81 虚無にて。
もう存在しないと思われた『還りの鈴』が、ユキの手によって主人公へと渡される。いよいよ虚無へと出発だ!
金色の鈍い光を放ち、手から手へと転がり込んだ『還りの鈴』。その音色が響く事を許さない為の竹の栓が、指に絡んでその向きをクラクラと変えていく。
今、この世で最後の一つであるはずの希望が、ユキさんからボク達へと受け渡された。
などと格好の良い事では無く、過去の嫌な記憶はとうに捨てたと言うユキさんが、要らないなら捨てると言うので、慌てて受け取った『還りの鈴」だ。鈍い光がどうだこうだと言うよりも、譲ると言われて呆けたボクがそれより鈍い。慌てたボクもクラクラだ。
格好の良し悪しはどうであれ、希望を手にしたのは間違いない。後はシャクシさんにお願いして、ゆっくりその生涯を終えようとしている『悪』の元へと案内してもらうだけだ。
『虚無』への渡り方を、ご教示願いに行くのである。
勿論、ミドリも一緒に連れて行くが、唯一ミドリと理解し合えるカズちゃんも連れて行く。ボク達だけしかいないとなれば、暴れる可能性もあるからだ。
シャクシさんに事のあらましを説明した後、カズちゃんにミドリと一緒に来る様にとお願いした。その他は、ボクと洋子さんだけだ。準備が整いシャクシさんの側に集まった。
ボクの合図で『空間転移』が行われた。『悪』がいる空間には、善さんと同じ質を持つ、シャクシさんしか転移出来ないのである。
転移して着いた先の『悪』がいる空間は、前のソレとは全く違う場所に思えた。シャクシさんいわく、前の空間は、奈々子が出入りしていた為に、いつまた襲撃されるか分からない。と言う理由から、この知られざる空気で余生を過ごしているらしい。
ここには、木々は勿論のこと、草花さえ生えていない、実に殺風景な岩だらけの世界だ。カズちゃんに足元を気をつけるように伝え、シャクシさんの後に続いて進む。
出来るだけ近くに転移しました。と言うシャクシさんの言葉を疑う訳ではないが、かなりの道のりを歩いた気がしてならない。しかし、ボクが毎回不満に溢れた思考を凝らす時、限ってその逆の結末が、間髪置かずに訪れる。
ほら、今回もそうなった。しかし、『悪』も芸が無い。新たな空間に移り住んだのならば、ボクが住んでいたアパートに似た、この建物にしなくても良さそうだが?
「あ、ほら稜くん!ボロアパートだよ!」
いやいや、言わなくていいから!洋子さん…。
今回は、まだまだイケてるアパートの正面から中に入った。外見はそっくりなのだが、ドアだけは、中央に一つだけしか備わっていなかった。
「あ、やっほ!おやおや、どうしたんかにゃ〜?あぅ!結婚したのよね〜、おめでとうぅ!」
本当に余生を静かに送っていたのか?と、尋ねたくなるほど明るいノリで歓迎してくれた『悪』。シャクシさんも少し後ずさったのが見て取れた。
結婚の事を知っているとは思いもしなかったが、祝福の言葉はシッカリ受け取らせてもらった。
「耳が早いのですね。ありがとうございます。」
そうお礼の言葉を返したボクに、『悪』は微笑みを返してくれる。しかし、ミドリへと視線が移ったと思ったら、顔をしかめた様子で、こう言ってきた。
「おやおや…、何でそんな危ないヤツを連れて来た〜ぁ。シッシッ…。」
シッシッって、犬猫じゃないんだから…。
「お久しぶりですね、この人は大丈夫ですよ。ミドリと名付けられています。今日はこのミドリの事に関係があるお願いをしに来ました。」
「おやおや、『虚無』への渡り方よね〜?簡単なのよ?…こっちに来て。」
どうやらここに来た理由を知っていた様子だ。説明の手間が省けたと思っていたら、側に来る様にと言ってくる。少し不安になったが、『悪』の側へゆっくり歩み寄る。
ボクが側に行くと同時に、『悪』が手を取り、『空気転移』と呟いた。
『悪』に手を引かれたまま、真っ白な空間へと転移したようだ。何もない真っ白な世界だ。宙に浮いている様な不思議な感覚に陥る。
「あらあら、大丈夫よ〜。ここが『虚無』だからね〜っ!覚えたら自分で転移出来るのよ。『空間転移』。」
何が何やら、突然連れて行かれて、突然戻って来た。この人にボクの意思はどうでもいいらしい。しかし、手荒なご教示だったが、ちゃんと教えてもらえた事に感謝だ。
「ありがとうございます!先程の空間をイメージすると、転移出来るのですね?」
「あらあら、そう言ったよ〜っ。それとキミの意思など知らないし〜っ。」
忘れていた。善さんといい、悪といい、思考を読み取れるのを忘れていた。善さんと過ごした日々が懐かしく感じられる。時間はそんなに経っていないのだが、もう会う事も出来ないと分かっていると、特にそう感じられるものだ。
「あらあら、姉様を助けたいの〜っ?別に興味ないよ〜っ。…奪い返せばいいのにね〜っ。」
「ちょ、ちょい待った!奪い返すと善さんにまた会えるの?」
この能天気な口調の『悪』は、たった今サラリと爆弾発言をしやがったのだ。つい言葉が汚くなったが、驚いてのことなので、許してほしい。…、誰にかは知らないが。
「あらあら、しらな〜いっ。」
ちょっと腹立たしい気持ちを、思考で露わにするところだったが、グッと堪えた。今はミドリの事が最優先だ。
カズちゃんにお願いして、ミドリがボクについて来る様に伝えてもらう。カズちゃんがそれをミドリに伝えると、右にクイッと頭を傾け、ボクの側に来てくれた。
この仕草だが、カズちゃんが言うには、イエス!と言う意味でそうしているらしい。良く意思疎通ができるものだと感心する。
「あらあら、注意事項があるよ〜?『虚無』で絶対に眠ったり、気絶したりしない事〜っ。飲み込まれて変異体になるよ〜っ。以上っ。」
とても大切な事を直前で教えてくれる『悪』。絶対忘れていたに違いない。あらぬ方に顔を背けた様子がそれを示している。
洋子さんの目が気になるが、ボクはミドリの手を取り『空間転移』を実行した。
《あぁぁぁぁぁああああ!!!ギィィィィィィッ!!》
「おい!ミドリ…、落ち着け!暴れないでくれ、おい!…うガッ!!………。」
ここは…?ボクは………?………。…………。
《……に…り…ん…。……きに…りさん。…、お気に入りさん!アタシの手を…。》
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
う…、あれ…。善さん…、善さ、陽子さん?…?
気がつくとボクは『虚無』で一人漂っていた。記憶を辿るがボンヤリしてハッキリしない。家で母と話した様な気がするが、何を話したのかハッキリしない。
ただ、ここが『虚無』である事は分かる。さっき善さんがそう言っていた記憶がある。帰りなさい、と言っていた様な気もしないでもない。少し記憶を整理してみる。
えっと…、善さんの呼ぶ声で、気付いた?起きたかなぁ?ん〜、行きなさい?生きなさい?
色々と思い出そうとするが、全てがバラバラのパーツの様に散らばり、上手く組み合わさらずにいる。しばらくそうやって整理していると、ボクの手に何かが握られている感覚に気付いた。
ソッと手を開いてみると、『還りの鈴』がコロンと手の上で転がった。
チリン、チリンチリン…チリン…。
『還りの鈴』が勝手に鳴り響く。いつの間にか竹の栓も抜け落ちている。しまったと思ったが、もう遅い。『還りの鈴」は、ボクの手の上から消え去った後だった。そして、それを確認すると同時に、頭の中で色彩の渦が、勢いよくグルングルンと回り出した。
しばらく続くその現象が、ボクに軽い吐き気と頭痛をもたらした。やがて徐々にゆっくりとした回転になり、ボクの身体に遠心力の余韻が残った。身体は回転していないはずだが、脳内が回転したからそう感じたのだろう。
そして、その効果は、直ぐにボクの脳内に流れ込んで来た。スライドフィルムを高速で観ている感覚だ。次々と絵が入れ替わるのだが、記憶としてハッキリ脳に置いていかれるのが分かる。
やがて全ての効果が反応を止めた時、ゆっくりと記憶を読み返している自分に気付く。勝手に記憶が流れるといった方が分かり易いだろう。
そして、驚愕の事実を知った。ボクがこの『虚無』にミドリを連れてきて直ぐに、そのミドリの様子が急におかしくなり、それを落ち着かせようとするボクは、激しい抵抗にあい、そのまま気絶したようだ。そしてここからが驚愕の事実だ。
多分ボクは意識として『虚無』を漂っていた。何故なら、消滅していく自分が見えるからだ。まるでイモムシがリンゴをかじる様に、どんどん削られる自分が見える。その様子を見て、意識を残しての肉体の死だと感じた。
再び何も残っていない『無』が訪れ、遠くを見ているのか、それとも近くを見ているのか、そう言った感覚が失われた様に感じられる世界が広がっている。随分と長い間、それは続いた様だ。
そして、どこからか聞こえてくる善さんの声が、ボクの意識を揺さぶっている。少しして、更に驚く事が起きた。先程とは逆に、ボクが組み立てられているのが見えた。逆回転で映像を観る感じだ。
そして出来上がると同時に、ボクの視界が、ボクの身体を目掛けてぶつかっていった。そこで記憶が途絶えている様だ。多分、最後に見た記憶は、形成された肉体に、意識が戻ったと考えるのが都合がいい。
実際ボクは死んだのだろうか?『虚無』に取り込まれて再生した?と、考えてしまう。
とりあえず、『悪』のところに戻った方がいいだろう。頭の整理はそれからだ。
虚無にてハプニングに出会ってしまう主人公。分かる範囲で解釈するが、…本当にそうなのか!?




