結:どちらが魔女か 1/2
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……さて。
はてさて、どこから話したものだろうか。ぼくの人生が始まった日から話す、となると流石に長いし、要点だけを掻い摘むのもまた難しい。
とりあえずは、ぼくがあの村で暮らし始めてからの話をしようか。
いろいろあって故郷である帝国を後にしてから、ぼくがアプレイスという村へ流れ着くことになったのは、まあ、いろいろあってのことだ。その経緯は本旨と無関係だから割愛させてもらうけれど。
ともあれ、ぼくはあの村のとある家に住まわせてもらうことになった。民宿、と表現すべきなのかな。あの一家は別に商売として宿業を営んでいたわけではないのだけれど、事実上はそういうことになるね。
どうしてその家に泊めてもらえたのか、というのもこの話とは無関係だ。ただ、ひとつ重要なのは、一家のひとり息子がぼくと同年代だったこと。
ぼくらが親しくなるのは、ある程度自然な流れだった。この黒髪を理由に疎まれがちなぼくにとって、珍しいことではあったけれど。
そうでなければ長居できなかったという点では、必然の帰結だともいえる。そして、彼の友人たちとぼくの間に交流が生まれたのも、また必然なのだと思う。
彼らの個々の人格についても割愛する。この話とは直接の関係がないし、死んだ人間を詳細に語っても意味のないことだからね。しかし一応誤解は避けておくと、ぼくたちはそれなりに仲良くやっていた。だからこそ、の結末なのかもしれないけれど。
ぼくを除けば男女がそれぞれふたり、というのはきみも知ってのとおり。簡単にいえば幼馴染の四人組で、そこにぼくが加わって、幼馴染と居候の五人組になったわけだ。
彼らとの交流を、ぼくは楽しく思っていた。でもひとつ、気になることがあった。彼らのうちのひとりの姉のこと。
そう、つまりきみのことだ。
もっともそのときは、友人の姉が、すなわちきみだとは知らなかったけれど。
この村には、ぼくと同じく黒い髪の少女がいるらしい。それも、ぼくと同い年くらいである、という。そんな話を聞いて、気にならないわけがない。
でも残念ながら、実際に会うことはできそうになかった。
その少女は、村の大部分から嫌われていた。『村八分』、というべきかな。幸運にも比較的受け入れられていたぼくも、下手に彼女と関われば同じ目に遭うかもしれない。
もっとも。ぼくが好意的であったところで、ぼくの友人たちもきみを嫌っていたことに変わりはない、と思うかもね。その点では、きみは弟さんに感謝すべきだと思う。
ぼくが居候していたあの一家と、その息子と友人たちは、あの村で数少ないきみの味方だった。
そしてそれは、紛れもなく弟さんの成果だ。
村の端に住む黒髪の異端者の話になるたび、弟さんが懸命に弁護を繰り返したおかげなんだ。
彼の姉は変わり者で、変人で、偏屈な読書偏執狂だが、しかし心優しい人なのだ、と。
その主張を、彼らがどれほど信じていたかはわからない。心優しいかどうかについては疑わしいし。……これは冗談だけれど。
彼らが弟さんの主張をどこまで認めたかは別にしても。その女の子は自分たちと同じ人間であるらしい、ということは、薄々察していたと思うよ。
ぼくの居候先の一家は、ときどきだけれど弟さんに食料を融通していた。きみのおじであるという行商人の存在は知っていたけれど、彼がすべての食事を賄っているわけもないだろうから、食べ物が多いに越したことはない、とさ。
彼らの友人の姉のことも、比較的気に掛けていた。彼女が好んで読んでいるという本の話とかね。
一度だけ、その本の内容について弟さんが聞かせてくれたことがあった。ふわふわとした要領を得ない話だったけれど、『魔法の探究』、という一節は少し印象に残っていた。
そして、ある日のことだ。
きみの話を踏まえれば、その日が始まりだったのだろう。
姉の様子がおかしいのだと、その友人が言ったのさ。
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もっとも、彼の姉がおかしいのは今に始まったことではない。
識字率が低く、親の仕事を手伝うか遊ぶかで日々を過ごしている彼らにとって、毎日引き籠って書物ばかり読んでいる少女はだいぶ異常だった。
もちろん弟さんも、周囲にそう思われていることは承知している。そのうえで、それ以上におかしいのだ、と主張したわけだ。
今度はなにやら真っ黒で薄気味悪い本を手に入れたようだ、とは数日前に聞いていた。かと思えば薄っぺらい紙を睨みつけていた、とも聞かされた。次の日には、彼が家に帰った途端にばたばたと何かを片づけ始める音が聞こえたらしい。
間違いなく姉の様子は少し変だけれど、それほど大げさにすることでもないだろう、と思っていたという。
しかし、ちょうど昨日、異変は悪化した。
話しかけても返事がなかった。
虚ろな目で、ぼうっと本を眺めていた。
稀によくあることだ、と彼は、思おうとした。けれどできなかった。その日の彼女の様子は、本に熱中していて周囲が見えない、という状況とはかけ離れていた。
熱量が足りなかったらしい。
彼女が書物に対し向けていたという、暖かく熱い気持ちが、その瞳には伺えなかったそうだ。
結局、気味の悪い状態の姉に話しかけることはできず、変なものが散らかされていた食卓にも近づけず、他の部屋で適当に夕飯を終えると、逃げるように彼は眠った。翌朝には彼女はいつもどおり、早起きして朝食を作っていた。そのことにひと安心した彼は、しかしすぐに気がついた。
姉が自分の様子をじっと伺っていることに。
彼が外出するのをじっと待っていることに。
……もちろん、そんな相談を聞いて落ち着いていられるほど、ぼくらは薄情じゃない。けれど、残念ながら、情が厚いだけでは状況を変える術にはならない。
ぼくらには何もできなかった。
ぼくたちは、本について何も知らなかった。
彼女を狂わせているのがその本なのかもわからない。仮にそうだとしても、どうやって助ければいいのかわからない。端的な手詰まりだ。
ぼくらにできたのは、ただ友人を慰めて、不自然でない程度に早い時間に送り出すことだけだった。ただしひとつだけ、帰路につく彼に約束をさせた。明日はなるべく早くここにくるように、とね。
翌日。弟さんは、なんともいえない表情でぼくらの前に現れた。その話を聞いたぼくらも、なんともいえない表情を浮かべることになった。
彼が帰宅したとき、彼女は少なくとも、その前のように自失した状態ではなかった。
眼差しに、きちんと意思は宿っていた。本も、きちんとどこかへ片づけていたけれど。だから異常はなかったのか、といえば、それも違う。
姉は何かを考えていたと、その弟は語った。
夕飯の準備をしながら。向かいあって食事をしながら。食器を洗って片づけながら。
その間もずっと、何かを考えていた。
目の前ではないどこかに視線を向けながら、思考に頭を没していた。一言も口を利くことなく。
それを吉兆と思うべきか、嵐の前の静けさに過ぎないのか、ぼくらに判断する術はなかった。
翌日も、状況は変わらなかった。経過報告を聞いたところで、結局できることはない。気を紛らわせるような雑談に終始して、一日は終わって。
次の日、状況は一変した。
ぼくと居候先の息子のふたりがいることで、最近の彼ら幼馴染組はぼくの仮宿へ集まるのが通例だった。その日も、朝の遅い一名を除いた全員が到着していた。そこへ最後のひとりが普段より早く駆けこんできたものだから、彼らは浮き足立った。
姉が姿を消しているのだ、と弟さんは言った。
それだけで、彼は機能を停止した。うろたえるばかりで話にならない。状況が不明なことに真っ先に業を煮やしたのは、ぼくの居候先の息子だった。
……この緊迫した場面だと、肩書きの長さは少し嫌になるね。
ともあれ、彼の一声を受けて、ひとまず現場に向かってみることで全員の意見は一致した。瞬きの間に走りだしていく彼らのあとを、居候なりの謙虚さをもって、最後尾でぼくは追いかけた。
現場──つまりきみの家の前にぼくが辿り着いたとき、もう他の連中は家のなかだった。戸口から室内を覗きこんでみると、雑に脱ぎ捨てられた草履が沓脱に散らばっていた。ぼくは黙ってそれを整理すると、自分も脱いだ履物の踵を揃えてから家にあがった。
人の家を訪れたときは、そうするのが普通だからね。
玄関を抜けてすぐにある部屋に他の皆が集まっていた。慌てて走ってきたあとで、ひとまず息を整えているらしい。家主の弟さんに湯呑を差し出されたから、礼を言ってぼくも受け取った。
その頃になるとようやく彼も頭が落ち着いたようだった。改めて事情を聞く……といっても、新しい情報はなかった。
目を覚ますと姉がいなかった、という時点で、彼の世界は止まっていた。
一方で、ぼくの友人たちは頭を回転させる。朝食をとった形跡は、草履は残っているか、荷物は減っていないか、という立て続けの問いに、唯一この家を知る彼はあたふたと歩き回っていた。
結論としては、どうやら普通に出かけたらしい、ということになった。
朝の食事も終えたようだし、履物と衣服が一部消えている。この家を訪れるような第三者もいない。自分の意思で外出した、と判断しても問題はないだろう。
そうとわかって彼らは安心したようだった。少なくとも見てわかるような非常事態ではないということで、体の力が抜けたようだった。
もちろん、ぼくも同じだよ。目の前の急を要する問題が解決したことを喜んで、そして。自然と次に考えが向くであろう、ごく平凡な提案をしたんだ。
今のうちにあの本を調べてみないか、って。
彼らは、一様に目を見開いた。安堵感で気が抜けていて、そのことに考えが及ばなかったのだと思う。すぐに思考が追いついて、人が不在の間に家を漁るのは失礼じゃないか、という疑問も出た。それは的確な疑問ではあるね。
でも、今は非常かもしれない事態だった。
友人の姉が危険な本に魅入られているかもしれない。それなのに手をこまねいてはいられない。本人に自覚のない危機が迫っているのなら、その弟の友人であるぼくらが手助けを試みるのは、普通のことだろう。と、ぼくは言った。今は家探しも許容してもらうしかない、と。
ぼくにとってごく普通のことを言ったんだよ。
誰にだってそれは普通のことだと思っていた。
だって彼らも、それを受け入れて頷いたから。
一応弟さんの了承を得て、ぼくらは家を捜索することにした。もちろん、彼女の衣服などがしまってある区画には女子を割り当ててね。それは当然の配慮だろう。担当範囲を決めると、早速ぼくらは調べ始めた。
弟さんから聞いていた特徴に当てはまる本が発見されるのにそれほどの時間はかからなかった。知ってのとおり、貧乏な村だし、狭い家だからね。
見つけたのはぼくだった。
元の部屋に集合し、食卓に置かれた本を囲む。黒地に赤、不吉な色合いだ。見つけたのはいいけれど、どうしよう、と誰かが聞いた。誰も答えられなかった。しばらく沈黙が続いた。誰もがそれぞれの表情を浮かべて、不気味な本を見つめていた。その表面を眺めていても、事態が進むはずがなかった。
状況が膠着したままなのはよくないだろう、とごく平凡に思った。
だから、ぼくは言った。
読んでみよう。




