2 私の唯一の理解者
ああ、また彼と喧嘩してしまった。
喧嘩とはいっても、それは私が一方的に感情をぶつけて、それを彼がひたすらなだめるというものだった。
自分でも人より嫉妬深いということもわかるし、複雑な感情をわかってほしいという、かなりめんどくさい性格をしているとは思っている。言わなくていいことや、ちょっとした小言をつい言ってしまう。
私を理解してくれるのはあの人だけだったのに、もっとわかって欲しくて、そして恥ずかしくて、つい強い言葉を使ってしまう。感情的になるのは私の悪いくせだということもわかっているが、なかなか治すことができない。
このような辛い気分になった時、辛い気持ちや悲しい気持ち、苦しい気持ちを絵にのせると、とてもすっきりする。
学生時代からこんなことばっかりをやっていると、気がついたら自分の絵はオークションなどで一枚1000万円から、高いものだと1億円くらいの値段がつくようになった。結構自信のあった絵は2000万くらいで、夫と喧嘩してむかつきながら適当に描いた絵に1億くらいの値段がついた時は、あまりに面白くて笑ってしまった。
そのことを彼に話すと、大爆笑していた。あの絵のこの部分は、あなたが私の唐揚げに勝手にレモンをかけたから、そのレモンと唐揚げを表現していると説明すると、一見、それは宇宙の中にある光り輝く恒星とそれに照らされる惑星に見えるが、唐揚げとレモンだと言われると、確かにそのようにしか見えなくなり、彼は息もできないほど爆笑した。
彼と出会ったのは高校のころで、彼は水泳部、私は美術部だった。冬のシーズンはプールが使えないので、彼はよくサボって私の絵を見にきていた。筋トレの合間の休憩時間に、ふと美術部の扉から見えた絵に急激に興味を惹かれ、私に話しかけてきたらしい。そんなにサボってて大丈夫かと聞くと、トレーニングの合間を縫って来ているから大丈夫だと笑っていた。
その頃の私は、自分ではそんなに意識することはなかったが、すでに絵の才能みたいなものがあったらしい。
私は、その才能をあまり嬉しくは思っていなかった。小さい頃は絵を描くのが好きだった。
でも描き続けていくうちに、楽しさよりかは、自分が表現したいと思うことや、美しくないと思うものの不自然さ、もしくは美しくないと思うものを美化して、この世の美しいものを表現したいといった、欲に突き動かされて絵を描くようになっていった。
そこには楽しさとか嬉しさとかはない。あるのは、美しいものを美しく表現できたか、自分の表現したいものができたかといったカタルシスのみだった。
心の底にあるぐじゅぐじゅとしたものが、ろ紙にこされて綺麗になった液体を見ているような、清々しい気持ちだけだった。
中学に入り、私が美術部で初めて描いた絵を見た部員全員が、理解できないと言った面持ちで絵を見て茫然自失としていた。
今ならわかる。おそらく、なまじ自分で絵を描いている分、自分でその絵を描けるかとか、そういったことを考えてしまったのだろう。
初めはこの絵を理解してもらおうとこの部分はどういう気持ちで描いたとか、そういったことを頑張って説明しようとするが、説明しようとすればするほど、人は離れていった。
気付いたら、最初は話しかけてくれていた人も、だんだんと私をひとりにするようになった。
その頃からだろうか。私はどうせ何を言ったって誰にも理解されないのだろうと思った。
今思うととても恥ずかしいが、中学生の頃の話だから許してほしい。そういったお年頃だったのだ。
高校に入学して今度こそと思って再び美術部に入っても、結果は同じだった。
そんな私だったから、初めは彼にも辛く当たってしまった。
「何の絵描いてるの?」
「月」
「月?月にしては全体的に明かるすぎない?」
「そんなことない」
「ふーん、じゃあこの太陽みたいなのは太陽?」
「いや、おじいちゃんの頭。はげてるからそれがモチーフ」
「ぷははっ、なんだそれ!どの辺がそうなんだ?」
「この辺」
「へぇー、確かにそう見えなくもないか?言われてそうかもしれないって思えばかろうじてって感じだけど」
私が無愛想に答えても、彼はいつも面白そうに話を聞いてくれた。
期待してもまた同じことが起こるだけだとは思っていても、少しの期待と共に、この人なら私のことを理解しようとしてくれるのかもしれないと思った。
この出会いが、私の人生を決定的に変えたのだった。
高3の夏、私たちは付き合うことになった。
高校を卒業して、私は画家になって活動を開始し、彼は大学に進学した。彼が大学を卒業して作家になった時、私たちは結婚することにした。
正直、大学の4年間も一緒の家に住んでいたので、結婚したからといって何かが変わったということはほとんどなかった。
今と変わらず喧嘩も多かったけど、何より幸せだった。
私はこの上ないほどに幸せだったけど、彼はそんなふうには感じていなかったのかもしれない。
いつものように喧嘩していると、彼から、離婚しようか、という提案をされた。
五秒ほど何を言っているのかがわからなかったが、彼の苦しそうな顔を見て心臓がズキン、と痛くなり、ああ、これは現実なんだとわかった。気がつくと、私は泣きながら大声で彼を責め立てていた。彼が私と離婚したがっていると思うと、涙が溢れて止まらなかった。
次会ったときに、もし離婚したいんだったらこれを書いてくれ、とすでに夫の名前が書かれた離婚届を渡されたが、アトリエで書くと言って部屋に持ち帰り、ズタズタに引き裂いてゴミ箱に捨ててしまった。
それから何度か離婚届を渡されたが、いろんな理由をつけて離婚を拒否した。強引に書けと言ってこないあたり、まだ本気で別れたくないのでは、という微かな希望のもと、私たちの結婚は成り立っている。
今、私には絵を描く気力すら残っていなかった。