82 異変
『虚無』にてとんだ災難にあった主人公。とりあえず転移した先は…
※ 4/16 誤字修正しました。
さて、困った事になっている。『虚無』から転移したのだが、『悪」のところへは行けなかった。当たり前の事だが、すっかり忘れていた。それでとりあえず自宅に戻ったのだ。あちらと連絡の取りようがない。
そのうち『悪」』が気付いてくれるのを待つしかない。その間、どうする事も出来ないので、ボクは先程の『虚無』での事を改めて整理する事にした。こういう時は、ベッドで横になるのが一番効果的だ。
しかし、どう考えて整理しても、記憶が上手く繋がらない。善さんでもいてくれれば、答えはすぐに出そうなのだが。それからミドリだが、どこに行ったのか見当もつかない。
こうやっていてもラチがあかないので、コーヒーでも飲んで落ち着こうと、キッチンへ向かった。『悪』のところへ出発した時は、まだ賑やかだった気がするが、今は静まり返っている。何だか世の中の時間でも止まっている様に思える。
キッチンへ入ると、母が流しで何かをしているのが見えた。お湯を沸かしたいのだが、母が終わるまで待つ事にする。
しかし、母はいつまで経っても流しから離れようとしない。
「お母さん、お湯を沸かしたいんだけど、少しいいかな?」
返事もない。ボクは少し苛立って、母の肩を揺すって訴えてみた。
おい…、どういう事だよ……。お母さん?…、え、何だこれ…。
この時、ボクは初めてその異変に気が付く事になった。母もそうだが、流しの蛇口から流れ出ている筈の水が、ぐにゃりと揺れ動く様子を保ったまま、止まっていた。
何が起きているのかなど、直ぐに理解出来る訳がなかった。ボクは慌てて家中を走って回った。
どうなってる?皆んな動かないじゃないか…。そういえば…、音が何もしないな…。
ここでようやく、先程思考の端にも掛からない程度の、冗談じみた考えを思い出した。『時間が止まっている様だ。』そう、今ボクの周りは、時間が流れていないのだ。
何をしていいのかも分からないのに、焦りだけがどんどん膨れ上がっていく。落ち着きを取り戻す為に、しばらくその場をグルグルするしかなかった。それでも孤独感がボクの意思に反して、口をわずかに開かせる。
「洋子さん、善さん。一人は嫌だよ。」
誰に聞こえるでもない独り言だ。しかし、少しして微かに、何か音が聞こえた様に感じたのだ。何の確証も無いのだが、無意識に声が漏れる。
「洋子さん、ボク、ここにいるよ?善さんなの?」
《…、くん。……、稜くん!…、善さん稜くんのこ…がしまし…。》
信じられなかったが、確かに今、ハッキリ聞こえた音が、洋子さんの声だと分かる。
それは聞き取りにくく、途切れてはいたが、洋子さんがボクを呼ぶ声と、善さんと言って語りかけている様に聞こえた事から、洋子さんは善さんと一緒にいるのでは?と考えられた。
しかし、どこに洋子さんがいるのか分からないので、転移も使いようがない。焦りがまたボクの声を勝手に押し出した。
「洋子さん!善さん!どこにいるか教えてよー!!」
《あぁ、お気に入りさん、無事ですね?心配いりませんよ。洋子と行きますよ。》
驚きだ!『勝手に』とか自虐していたが、声が届いて役に立つとは。さすがボクだ。
フォォォォォォッ!…。 「稜くん!!」 《お気に入りさん。》
『空間転移』独特の音と共に、洋子さんがボクの胸に飛び込んできた。これほど会いたいと思えたのは、久しぶりの事だった。ボクは自分の意思で洋子さんを抱きしめた。
これだけはボクの特権だ。無意識なんかに勝手はさせない。
「稜くん、心配したんだよ!ずっと帰らないし。私以外の人が、みーんな動かなくなったのよ…。」
そう言って涙をこぼしそになる洋子さんだが、ボクは今の言葉に疑問を感じた。
「ごめんね?…、ね、洋子さん、今言ってた『他の皆んなが動かなくなった』って、洋子さんだけは動けたの?」
「ん?…、ぐすん…。えとね、善さんがそうしてくれたみたい。」
《お気に入りさん、それよりもこれを何とかしてほしいのですよ。時間を止めたのはお気に入りさんですよ。》
洋子さんとボクの会話に割り込んだのは、善さんの意識の声だ。
「ちょっと、善さん?これをボクがやったっていうかんですか!?」
《あらあら、自覚がないという事は、『虚無』で得たチカラの制御が出来ていないようですね。》
『虚無』で得たチカラというのが、ボクには全く記憶がないので、制御も何も、使用した事さえ気付いていないのだ。これはいよいよ脳での理解が限界を越えてしまったようだ。
そのせいか、一気に考える事への倦怠感が加速する。
『稜くん?また自分だけで考えようとしてたでしょ?頭の中だけじゃなくて、言葉にして、一緒に考える二人の時間を私に贈ってくれないかなぁ。辛い事も、二人で考えてるーって事が、幸せーって思うよっ。ね!」
「洋子さん……、ありがとう。いつもボクを底の方から引き上げてくれるんだね。ありがとう。」
そう、これが洋子さんだ。ボクが沈んでも、彼女は必ずボクをその優しさで包んでくれる。土壇場で踏ん張ってくれるのも彼女だ。男として情けなく思う事もあるが、優しさを与えるも受けるも、それに男女の区別はない。
しかも今は夫婦だ。夫たるもの、いざという時に家族を守れる力があり、妻に助けてもらう勇気を持って、支え合いながら生きていくのだ。男の意地は家庭には不要だ。
「ては、善さん?その方法など分かりますか?」
《あらあら、アタシもそのチカラは持った事が無いのですよ。更にアタシは転移も使えず、ここにも洋子に連れてきてもらったのですよ。アタシはチカラが使えないのですよ。》
ふつうに会話が出来る事で、善さんが意識という存在である事を忘れてしまう。善さんさえ持つ事が無かったチカラ。『虚無』はボクに何を与えたのだろうか。
「善さん、そういえばですね、ボクが消滅したのを自分の目で見た記憶があるんですよ。これって本当に起きた事でしょうか?」
《あら…、あ、言いにくいのですよ。でも…そうですね。お気に入りさんの肉体は、あの時死んでしまったのですよ。感覚でそれを察したアタシは、直ぐにお気に入りさんの元に行き、その意識を揺すり起こしたのですよ。そうしないと、お気に入りさんは、本当の意味での消滅…。死亡したのですよ。》
あまり信じたくは無かったのだが、善さんがウソを言う訳がない。ボクは既に死を経験した事になる。
うわぁ…、まさか生きながら、自分が死んだ時の話しを聞く事になるとは。…死んだ?
「稜くん!死んじゃったの!?ええ!じ、じゃあ今の稜くんは、へ、変態!?」
誰が変態だっ!間違えるにも程がある!へ・ん・い・た・い。だっ!
まさか自分で善さんに聞こうとしていた事を、洋子さんが口にするとは思いもしなかった。かなり誤解を招く言い方ではあったが。
《あらあら、洋子、違うのですよ。変異体ですよ。それをお気に入りさんが、取り込んでしまったのですよ。アタシもこんな事、初めてですね。》
「取り込んだ?って、ボクが変異体をこう…吸収した?みたいな事ですか!?」
洋子さんの発言に答えた善さんの言葉の意味は、理解はしているつもりだ。確かに、変異体であるならば、奈々子やミドリと似た様な姿になると考えられる。しかし、ボクの姿は全く変化がみられない。
おそらく善さんは、『虚無』でその様子を感覚で感じていたのだろう。そうとしか思えないほど、ボクの事を知っている。やはり、善さんが意識であっても、いてくれる事がボク達の支えになる。
まさか自分が死ぬ事もそうだが、変異体を取り込んでいたとは驚きだ。覚えていないのが幸運だったと言える。自分が死んだ感覚なんて知りたくないのだ。
それはそうと、自分の事ばかりで忘れていたが、ミドリの行方を善さんなら知っているかもしれない。姿が見えないから、正直なところ、どこを向いて話しかけたらいいのか迷ってしまう。
「善さん、『虚無』でミドリを見失ったのですが、どこに行ったか知りませんか?」
「そうだったの?ミドリちゃんなら、稜くんと転移して直ぐに戻って来たよ。カズちゃんにしがみついて震えてた。そこまでは覚えてるんだぁ。その後は善さんの声がして、動かない皆んなに驚いたよぉ。」
隣でボクにしがみついたままの洋子さんが、そう言って善さんの代わりに答えてくれた。その言葉に安心した。一人でいるところを、奈々子にでも見つかったら、連れていかれて大変な事になるところだ。
とにかく色々試して、この止まった時間を何とかしないと。止まった時間?と少し何かを閃きかけた。しばらく黙り込んで思考を凝らす。すると。
「そうだ洋子さん!一緒にあの組織に乗り込もうよ!時間止まってるしさ、奈々子から『種子》を奪いにいこう!うんうん、冴えてる!」
「そっかぁ!時間が止まってるんだもんね!今のうちに二人で、デートだね!」
う…、もしもーし!洋子さん、話し聞いてる!?
全く緊張感の無い洋子さんは、その後もボクの話しを聞いてくれる様子は無かった。
「でぇーとっ!でぇーとっ!ほい!でぇーとっ!でぇーとっ!ほい!……」
頭が痛くなってきた…。
やっぱり善!頼りになるぜ!色々聞かされた主人公だが、先ずは自分が引き起こした変異を利用して…。それより洋子がポンコツだぜぇ?




