88 現実逃避
主人公もやはり人の子だった。心身共に疲れた主人公達は旅に出た。
結局昨夜は一睡も出来なかった。洋子さんもボクに付き合い、ずっと起きてくれていた。何を信じていいのか混乱してしまっていたのだ。洋子さんだけは信じている。洋子さんもそう言ってくれた。
そしてボク達は、しばらくこの家を離れる事にした。洋子さんの判断で、ゆうこさんにだけは事情を話し、いつでも連絡が取れる様にしておいた。善さん達にも伝えておく様にとお願いも添えて。
こんな時にと誰もが思うかもしれないが、今は離れる事で、少しでも気持ちを軽くしたかったのだ。ボク達は、部屋から転移を使い家を後にした。
ボクが生まれたあの国は、今は冬で寒いのだろうが、ここはその逆で真夏の暑さが毎日続いている。家を出たボク達は、しばらくは国内を色々と旅して回ったのだが、どこに行っても監視されている気がした。
暇つぶしにと洋子さんが買った、旅行のパンフレットに載っている写真を見て、そこに転移を試みた。これがなんと成功したのだ。そこから更に南に行くと、島があると言うので、洋子さんがボートを借りて、その島を目指した。
今はそのボートも無い。一度来れば転移が使えるから、必要がないので返してある。そして無人島だ。出来るだけ食料を港町から購入して島で生活している。家を出てから既に半月を過ぎていた。
〜 某施設指令本部 〜
「あの二人はどこだ!いったいキミは何をやっていたんだ!え!川上くん!」
「はい!申し訳ございません!社長のご命令通りに監視を…」
「それが出来ていないから言っているんだ!それと、社長ではなく松林閣下と呼べ!」
先程から怒鳴り散らしているこの男は松林と言うらしい。そしてその怒りの矛先が川上という女だ。どうやら彼女は、この男の命令で監視を行っていたらしいが、この様子だと失敗に終わったに違いない。
松林は、上から見下ろす視線を川上に突き刺している。この男の威圧感には、少々異常さを感じずにはいられない、と言った類のもののようだ。全身を紺色に染め上げたスーツが鈍い光を帯びていた。
「はっ、申し訳ございません閣下。今、主人が行方を探っておりますので、もうしばらくお待ちを。」
片膝を着き、改まった姿勢で、言い間違いを正したと思われる川上だったが、俯き伏せられたその眼差しは、悔しさや反抗といった類の、そういう雰囲気を纏った鋭さを持っていた。
しかし、その言葉を聞いて尚、紺色一色かと思われた彼の、唯一他色でコーディネートされた黒い靴が、コンクリートの床を小刻みに鳴らしていた。それは人がイライラした時の仕草と取れるが、肝心のこの松林が口を開かない為、真意は分かり兼ねる。
しかし川上という女はこれに慣れた様子だ。彼女に背を向けた松林に対して、ビシッと靴の叩かれ合う音が、聞こえてきそうな敬礼をして、軍隊が行進するのを思わせる姿勢で、部屋から出て行ってしまった。
その動きが、彼女が礼儀作法を重んじる人物である事を教えてくれる。
川上が部屋から出て行った後も、紺色の松林は、しばらくそのまま靴音を刻んでいた。しかし、それも一時の事だった。部屋の壁と天井の境に備え付けられたスピーカーから、誰の声とも知れない音声が漏れてきた。
「ガガッ…、閣下、例の件が実行段階にあると博士が言ってきております。ご連絡を。ガッ…プチッ。」
名指しで語りかけてくる辺りからして、どうやらこの部屋直通の回線らしく、音声は松林の部下のものだと分かる。それを聞いて、急いでテーブルの隅に置かれた電話機を操作し出す松林。
しばらくして、その電話の先で誰かと話している様子だが、先程の音声の内容から察するに、相手は博士かと思われる。あちらが何を話しているのか分かり兼ねるが、松林の言葉から解釈をすると、そろそろ実験が始まるので立会いを。とお願いされている様子だ。
その証拠に、松林本人が部屋を慌てて出て行った。この慌てぶりからして、余程重要な実験なのだと、想像を掻き立たせてくれる。その実験が気になるところだが、それはまた後で。
さて、松林は実験の立会いに行ったと思われるが、先程彼に怒鳴られていた川上はどうしたのだろうか?いくら慣れているとはいえ、彼女にも思うところはあったはずだ。あの俯いている時の目が、それを物語っていたのだから。目は口ほどに物を言うと言うだろう?
その肝心の彼女は、先程の部屋からは、そう離れていない通路に寄り掛かり、頭に片手を添えて、考え事をしているようにも見える。
しかし、か細い声が聞こえている事で、手を添えているのではなく、携帯電話を当てているのだと分かる。か細いと言ったが、どうやら故意に音を絞っている様子だ。会話に出てくる『アナタ』という言葉が、他人に向けられたものではなく、愛称である事が伺える。
甘えている様子というのだろうか?弱音を吐いていると思われる会話で、その相手がご主人である事が分かったからだ。
「アナタ…、いくら家族の為とはいえ…、伊町さんに申し訳ないです…。私は…、なんて事を…。」
その言葉には、後悔と反省、焦りと言った感情が込められているように感じられる。後の会話は、相手が何かを言っているタイミングで、返していると分かる相づちを打っているだけだった。
誰かに申し訳ない事をして、それを悔いている様子と、それが家族の為になるという事からみて、彼女が家族の為に、何かをさせられている可能性が高いと思われる。
あの部屋で俯いた時の表情、監視という言葉、それに過敏に反応していた松林、そして今の電話の内容。これらをまとめて考えた時、辻褄が合う答えを導き出した様に思えないだろうか?
松林の命令で監視をしていた彼女は、実は家族の為にやっているだけで、その監視相手に申し訳なく思っている。少し飛躍した考えだろうか?
何はともあれ、ナレーターの仕事に戻らせてもらうよ。覗き行為はウンザリだ。では、失礼。
〜 南の島 〜
島にはボク達しかいないのだが、そのせいで洋子さんの格好が大胆になってきている。着いたばかりの頃は、半袖のシャツに、五分丈のズボンだったのだ。それが今や、ビキニ姿や下着姿でウロウロし出している。洋子さんに注意すると、『作戦なのだー!』と言って、まともに取り合ってくれない。
あんまりしつこく言うと、この間の様に、いきなり転移を使い、海の上に連れて行かれるので、気を付けないと。ボクは泳げないのだ。
二人だけだからいいのだが、たまに近くを船が通るので、他の奴に、洋子さんの大胆な姿を見せたくはないのだ。ボクだけの特権だ。
「稜くん、今日は蟹でいい?私が料理するからね〜っ!うふふふ。」
いつもはボクが料理するのだが、こうやってたまに洋子さんが料理をすると言ってくれる。ただ焼くだけのものが多いのは気のせいだ。
今日の蟹もおそらく棒で突き刺して焼くだけだろう。
しかし、そんな事も夜の水浴びで吹き飛んでしまう。ここは島なので、お風呂が無い。代わりに島に少し分け入ったところに、湧き水が出ている場所があるので、そこで二人で水浴びをしている。
そこはちょっと小さいが、湖の様な場所で、水浴びをする洋子さんが、月明かりを浴びてキラキラと美しいんだ。一糸纏わぬ姿でお互いを洗い合う。とても幸せな時間だ。
それが終わると、島は真っ暗なので、頑丈なハンモックに二人で抱き合いながら早目に眠るのだ。勿論、港街から購入してきた毛布が敷布団代わりだ。ハンモックのロープの跡が顔につくと、一日中取れないからだ。
食料は、買ってきたもの以外も食べている。洋子さんが捕まえてくる、蟹や海老、ボクがたまに釣り上げる小魚などだ。洋子さんは潜りも達人級で、十分以上上がって来ないのが普通だ。
そして運がいい時には、アワビやサザエ、タコ、という美味しい食材を携えて、洋子さんが人魚の様に泳いで戻る時がある。たまに、本当の人魚の様に、すっぽんぽんで上がってくる時があるが、本人が知らない間にと言い張るので、特に怒ったりしなかった。チラ見はした!
現実から逃げての生活は、案外楽しいものだと感じていた。
次の日に、港街に買い出しに行った時までは……。
途中語り手を務めさせて頂きました、ナレーターです。のんびり過ごす主人公達を他所に、何やら不穏な影が…




