格的に母の心の声が大きくなった。
原因は母の心の声を聞いたらすぐにわかった。離婚の話が出て、離婚届を渡されてしまったらしい。
やはり離婚を切り出されたことはかなりショックだったらしい。泣きながら溢れる母の心の声には、死にたい、とかが含まれるようになって来てしまった。
これは流石にまずいと思った俺は、母に声をかけ、ゆっくりと母の話を聞いた。
「あまり詳しくは言えないんだけど、今は何も考えられないの。あまり息子に話すような内容ではないというのはわかってるんだけど、私、お父さんに嫌われてるのかな……?」
母は、小学生の息子にこんなことを相談しているくらいには、参ってしまっていた。
画家は一人で作業することも多く、相談する人も少なかったため、一人で抱え込んでしまった結果だろう。
俺に相談してくれたのは、俺は今まで自分の能力を使って、母の問題をいくつか解決したこともあり、俺なら何らかの解決策を持っているのではないかと思っているのかもしれない。
「そんなわけないだろ、俺の前で仲直りした後、いつも、これでもかってくらいイチャイチャしてるじゃん」
「それは、そうなんだけど……考えたくはないけど、無理しているかもしれないし、それに……ちょっとそういうふうに思ったきっかけがあって……もしそうなら、私は生きていけない……」
きっかけというのは、多分というか100%、離婚の話のことだろう。
流石に息子にそんなことを言うのは憚られたのか、ぼやかしながら説明された。
父が母のことを溺愛していると伝えられたらよかったのだが、今俺がそれを言ったところで、簡単に信じられるようならここまで悩んだりしないだろう。
父の気持ちなどを具体的に説明してしまうと、どうしてそんなことが分かるのかと、俺の能力に気づかれてしまう恐れもあった。
追求されてしまえばうまく騙せる自信もなかったので、それ以外に何とかうまく解決する方法を見つけ出さなければならない。
ちなみに、離婚の話が出た原因も知っている。
父が、喧嘩した日の夜に母がアトリエで泣いていることに気づいてしまったのだ。父は一度寝たらなかなか起きないのだが、ふと夜中目覚めたときに母が隣からいなくなっていたので、少し探すとアトリエで母が泣いているのを見つけた。
そのときに、たまたま母が「もう、喧嘩したくない。辛いよ……」と呟いていたのを聞いてしまい、自分が負担になるくらいだったら、別れてしまった方がいいのかもしれないと思ったのがきっかけだ。
二人ともが相手のことを思って行動している分、こんなに悲しいすれ違いはない。
子は鎹とは言うが、離れていく夫婦を止めるならまだしも、くっつきに行き過ぎて、それによる衝突を食い止めるために動かなければならないと思うと、めんどくさい夫婦だなあと思う。
なので、いったん二人を離してみることにした。
このまま同居を続けていたら母はおそらく精神をすり減らしてしまって、嫌な方向に進みそうだなと思ったからだ。
「父さんが母さんのことを嫌いなんてことは絶対ない。けど、俺はちょっと距離をおいた方がいいと思う。ずっと一緒にいると、母さんが疲れ切っちゃうよ」
「それは嫌っ……お父さんと離れたら、きっとそのままどっかにいっちゃう……それだけは絶対にだめ……お願い、お願いよ……」
母は大粒の涙を流しながら、俺を抱きしめて言った。背中をトン、トン、と叩きながら母に言う。
「大丈夫だよ、父さんが俺と母さんを捨ててどっかに行っちゃう人だと思う?昔からずっと一緒だった母さんならわかるでしょ?もしそうなりそうになったら、俺が全力で止めるよ。泣きながら、せめて大学生になるまでは待ってくれって言ったら、絶対に踏みとどまってくれる。その間に、考え直してもらおう」
「でも……やっぱり不安……」
結局その日だけでは説得することができず、説得に一年かけることになってしまった。
そして父にも理由を説明すると、こちらもすんなりというわけにはいかず、そこそこ時間がかかってしまったが、俺が小学5年生になるタイミングで別居することになった。
自分の能力を説明して、お互いの気持ちをうまくすり合わせることができればどれだけ良いだろうかと思ったが、拒絶されることが怖くて結局、話すことのできなかった自分は、母と同じで怖がりなのかもしれない。