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起:図書室の魔女 2/2



   ◇



 この学園の図書室は広い。

 そもそも図書室と銘打ってはいるが、なにやら特殊な魔術が施されているらしく、その実態は図書館である。

 つまり、見取図にはある階のなかのひと部屋として記録されているが、その中身は複数階建てになっているのだ。

 空間拡張術式というものであるらしい。

 理屈を聞いた限りではよくわからなかったが、見れば一目にして瞭然であろう。


 つまり私のことは、本来図書館の魔女と呼ぶべきであるはずなのだ。


 しかし実際には図書室呼ばわりされているのは、噂を流した誰かは現地を訪れたことすらなかった、ということなのだろう。実に嘆かわしいことである。


 ともあれ、そういった事情もあって、この学園の図書室は広い。単純に蔵書が多い、ということもあるが、それに加えてさまざまな位置に座席が配備されている。

 入学したばかりの頃はいろいろな席を試してみたものだ。高階からの眺望を楽しんでみたり、窓際の席で日差しを浴びてみたり。しかしながら、その多様性にもすぐに飽きてしまった。

 本を読む際に景色がよくとも意味はないし、陽光が心地よい環境では睡魔に誘われる。何事も普通が一番である、というわけで私は、入室して少し奥へ分け入ったところの席に陣取るようになっていた。


 つまるところは要するに、定位置に異物が存在している状況はひどく不愉快であるわけだ。


「…………」


「…………」


 今日も図書室は静けさに包まれている。しかし、その沈黙の質は普段と異なっている。


 本を読んでいる姿勢は保ちながら、上目遣いで向かいの席を伺ってみる。

 少年の様子は、今朝と変わらなかった。

 どこにでもいるごく普通の学生、といった雰囲気の平凡な風体。表題のわからないなんらかの本を、ただ一心に読み耽っている。私が登校した早朝から、陽が直上に昇りつつある現在まで、一向にその構図は変わらない。


 と、不意に彼が身じろぎをしたので、慌てて本に視線を戻した。鼓動が、痛いほどにざわめいている。誰かと同じ空間で、ともに読書をするのは初めての経験だ。意識が落ち着かない。


「……あのー」


 そこに呑気な声が聞こえてきて、私は再び顔を上げた。困ったような笑みを浮かべた少年は、読んでいた本の表紙をこちらに向けてくる。

『魔法の探究』と、そこには記されていた。


「この本って、読んだことあるかな? もし既読だったら質問したいことがあるんだけど……」


「……懐かしい」


 知らず知らずのうちに、思考が口から出ていた。

 見覚えがある本だ。

 見覚えがある、どころではない本だ。

 かなり昔の魔術師が、自身が研究した魔法について体系的に纏めあげた書物。現在の魔術研究の根幹といっても過言でない、という歴史上価値を私が知ったのは最近のことで。そんなことは知りもしなかったかつての私が、しかし貪るように、暗唱できるほどまで読み返していたその本は。


「三年くらい前、夢中になって読んでいたわ。今でも内容の大部分は思い出せる。どこがわからないの?」


「本当? それは助かった。全体的な理念はなんとなく理解できてきたんだけれど、細かいところがよくわからなくてさ。たとえば、この術式なんだけど──」


 訊かれるがままに二点三点答えを返す。今日はちゃんと質問に応じてくれるんだね、との揶揄も気にならなかった。

 応答がひと段落したところで読んでいた歴史書には栞を挟み、代わりに図書室内を少しうろついて、適当に魔術学の専門書を見繕う。いつもの席に戻ってその本を読み始めながら、ときどき飛んでくる疑問に回答する。

 昼の食事やお手洗いを挟みながらもそうしているうちに、気がつけば日が暮れていた。


「今日はいろいろと教えてくれてありがとう。おかげさまで教養が深まった気がする。そんなに魔術に詳しいなんて、まるで本当に魔女みたいだ」


「そうかもね」


 冗談めかした口調に、肩を竦めて返す。ぶっきらぼうな返答をしつつも、唇端が笑ってしまっている自覚があった。冗談を言いあえる関係性が一日で形成されていたことに、少しばかり驚く。


 いつからだろう。

 気がつくと、少年という他人の存在に緊張しなくなっていた。



 その翌日からも、新しい生活が続いた。定位置の席で、いつものように本を読みながら、時折彼と言葉を交わす。そんな時間が存外楽しいものだと知った。


 少年は、それまでにほとんど読書をしたことがなかったらしい。初日以降もいくつか本を読んでいたが、いずれもこの学園で参考書指定されているもので、実質的に単なる勉強と変わりなかった。


 それではいけない、と数日目に私は指摘してしまった。

 もちろん、勉強が不必要なわけではない。同学年の学生の大半は指定された参考書にすら触れず授業だけで済ませているであろうことに比べれば、むしろ非常によいと思う。

 だが、勉強だけを読書の意義と考えるのもまたよくない。学術的な参考書だけではなく、文学的な著作物もまたこの図書室には多く眠っているのだ。


 国文学のなかで特に気に入っているものを一冊。歴史書であると同時に壮大な浪漫を教えてくれる本を一冊。大衆向けの娯楽として突き抜けた傑作を一冊、それぞれ探してきて押しつける。

 この国の今の写本技術では大規模な流通が難しいため、他所では入手できないであろう掘り出し物揃いである。書物の中に広がる濃密な空想の世界をとくと味わうがいい。


 そんなふうに、私の好みを推し薦めたり。互いに言葉を交わすことなく、それぞれの本を読み進めたり。あるいは迫る試験に向けて勉学に励んだり。と、そんな毎日が続く。

 特に、講義に出ない私にとって試験成績は死活問題だ。実技で成績の決まる科目もあり、魔術の修練も欠かせない。読書の時間が減るのは少し悲しいが、大手を振って図書室に籠もっていられるのは好成績があってのことだ。もはや常連と化した少年も巻きこんで、何度か勉強会を行った。

 これまでの試験における彼の得点はすべて例外なく平均点と一点差以内であった、という苦労話には流石に笑ってしまった。その容姿といい、彼はどこまでも平凡から離れられない人間であるらしい。


 試験が終われば、またいつもの日常が戻ってくる。


 そう、それはもはや、私の日常と化していた。

 彼とともに過ごすことは──互いに本を読みながら同じ時間を共有するということは、私のいつもどおり(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)になっていたのだ。


 このころになると、彼の読書の幅も広がっていた。私に薦められる本ばかりではなくて、自分で興味を抱いた本も漁っている。そして、たまに面白かったものを私に推してくる。すでに彼もまた立派な読書好きであった。そして、本を愛する人間に悪い人がいるはずもない。

 本好き同士での交流がいかに楽しいものであるか、私は思い知らされていた。


 彼とは趣味が合う。それはきっと、非常に嬉しいことだ。私が好きな本は大概彼も気に入ってくれるし、彼が薦めてくる本は私にとっても面白い。

 もちろん何から何まで好みが合うわけではなく、あちらこちらに小さなずれもある。しかし、その溝を埋めるために議論を重ねてみるのもまた一興なのだ。言葉を交わすほど、彼への親近感が強まっていくのを実感する。


 そんななかで、ふと少しだけ疑問が湧いた。

 彼が最初に読む本として、あの魔術書を──『魔法の探究』を選んだのはなぜだろう。

 確かに歴史上の価値は大きいが、講義の副読本としては他の入門書が指示されていたはず。王国の製本技術の未熟さを考慮したうえでも入手しやすいものが選ばれていて、出席していない身ながらもその選出眼には感心した覚えがある。

 けれど彼は、それらを選ばなかった。

 どうして、なのだろうか。


 それも気になるのだが、今の私には同時に悩まされていることがあった。


 罪悪感である。


 根本を辿ってみれば、私と彼との出会いはあの日の疑問に遡る。魔女の由来を問う言葉。それに答えることなく、私たちの関係は続いてしまっている。

 現状では、自分の好きな本を散々布教できたうえ新しい本の楽しみ方を知った私のほうが、明らかに大きな利益を受けている。

 これでは割に合わないというものだ。

 過去の負債は手早く返済して、あくまでも互いに対等な読書仲間としての関係を築いていきたい。


 加えて、これは私自身の問題でもある。

 過去を見つめ直し、自分の根源を確かめるのは、間違いなく重要なことだろう。それは学問でも人間でも、あらゆる分野で不変の真理だ。

 そして私は、あの日の出来事に、まだ疑問を残している。過去を語り、言語化することでその謎を解き明かすのは、避けられないことだと思う。

 それは私が私であるために必要なことだ。


 だから、覚悟を決める。


「質問に答えるよ」


 と、その日私は言った。いつもの図書室いつもの席で、対面に座る少年をまっすぐに見据えて。


「どうして私が魔女と呼ばれているのか。あの村は──私が住んでいたアプレイス村は、いかにして焼かれたのか。その問いに、今度はきちんと答えたい」


「……それは嬉しいことではあるのだけれど」


 言葉とは裏腹に、彼はなんともいえない表情をしている。


「ぼくもあの日は、かなりきみに失礼なことを言った、と思う。『村焼き』の噂を信じるとしても、それ相応の尋ね方というものがあったと実感しているよ。申し訳ない」


「気にしなくていいわ」


「そう言ってくれるのはありがたいし、今のきみが話したいというのなら友人として拝聴するけれど、しかし無理に聞き出すつもりはない。途中で話をやめたくなったなら、いつでも中断していいよ。──と、いうのは建前で」


「…………」


 呆れて物も言えない私に微笑を示しながら、彼は本音とやらを語る。


「ここ何ヶ月か魔術について学んで、改めて興味が湧いてきたんだよ。『図書室の魔女』の噂ではなくて、『魔女』という概念そのものについて」


「……と、いうと?」


「少なくとも、学問としての魔術を論じた書籍に『魔女』の記述は少なかった。魔術を自在に操る者は魔術師であり、神秘的な魔法を紡ぐ者は魔法使い。それで充分だからね。魔女という表現は、あまり用いられない」


「それは学問に限った話でしょう」


「そうだね。調べる範囲を説話や神話や童話に広げれば、魔女と呼ばれる存在が登場することは少なくない。

 しかしながら、その肩書きが担う役割に、魔法使いや魔術師との差異がどれほどあるだろうか?

 お伽話における魔女とは概ね、超常の力を象徴する存在だ。悪役であっても補佐役であっても、なにかしら他の登場人物とは一線を画した、不思議な力を使うことに変わりはない。

 それを魔法使いと呼ばない理由があるだろうか?

 ぼくにはわからなかった──だからこそ、興味をそそられる」


「…………」


 確かに、頷ける分析ではあった。

 古今東西の物語には、もちろん魔法使いが登場することもあるが、それとは別の魔女が現れることも多い。名称が違っても役割は似通っている、と感じる気持ちもわからなくはない。

 粗探しや難癖と呼べるものでもあるのだが。偶然であると切って捨ててもいいような疑問を抱えられるのは、彼の好奇心ゆえなのだろう。


 好奇心は大切だ。あらゆる学問はそこから始まるといっても過言ではない。

 私がこうして本を読めるのだって、出版の技術がそれほど発達していないこの国で、それでも何かを伝えたい、と強く感じた誰かがいたからだ。

 彼らの好奇と興味と関心なしに、書物は成立しない。


 しかし、と思いながらも私は、向かいの席の彼を改めて見遣る。どこにでもいるような、ありふれた少年だ。その瞳は、彼自身が語ったとおりに、『魔女』への興味に漲って碧色に輝いている。そのさまに、なんともいえない不安を覚える。


 彼の、全身に漂う平凡と、瞳に輝く非凡の印象が一致しない。

 その落差の間には、何が眠っているのだろう。


「そこできみの見解を聞きたい」


 無為な思索を遮るように、少年が言葉を続けた。


「といっても、別に正解を求めているわけじゃないんだ。むしろ学問とか説話だとか、そんな先入観は捨ててほしい。

 ぼくが聞きたいのはきみの物語だ。

 ぼく以上にさまざまな本を読んでいて、そして今、まさに魔女と呼ばれている。そんなきみにとって──魔女とは何なのか」


 それを聞きたいのだ、と彼は言う。一般論ではなくて、あくまで私にとっての、魔女という概念を。


 頷かないわけにはいかなかった。


 その観点の重要性を、私自身が予感している。あの日のことを語るうえで──私の罪を語るうえで。どうして私は魔女なのか、という自問には、きっと大きな意味がある。


 だから私は、語り始める。私の過去を明かし始める。

 いかにして私の村は焼かれたか、その真相に至る物語を。


「──さあ、魔女の探究を始めよう」


 ふたりきりの図書室に、彼の声が響き渡る。

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