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承:魔女の隠れ村 1/2



   ◆



 十三歳の当時の私は、村の誰もに疎まれていた。


 その原因は語るまでもない。都会の学園と田舎の村に、根本的には違いなどない。

 黒色の髪と緋色の瞳は、金髪緑眼の彼らから排斥されるのに充分な理由だった。


 村の中を歩いているだけで敵意と嫌悪の目を向けられる。視線だけならかわいいもので、酷いときには年下の子どもから石を投げられることもあった。

 ただ異質であるというだけで厭われる。特に何かをしたわけでもないのに嫌われる。そんな生活に見切りをつけるのに、それほどの時間は要らなかった。


 そうして私は、家に引き籠もって暮らすようになった。思えば、今とたいして変わることのない状況だ。周囲から受ける認識についてもそうだし、私自身の行動もまた同様だった。

 呆れるかもしれないが、当時の私も本の虫だった。


 とはいえ、蔵書等の環境面においては、あんな辺境の村がこの学園に勝るはずもない。物流すらさほど多くないあの場所で、私が読んでいたのは主に一冊の本だった。


 その題を、『魔法の探究』という。


 両親が形見のように遺していった本だ。決して廉価ではなかったであろうその本を、どうして彼らが持っていたのかはわからない。物心つく前に亡くなった彼らのことを、私は何も覚えていない。

 唯一確かなのは、私がその書物を非常に気に入った、ということだけだ。


 娯楽も、自由も、何もない村だ。迂闊に外を出歩くことすらままならない、小さな箱庭だった。

 でも、あの本だけは違った。


 その中には世界があった。


 広い世界の数ある土地で、幾多と語り継がれている奇跡があった。想像すらも及ばない数多の神秘と、脆弱な人の身では到底敵わない自然の豊かさと。

 そのすべてを懸命に解き明かそうと試みる、人の智慧と努力と営みの軌跡が記されていた。


 閉塞的なアプレイスという村の生活に私が耐えられたのも、あの本があってのことだと思う。

 外見の差異に囚われ私のことを嫌う村人たちの、なんと矮小なことだろうか。世界は彼らが思う以上にあまりにも広く、それと比べれば、人が人ひとりを嫌うことなど些末に過ぎない。そう考えられるようになったのは本のおかげであり、私が厭世に走らなかった第一の要因である。


 しかしながら、そこに第二の理由があったことを忘れてはいけない。書物の中に広がる世界の豊かさは確かに私を癒してくれたが、それだけだったなら変に拗らせる結果に終わっていただろう。

 私が適度に人としての体裁を捨てずにいられたのは、弟の存在があってのことだ。



   ◆



 弟の朝は遅かった。

 大抵の場合彼が起き出してくるのは、私が目を覚まし、寝具を出て着替え、諸々の雑事を済ませ、ついでに朝食を作り、自らの分は食べて、食器を片づけ、そうして暇になっていつもの本を読み始める頃のことだ。


「……また本読んでる」


 呆れたような声が聞こえて、本から目を離した。私からすれば、弟がまた寝坊しているというのが事実なのだが……それは言わないことにしていた。


「ご飯はもうできてるよ」


「了解」


 頷いて去る、その寝癖が目立った後ろ姿を生暖かい目で見送った。長めに伸びた金髪のあちこちが逆立ち、あるいは渦巻いている。

 私とは違い、彼はこの村の大多数派と同じ色合いをしていた。その髪色と緑の瞳は、村人たちにごく自然に受け入れられている。彼の存在がなければ、私は日々の食糧にすらありつけずに死んでいただろう。


 なぜ、弟と私は、髪も瞳も色が違うのか。

 本当に、同じ血が流れているのだろうか。


 そんな疑問を押して殺して、視線をいつもの本に戻した。

 考えたって、意味のないことだろう。

 どれほどまでに想像を膨らませても、実際の過去を私は知り得ないのだから。実を結ばない愚かな思索を重ねるより、もっと有益なことを学ぶべきなのだ。


「……姉さんってさ、いっつもその本を読んでいるよね」


 貧乏人の家は狭い。自然と、食事するにも読書するにも、同じ座卓で膝を突きあわせることになる。

 遅起きの弟が朝食を掻き込む対面で私が本を読むのはいたって日常的な光景だったが、そこで彼が口を開くのは珍しかった。


「そんなに長々と読んでいても飽きないものなの?」


「飽きないね。何度読み返しても、そのたびに新たな発見がある」


「何度も読み返してるんだ……」


 顔を上げずに適当な返答をしてみると、驚いたような、呆れたような声音が返ってくる。手を止めてこちらを茫然と見つめている気配がある。

 咀嚼の音が長く途切れたので声をかけようと思ったが、それは弟自身の言葉に遮られた。


「それって、どんなことが書かれてるの?」


「…………」


 思わず顔を上げてしまった。

 あの普段何も考えていないかのごとく能天気に過ごしている弟が書物なんかに興味を示すとは天変地異の前触れではなかろうか、と一瞬考えたが、どうやら会話の流れからなんとなく訊いただけのようだ。間抜けに口を開いた様子にそれほどの深謀は感じられない。食べないのか、と問うと慌てて手を動かし始めたが。


 それはさておき、と考えを巡らせる。自分の好きな本の内容を尋ねられて血の騒がない人間はいないだろうが、ここで焦るのは禁物だ。早口でまくしたてるように語ったところで、この弟が耳を貸すはずもない。いかに興味を持続させつつ詳細に説明しようか……と作戦を練るのも面倒なので、順当に話を進めることにする。


「内容を知りたいのなら、まず表題を見るのが近道だね。この本の題名は、というと……このように、『魔法の探究』と書かれている」


「魔法、探究。つまり魔法についての本ってこと?」


「まあ、そう言っても間違いではない。実際、本文中でも多くの例が挙げられている。『未来を予言する』魔法とか、『瞬時に空間を移動する』秘術とか、『人の傷を癒す』奇跡とか、『屍人を蘇らせる』禁忌とかね。とはいえそういうものだけではなく、もっと小規模で身近な現象も例示されているけど」


「火をつける魔法とか、光で照らす魔法とか?」


「そう、だね。ある意味ではそうともいえる。しかしこの場合には違う。火をつけるのも光で照らすのも、現代では魔術に属する所業だ」


「魔術……?」


「そしてこの本も。『魔法』の探究と銘打ってこそいるが、その紙幅の大半は『魔術』を語ることに費やされている」


「…………」


 黙りこんでしまった。魔法と魔術の何が違うのか、とその顔は強く主張している。無理もない、と私は笑う。


 それはかつての私も同様に首を傾げた疑問であり。

 今の私がもっとも熱を入れて語りたい点でもある。


「この本の表現を借りていうならば──魔法とは、神秘や奇跡や禁忌や自然のことだ。

 人の思考では到底理解の及ばない、ただそこに在るだけの不思議な現象のこと。

 理解不能であり再現不能であり説明不能であり構成不能であり、常人の身には不可能である、そんなあらゆる事象のことを指す」


 もっとも、この定義にも曖昧な面はある。

 たとえば仮に、『未来を予言する魔法』を扱う予言者がいたとして。その人物は『魔法』を可能としているのではないか、との指摘は正当であろう。もちろん仮定が偽ならばこの思考実験も無意味なのだが、現実にそのような超人を自称する者がいてもおかしくはない。

 そこで、もう一方の定義が重要になってくる。


「対して広義の魔術とは、人類の叡智と研鑽の集積により達成されたあらゆる技術のことを指す。

 過程を理解可能であり、原理を説明可能であり、方法を人為的に構成可能であり、そして条件を揃えれば誰にでも再現可能である──つまり、人の業が可能としたあらゆる事象を魔術という。

 そのなかで、特に魔力現象のみを狭義の魔術と呼ぶわけだ。狭義に含まれない魔術は科学と呼ぶこともある」


「なる、ほど……?」


 目を白黒させる弟の様子に構わず、私は続ける。


「ここで重要なことがふたつある。まず、この魔術の定義により、魔法は否定的に再定義されるということ。つまり魔法とは、魔術でないものを指すことになる」


 先ほどの予言者の例を再考してみよう。その人物が自ら行う予言の原理を客観的かつ再現可能なものとして語れるとするならば、それは魔術による『予言』となる。そうでなければ魔法と呼ばれるわけだ。

 もっとも、予言と一口でいってもその言葉が指す範囲は広い、という点での曖昧さは避けられないが。


 それはさておき。


「どれほど一見にして不可思議でも、いかに結果が直感に反していようと、説明可能ならそれは決して魔法ではない」


 高度に発達した科学とはすなわち魔術でしかない。


「そして、ここからがさらに重要な話になる。

 魔術の定義はあくまで暫定に過ぎず、次第に拡張されうるものなんだ。

 魔術の定める限界は、人類が新たに何かを発想するたびに広がっていく。同時に魔法は、少しずつ領域を狭めていく。それはつまり──」


『魔法の探究』を読んだときもっとも感銘を受けた思想を、声高に私は語る。


「人の叡智と論理は魔法の神秘性を世俗に貶める」


 好奇心の果てに、人は神をも殺す。

 科学と魔術の極致はいずれ、奇跡の価値を零落させる。

 実験と理論により現象は限りなく解体され、あとには一切の不思議が残らない。


「過激な言葉だと思う? けれど、それは逆説的に、今は魔法と呼ばれているあらゆる事象がいずれ魔術の域に入るかもしれない、ということだ。

 だって、人の可能性は無限だから。

 果てのない好奇心は、いつの日かすべての魔法をその手にかける。あらゆる魔法が人類の掌中に収まり、夢も奇跡も不可能も失われ、ただ可能性のみが残る──かもしれない」


 あらゆる夢物語が、空想ではなくなる。

 それは、なんて、夢のない夢だろうか。


「そして──そしてすべての魔法が魔術に呑まれた暁には、もはや不可能なんてない。

 だって魔術とは、過程を理解し方法を構成すれば、誰にでも再現できるものなんだから。

 原理的に差別が生じえない。誰にだってどんなことだってできる。

 見た目が嫌なら変えてしまえばいい。どんな相手とだって仲良くなれる。生活に困ることも、食べ物が足りなくなることもないし、


 ──死んだ人とだって、話せるかもしれない」


 両親に会って、話すこともできる。

 どういう経緯で私なんて人間を産むことになったのか、聞くこともできる。


 かもしれない。


「だから私は魔術に夢を見る。魔法を探究し尽くした末に魔法が失われた世界に憧れている。

 ……とまあこんな感じのことが書かれているのが『魔法の探究』という本の一章で、二章以降ではより一般の魔術について、正確には魔力現象の扱いについての話に移るんだけど……」


「ごちそうさまでした」


「……あれ?」


 はっとした。夢から覚めたような心地だった。気づけば弟は朝食を終え、使った食器を片づけようと立ちあがっていた。


 ──やってしまった。


 すっかり語ることに夢中になって、早口でまくしたてる偏執狂と化していた。こんなありさまではますます本を厭われるだけだ。私のような無能の存在がこの王国の読書人口を減らしているのだ。


「それじゃあ、今日も出かけてくるよ。いつものところ、友達の家に」


「……うん」


 すっかり失意に打ちひしがれる私に追い打ちをかけて、弟は家を出ていく。……と、履物に足をかけたところで立ち止まり、こちらに身を翻した。振り返る彼は、なんともいえない、笑いのような呆れのような表情をしていて。


「……話の続きはまた今度、じっくりと聞かせてよ」


「…………うん、いってらっしゃい」


 今度こそ出かけてゆく弟の後ろ姿に手を振って見送ると、私はほっと一息ついた。深い、深い安堵に身を委ねていた。

 弟は、村の彼らとは違う。

 確かに私と趣味は違うし、見た目も性格も正反対で血の繋がりさえ疑わしいが、それでも、異物の私を受け入れてくれる。

 あれほどの醜態を晒しても拒絶するわけではなく、仕方がなさそうな雰囲気で呆れと諦念の意思を表してくるが、しかしそれだけだ。

 全面的に肯定するわけではなくとも、決して冷たくはない。


 彼の暖かさが私を救ってくれている。


「……とりあえず食器を洗ってこよう」


 独りきりになった家の中で、自分がやるべきことだけはやろう、と私は動きだす。そしてそれが終わったら、またゆったりと本を読むのだ。


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