開く工場
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
その工場見学を友達に持ちかけられたのは、大学4年の時だったと思う。
穴場探しに燃える私は、同じ学部の友達からとある工場見学の誘いを受けた。
最寄駅から電車で四十分、バスで二十分。そこからちょっと歩いていったところに、新しくできたお菓子工場があり、試食もすることができるとのこと。成人してから辛口の酒ばかり飲んでいたから、口直しにいいかもしれない。そう思った。
たどり着いた工場は、私が勝手に想像していた直方体に煙突が一本生えたような構造とは異なり、ドーム付きの球場を二回り小さくしたような作りだった。
それでも広さはなかなかのもので、構造も球場みたいに、従業員などが使うものをのぞいて8つ入り口があった。どこも帽子とつなぎを身につけた、ガイド役と思しき従業員さんが立っている。
「せっかく案内されるんだったら、俺は若くてきれいなお姉さんがガイドしてくれる入り口を選ぶぜ」と友達は息巻いていたが、それは多くの人が思うこと。
入り口の半分は条件に合致したものの、すでに人がたかっていて、別の入り口に誘導されてしまう。結局、私たちのガイドになってくれたのは、いかにもベテランといった香りが漂う、髪に白いものが入り始めた年配のおじさんだったんだ。
見学開始時間になる。私たちは他の入り口の人たちとタイミングを合わせて、一斉に入った。扉の開く重々しい音に、一緒に入る人のうち、小さい子が泣き始めてしまって、親御さんがなだめ始める様子が、ちらりと見えた。
てっきり私は入ったところは受付なり、みやげ物売り場なりが並んでいるのかと思ったけれど、どちらかというと管制室のような作りだったね。
正面はガラス張り。壁にも手元にも計器がくっついたり並んでいたりで、おびただしい量のボタンとランプが規則正しく並んでいる。
私たちはガラス越しに、下を見るよう促された。ガラスには手をつかないように、との注意つきで、一緒に入った人たちとガラス際にずらりと並んだ。
私は自分たちが工場全体で、かなり高い位置にいることが見て取れた。
外観通り、天井は閉じられていて明かりも少なく、暗い。対して下は、20メートルほどの深さはあるだろうか。どうにか働いている人の背格好が分かる程度。その人たちよりやや上部の柱側と、私たちのいる管制室もどきよりのフェンス上部に、照明が取り付けられている。柱の根元から、扇形に壁が広がって仕切ってあるのも見え、どうやらブロックごとに作業が分かれている模様。
今、私たちの眼下では、いくつかの大鍋が置かれており、見張る人と中身を運搬する人に分かれて、せわしなく動いている。
「全工程で最初の、加工部分ですわ。ちょうど今から添加物を加えるところでしてね、あの向かって左端の大鍋に、各鍋から従業員が運んでいったものを、入れていくんですわ」
指さされた左端のなべは、柱からもフェンスからもやや離されたところに置かれている。何やら中身は赤い色をしていて、自然とぐるぐる渦巻きながら、煮えたぎっていた。
鍋の縁には四方にはしごがかけられており、一方は見張り役らしく、鍋の様子を見ながらじっとして動かない。残る三方のはしごからは、他の鍋たちから持ち寄った色とりどりの液体を、従業員が順番にはしごを上り、中身に混ぜていく。
「放っておいてもじきに完成しますが、些細な変化も見逃さないように、見張りがついているのです。さあ、次に参りましょう」
管制室もドームの設計に沿って、通路が曲線になっている。その時々で立ち止まり、私たちはおじさんの解説を受けた。
次のブロックでは、前のブロックで生成されたあの液体をラインに流している。先に進めば進むほどラインはどんどん細くなり、液体は大河のような幅から、やがてホースと大差ない幅まで縮められてしまう。
そのラインの中途でも、両側には人が立っており、手にしたコショウ挽きのような道具で、何かをまぶしているのが見えた。そしてラインは壁を貫通し、先のブロックへと続いている。
三つ目のブロックでは、前ブロックのラインの行く末が分かる。おじさんいわく成型機とのことで、ラインがつながっているところと反対の部分からバラバラと、ホースが粒になったものが出てきて、再びだだっ広くなったラインを滑り出す。中で切断をしているのだろう。
粒といってもそのひとつひとつは、ここから見える人の頭ほどの大きさがある。彼らは流れる途中にあるものでも、構わずバケツのようなものを当ててすくい上げると、こちらから死角になる明かりの当たっていない箇所へ運んでいき、何をしているか分からない。
案内されながら私は違和感を覚えた。
ここに入ってから、時計回りにずっと歩いてきたが、てっきりどこかで壁が区切られて、外に出されるものだと思っていた。他の入り口から入る人に考慮すれば、そうするのが自然だろう。
だが、すでに通路は一周しようとしている。作業をのぞく時に真上や真下もうかがってみたが、同じ管制室のような窓は見受けられない。
あの時、別の入り口に並んでいた人は、どこに行ったのか……しかし、切り出すきっかけも得られないまま、私たちは管制室を一周してしまう。
「はい、皆さんお疲れ様でした。これにて見学は終了です。私たちのお菓子工場、楽しんでいただけましたでしょうか。最後に」
おじさんはつなぎの胸ポケットから、個包装したスプーンを出し、私たちに渡していく。
「実はこの計器たち、食べることができるのですわ。計器のケーキ……いやあ、お粗末! ぜひ召し上がってください。ただし一口だけですぞ」
だじゃれに構う余裕はない。私たちは目をつけられたくない一心で、手近なボタンにスプーンを伸ばす。大した手ごたえもなく削れたその身体を口に含む。水菓子のような甘さとみずみずしさが感じられたよ。
ろくにかまずに飲み込むや否や、ドンと大きな音がそばから響く。
先ほど私たちが歩いていた、ここから十歩ほど先の通路で、黒光りするシャッターが閉まっている。だが、すぐに違うと分かった。
シャッターの下の部分が、銀色に光る。あれは刃だ。あの鉄塊は空間を区切るためのものじゃない。空間を切り開くためのものだ。
加えて、窓の向こう。閉じられていたドームからかすかに光が差してくる。のぞくわずかな青空と、残された視界の大半を占める、中央の柱を真っ二つにしたあの鉄塊の延長……天井からここまで差し込まれた、長大な刃の影。
「いかん。皆さまお早く!」とおじさんが入って来た入り口に飛びつき、その戸を開ける。見えるはずの外の景色はそこになく、ただ暗闇が広がるのみ。進んでいいとは思えない。
私たちは足を止めかけたが、背後でもう一度、あの刃が降り落ちる音。更に近くで聞こえた。もう選べるのは、闇に身を躍らせるか、あの刃にみじん切りされるかのいずれか。
賭けだ。私たちは互いに目くばせすると、思い切って闇の中へと飛び込んだ。
気づくと、私たちは来る時に降りたバス停のベンチに、腰を下ろしていた。午前中にはあの工場に入ったはずなのに、すでに西へ傾いた太陽は赤みを帯びている。
先ほどの工場への道をたどったのだけど、あの場所には野原が広がっているばかりだったよ。
友達にあの工場での違和感を話したところ、彼も気づいていたららしいが、口には出さなかったとのこと。
「だってよ、あの案内しているおじさん。時々、こちらをきついまなざしで、にらむように見ていたぜ。様子をうかがう以上の、何かを感じさせるくらいさ」
見学から一週間後。私の実家から宅配便が届いた。それは箱に入った大きいスイカ。
珍しいこともあるもんだと思いつつ、ちょうど暑い盛りだったこともあり、私はスイカに包丁を入れる。
真っ二つにされたスイカは、ころりと中身を見せる。その種ははぐれたように散っていたものもあったが、大半が中心をぐるりと取り巻くように入っていた。中央部分はかすかに白みを帯びている。
けれど、更に細かく刻んでいって一口かじったとたん、私は吐き出してしまった。
同じ味がしたんだ。あの「工場」で味わったものと同じ、甘い味が。
実家に連絡を取ってみたけどスイカは送っていないという。直後に来た友人からの電話でも、実家の住所でスイカが届いたことを確認できた。
私は嫌な想像をしたよ。あの工場で作っていた赤み。一周してくる道をたどった私たち……。あそこで抜け出せていなかったら、とね。
一方で、あのおじさんたちのことも気にかかる。彼らは私たちを陥れるつもりだったのか。
だが、そうだとしたら、わざわざ最後で私たちを逃がそうとしないだろう。おじさんたちは、本当に純粋な気持ちで、自分たちの「仕事ぶり」を知ってもらいたかったのかもね。