2分間
あの日から10年。決して忘れないように。東日本大震災で亡くなった方々に、心よりご冥福をお祈りいたします。
3月11日午後2時35分過ぎ、僕は休みで部屋にいた。お風呂を掃除する準備をしていて、服を脱いで上半身裸になると熱いシャワーを出して浴槽に当てた。
水しぶきが気持ちいい。
鼻唄を歌いながらシャンプーの残りが少ないことに気付いた。『後で買い物に行かなくちゃ』と思った時だった。
体か左右に大きく揺れ始めた。
「何だ? 目眩か?」と思いシャワーを止めて浴室から出て部屋に戻ると、また体が大きく横に揺れ出した。
僕は天井を見上げて電灯の紐を見つめる。紐が生きているように波打って激しく揺れていた。
「これは目眩じゃない地震だ!!」僕は大きく揺れ続けている事に今までにない違和感と恐怖を感じていた。いつもより長い地震だ。7分近くも揺れていた。
『長い地震だ。長い割には揺れ自体は大したことないかもな。たぶん、震度3か、4弱辺りなのかな』と僕は思いながら紐を見続けた。
今までにない違和感とは、異様に地震が長い事の他に、心の渇きを感じたからだった。心の渇きは最終段階のように心許ないものだ。退廃的で後ろめたさを宿す、しくじりに近いものがあり、やりきれなさを抱くのだ。嫌な予感、虫の知らせ、警告等が複雑に絡み合った状態を意味する。
少し揺れが収まりテレビを点けると、とんでもない映像が映っていた。
東北各地が震度6強!?
えっ!? 震度7だと!?
東海地方が震度6強!?
僕はテレビを食い入るように見つめた。
「これはマズイ」と僕は呟いた。仙台には、弟と妹、それぞれには2人の子供たちがいた。
僕はイラついて部屋の中を歩き回った。テレビのアナウンサーの顔が青ざめていた。弟と妹に電話をするが全く通じない。僕は青ざめて絶望的な気持ちに支配された。
「大津波が来ます。避難して下さい!」とアナウンサーも青ざめて絶望的な顔で繰り返し大声で言った。
僕とアナウンサーはブラウン管越しに同じ表情をして見合っていた。
幸い僕の住む地域は震度3か4強だったが、頻繁に余震はあった。余震がくる度に体がすくむ。何も出来ないことは分かっていた。ただただテレビを見て愕然としていた。
地震発生から1時間後、津波の映像を各テレビ局で一斉に報道していた。
僕は何が何だか分からずに見ていた。
大津波によって街は消え人は消えていった。僕は何度も「これは悪い夢だ」と言い聞かせていた。
大津波と地震発生時の映像が交互に映し出される度に僕の心は無になっていった。
『きっと、弟も妹も、妹の子供たちも弟の子供たちも死んでしまったに違いない』と僕は思った。
僕は無感情でテレビを見続けていた。
僕には両親がいない。憎き両親は、幼い僕らを捨てた後、悲惨な死に方をして、あっさりと、この世から消えた。両親に対する思いは怒りでしかないので、僕は恨みを込めて、両親は、とうの昔に完全に葬り去っていた。
僕は死ぬもの狂いで毎日働いて働いて働きまくった。幼かった弟と妹を育て上げた。弟も妹も、立派に一人前になって、3年前の同時期に、めでたく結婚をして二人ともどもに可愛い子供を授かった。僕は伯父さんで独身だ。自分の幸せを後回しにして生きてきた。全てを弟と妹に捧げてきた人生だった。その可愛い弟と妹が死んだに違いない。
僕は大津波の映像を見ていると、いきなり頭の中でザ・ドアーズの『ジ・エンド』が繰返し流れてきた。
ジム・モリソンの終末的な歌声に、ある種の畏敬の念を抱くが恐ろしい歌声でもあった。
『ジ・エンド』のジム・モリソンの歌詞は複雑な内容だが、今の日本の状況に完全に一致していた。見事に、完膚無きまでに論破されたような悪夢な現実と符合していた。心の中でジム・モリソンの顔が浮かんでは消えるを繰り返していた。
電話が鳴った。
「もしもし?」と急いで出たが直ぐに切れた。通知を見ると公衆電話から掛けて来たようだった。
「こんなときにイタズラするな!! クソ野郎!!」と僕は激怒した。
「ああ、津波火災だ」もうテレビでは絶望しか映し出されていなかった。
僕はどうすることも出来ないから夕食の買い出しに出掛けることにした。
24時間営業のスーパーは行列だった。僕は余震の来る中で行列に並んだ。
1時間も並んで、ようやく店内に入ったが、ほとんどが品切れ状態だった。水の買い占め、ティッシュペーパーの買い占め、パンやインスタント食品の買い占め。「何も無いのかよ。買い占めするなよ!」と僕は呟いた。呟きながらも、ずっと頭の中でザ・ドアーズの『ジ・エンド』が流れ続けていた。
小さなコッペパン2個とカップラーメンを1個と8個入りの梅干しを買って、ようやく帰宅した。飲み物も買い占めされていて、アルコール飲料以外はなかった。家に戻ったら水道水を飲むしかない。
家に帰宅して、テレビを点けて、お湯を沸かす。
お湯をカップラーメンに注ぐ。
ずっと頭の中でザ・ドアーズの『ジ・エンド』が流れている。
僕はカップラーメンを食べてから布団を敷いて横になった。
僕は目覚めたら全てが元通りになっていると信じて早い眠りにつく事にした。
夢の中でジム・モリソンが僕の頭を撫で続けてくれた。
僕は泣きながらジム・モリソンに抱きついた。
ジム・モリソンはアカペラで『ジ・エンド』を歌った。
僕は『またかよ、止めてくれ。もう聴きたくない』と言った。
『これは現実だ。未来にも起こり得ることなんだ。未来は、もっと陰惨で悲劇的な事が起こる』とジム・モリソンに言われた。
『あんたに何が分かるんだ? 無責任な事を言って困らせるなよ!』と僕がジム・モリソンに怒鳴った所で目が覚めた。
なんだかジム・モリソンに悪いことをしたなと思った。
夜中の1時に目覚めてテレビを点けた。テレビは大津波と津波火災ばかりを流していた。
『余震に注意、津波も来る。とにかく早く逃げろ』とアナウンサーが言ったようだ。随分と乱暴な言い方だなと思ったが、僕の聞き間違いかもしれない。おそらく聞き間違いだろう。まだ頭は寝ているからだ。
目覚めてもだ、しつこく頭の中で『ジ・エンド』が聞こえてくる。僕は嫌になって耳を塞いで頭を振った。
もう眠れそうもない。
僕は絶望的なまでに何も感じないで、明け方も、昼間も、夜間も、繰返し繰返しテレビを見続けていた。
すでに時間の感覚が麻痺していた。
しばらくしてから原発が爆発してしまった。
もう、これで、完全に、本当に、この世の終わりかもしれないと思った。
電話が鳴った。
僕は慌てて出た。
「もしもし?」
「俺。無事だから。避難所にいる」と弟の声が聞こえた。
「雄司か! ああ雄司、無事で良かった! 本当に良かった! 優子は?」
「隣にいる。もう切る」
「原発が爆発した!! また大きな地震が来るから、そこから遠ざかれ!!」と僕は怒鳴るように叫んだ。
「もう切るよ。後ろで並んでいる人がたくさんいるから」と雄司は言った。
僕は閃いた。
「雄司、よく聞けよ! 『身近に迫った危険を無視するのは勇敢ではなく愚鈍だ』、もう一度言う! 『身近に迫った危険を無視するのは勇敢ではなく愚鈍だ』覚えておけよ! シャーロック・ホームズの言葉だぞ!!」と僕は大きな声で雄司に言った。
「兄ちゃん、分かった。ありがとう」と雄司は言って電話を切った。
わずか2分間ほどの電話だった。
僕は床にヘタり込んだ。
あの日は本当に、繰返し、ザ・ドアーズの『ジ・エンド』が頭の中で流れ続けていました。信じられない思いでテレビを見ながら無力感に襲われて、何も考えられませんでした。あの日、僕の住んでいる地域は震度3、4辺りでした。今もあの日の映像を見ると『ジ・エンド』が頭の中で流れてしまいます。