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起:図書室の魔女 1/2

 魔法学園の図書室には魔女が棲んでいる。


 呪詛と怨嗟を塗り固めたかのような黒髪と、白磁を通り越して死人の如く色を失った肌。夜闇に紛れるほどに単調な色彩のなかで、鮮血の色を宿した瞳と唇が不吉な印象を残している。


 身に纏うのは学園指定の制服である。本来ならば上品に学生を飾るはずの、漆黒と深紅を基調としたそれは、しかし彼女の異質さを際立たせる結果に終わっている。


 彼女の正体を知る者はいなかった。

 金髪翠眼の血が根底に流れる王国の民でないことに疑いはなく、さりとてどの異国の出身であるかは知られていない。黒髪が連想させる候補は幾つかあれど、特定に至れるほどでもない。

 ただし唯一、その過去を物語るかもしれない情報があった。


 学生たちは知っていた。

 数年前に滅びた村のことを。

 異端として焼き払われたという村落のことを。

 その焼き討ちの契機になったという、魔女の噂を聞いていた。


 当然ながら、その風聞と彼女を結びつける根拠はない。魔女の顔貌を知る者はいなかった。そもそも、村の名すら定かではなかった。しかしながら、彼女をその巷説と関連づけない理由もまた、なかったのである。


 彼女は異物だった。

 不自然で、そして不明瞭であった。

 この国の民とは決定的に色彩の異なる、それでいて不吉なほどに美しい容貌が。入学以来、極めて優れた成績を記録し続けているその知能と魔力が。にもかかわらず講義に顔を出すこともなく、日々を図書室に籠もって過ごしている行動が。

 そのすべてが一般学生の好奇と関心、そして畏敬の対象だった。


 ゆえに、彼らは。

 自分たちと同じ人間であるはずもない彼女のことを、畏れを以て口にする。



 図書室には魔女が棲んでいる──、と。



 そんな噂のことを、私は心底くだらないと思っている。


 どこから否定すればいいものなのか。アプレイス(﹅﹅﹅﹅﹅)というあの村の名すら知らない連中に何を言えばよいのだろうか。などと考えてゆくと面倒になり、それゆえに放置しているうちに憶測と妄想は膨れあがり、手に負えなくなったので今では諦めたが。


 少しばかり風貌が異なる程度で排斥の意を示す、そんな連中に呆れ果てる生活にも慣れたものだ。人脈構築を目標とする努力は入学当初から放棄している。最初から知識の集積のみを目当てに図書室へ入り浸ったことは、今振り返ってみれば正解であったと断言できよう。

 とはいえ、他の学生が魔女の噂を怖れて近づこうともしなくなったのは結果論に過ぎないが。むしろその点では、膨大な量の書物を独占してしまっているようで罪悪感も抱かされる。


 この学園の蔵書量は凄まじい。私がここを訪れた最大の理由がそれだ。身寄りも縁もない私としては学生寮と奨学制度の充実具合もまた一因に数えていたのだが、本の誘惑には抗えなかった。

 その点、実質的に図書室の主と化している現状は喜ぶべきなのかもしれない。しかし自分の過去を思うと、あまり望ましくはないとも感じる。


 本は人を区別しない。


 識字力と言語理解こそ要求するが、それを除けば貴賎をもたない。むしろどんな読者にも等しく読解を強いる点で、悪平等かもしれないが不平等では決してない。


 他者を散々区別し差別し排他する人間とは大違いだ。


 だから、と論理を展開するのは、そのくだらない人間に力点を置いているようで避けたいのだが。決してあんな輩を主因としているわけではなく、あくまで副次的な結果に過ぎないが。


 ともあれ、今日も私は、本を読み耽ることで一日を終えてゆく。



   ◇



 その日も私は本を読んでいた。


 広々とした図書室でひとりきり。他の学生がこの部屋を訪れることは、今ではもはや皆無に等しい。教員がやってくることもあるにはあるが、彼らは職務にも追われている。常駐の司書もいるが、あの人は私の同類である。たまに顔を合わせて本の話をする以外、基本的には互いに不干渉を貫いている。


 かくして私は、今日もまた図書室の主をしているわけだ。


 部屋は静寂に包まれていた。頁を捲る音は環境音と一体になり意識から零れ落ちていく。人っ子のひとりもいない室内は、書物が醸す独特の匂いと、いっそ息苦しく感じるほどの沈黙に覆われている。


 別に、ひとりでいることがつらいというわけではない。単独行動には慣れている。ひとりだけでも生きていける。誰とも言葉を交わすことなく、ただ書物の世界に耽溺して埋没するだけの生活は、むしろ理想的だ。


 けれども、しかしながら。ふと顔を上げ、夢から覚めたような心地で静かな部屋を見渡すと、少しだけ心に刺さるものを感じる。物理的に単独である点とは明らかに別種の。もっと根本的に、本質的に、私は他者から疎まれている。客観的に観測されるその事実が、時折私の喉を締めつける。


 静寂は痛々しいほどに孤独を思い知らせてくれる。



 気がつくと、すでに陽は落ちかけていた。夕暮れの橙色が夜色に塗り替えられていく。字が読みづらくなってきたので机上灯を燈す。途端に世界は闇に消え、私の座る机が浮かびあがる。その上にある書物のみが照らしだされる。私の世界には本しかない。そのことを象徴するかのような情景に、少しばかり苦笑して。


 乾いた靴音が耳に届いた。


 指定の学生靴は、この図書室ではよく響く。思い思いの恰好で装う教師陣とは決定的に異なる、明朗で軽快な残響。淡々と間隔を刻む足音は、一歩一歩と強まっていく。


 近づいてくる。


「…………」


 緊張を自覚して、ゆっくりと息をした。大丈夫だ。何か、調べものがあるだけだろう。それとも司書に用があるのか。いずれにしても、私が目的とは限らない。過剰な自意識を落ち着かせよう、と可能性を列挙しているうちに、一定の歩調を保ちながらその人物はますますこちらへ接近し。


 ついには私が座る席の向かいにまで辿り着いてしまった。


「……暗いな」


 沈黙を縫うように吐き出された声は、高めの低音をしている。おそらく男子だろう。薄暗い闇のなかでも輝く紺碧の瞳が、呆れたように細められた。手を伸ばす気配がして、明かりが灯る。向かいの席が照らされて。


 真っ先に目に入ったのは、その黒色の髪だった。


 若干色味がかってこそいるが、明色というには程遠い。ぼさぼさで、短いながらもところどころ癖がついている、紛れもない黒髪。私と、同じ。


 その一方で顔立ちは、少なくとも整っているとは断言しづらかった。どこにでもいるような、ありふれた人相をしている。たとえば、私の弟にも似ているような。好意的にいえば、落ち着いている。悪くいえば、目立たなくて、特徴のない、群衆に埋没しそうで、存在感が薄い、そんな印象で。


 平凡を絵に描いたようなその少年は言った。


「はじめまして。きみが『図書室の魔女』さんだよね?」



   ◇



 私自身から、そう名乗ったことはない。しかし、自分がどう呼ばれているのかは認識している。果たしてどちらで答えるべきか、と少し迷って、代わりに質問を返すことにした。


「そう問うあなたは何者なのかしら?」


「名乗るほどの者ではないよ」


 対面の椅子に腰掛けながら、胡散臭い笑みを投げかけてくる。本意を伺わせない透明な微笑。答えるつもりはないようだ。まあ、無回答を先に選択したのは私のほうだったのだし、無理に訊くようなことでもない。

 黙って本に目を落とす。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………何も言わないのかい?」


「本を借りたいのならあちらが受付よ。あの司書がすぐに呼びかけに応じてくれるかはわからないけど」


「そういうことではなく。……ぼくはきみに用があるんだ」


「ふうん」


「…………では、端的に訊こうか」


 端的に言ってくれるらしいので、仕方なく私は顔を上げた。今度は衒いも紛れもない、いたって真剣な顔つきで、彼は言う。


「魔女について知りたいんだ」


「……へえ」


「魔女とは何か。何者なのか。そしてきみは、なにゆえに『図書室の魔女』と呼ばれているのか」


「私がいつも、ここで本を読んでいるからでしょう」


「それは知っている。つい先ほど、思い知らされたばかりだからね。けれど、違う。それだけでは不十分だ」


「どうして?」


「図書室での滞在時間が長いだけなら、『魔女』である必要はないからさ。たとえば『図書室の主』とか、他にいくらでも形容のしようはあるだろう。ならば、どうして、それでもきみは『魔女』なのか?」


「……さあね」


「つれないな、きみは。どうやら話すつもりはないみたいだね。それこそが、ぼくの知りたいことだというのに」


「…………」


「あのアプレイス(﹅﹅﹅﹅﹅)という村は、いかにして焼かれたのか。そこで何が起きていたのか。どうしてきみは、魔女と呼ばれるようになったのか。

 ……教えてくれないだろうか」


「答える義理はないわ」


「そこをなんとか」


「答える義理はないわ」


「そこをなんとか」


「…………」


 なにかしらの目星をつけているわけでもなく、どうやら本当に知りたくて尋ねているだけのようだった。なので今度こそ、私は本に意識を落とした。

 学園を出る前にきりのいいところまで読み進めておきたい。


 周囲に割く注意を極限まで削減し、本の中に広がる世界に没頭する。少年が呼びかけてくる気配を何度か感じたが、それには情け容赦のない無言を返した。応えのないことが堪える様子はなかったが、することもなく放課後に残っていられるほど暇でもないらしい。そのうち図書室を去っていく足音が聞こえてきたので、私は静かに勝利の味を噛み締める。


 そんな騒動を経ているうちに、すっかり夕陽は暮れ落ちて。読んでいる本の章末に差し掛かったので、今日はもう帰ることにした。

 栞を挟んで、本は机に放置しておく。他の誰かに読まれる心配はない。こうした振る舞いが可能なのは事実上の『図書室の主』であることの利点だろうか、と思いながらも荷物をまとめる。司書氏が戸締まりはしてくれるはずだから、あとはもう帰るだけだ。


 不意の来訪者に少しばかり動揺こそしたが、本を読んでいるうちにいつもの調子が戻っていた。やはり本はよいものだ。

 そう心中で詠嘆する私は、非日常はもう終わりを告げたものだとばかり思っていた。

 魔女の由来を尋ねる、そんな変わり者との遭遇は今日限りだと。明日からは普段どおりに本に溺れて過ごせるのだと、そう油断していた。


 翌朝図書室に登校した私が目撃したのは、見覚えのある少年が見覚えのある席に座って本を読んでいる光景だった。


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