10 束の間の日常と悪意の予感
ふらりと入った喫茶店で、至福の時を過ごす主人公 稜 その至福の時間を壊す展開が……
「真咲 和枝?聞いた事ないわね……。奈美恵さんに関わっているとしたら、ちゃんと覚えているもの。記憶力だけはいいんだから!私。うふふ」
せっかくの手掛かりも、今は役に立たないか……。しかし、洋子さん、自覚してるんだね。『だけ』って自分で断言してたな今。他はダメって事だな。知ってるけど。
しまった!と思い、身構えるが、今日の洋子さん、いつもと違う様子で考え込んでいる。この人のこういう姿、初めて見た。意外とサマになっている。普段からこうなら、もう少!!アイタタタタ!!!
「ちょっと目を離すとまた悪い顔して!もぅ!失礼ね。」
アイタタ……フェイントか!
やはりいつもの洋子さんだ。直ぐに解放されたが、こめかみグリグリはやめてほしい。
さて、これでナミちゃんが、ボクから遠ざかったのは確実だな。事件に巻き込まれた可能性もあったのだが、洋子さんが会計から情報をもらってきてくれた。入院費用の残りが、全額振り込まれたそうだ。その確認は翌日となるらしいが、反映された項目である程度の情報が解るらしい。振り込まれたのは、退院した日の昼からだったそうだ。
あの日の昼は、仕事を早退して病院へ行き、退院したのを知らされて直ぐ電話をかけた。電源は入っていなかったから、事件性の懸念もしたのだが、退院したその日でもある為、警察も相手にはしないだろうと考えた。もし通報したとして、どう言えばいいのだ?ただ音信不通というだけで『失踪しました』もおかしい。
では、その後もなぜ今まで事件性があるとして重要視しなかったのか?という事になるが、この方向性はボク自身の『思い込み』によるものだ。
ナミちゃんに告白され受け入れて、当日の日付けが変わって間もなく病院へと呼び出された。そして、苦しむ彼女を見て、それまで封印していたチカラを使い、病気を治した。その翌日、ボクには何の連絡も無く、退院してしまい、事後報告すらない。まるでボクを避けるようにして。避けているとしか思えない。という『思い込み』が原因だ。普通彼氏には、真っ先に知らせたりすると思うが?奇跡としか言いようが無い回復をしたんだから、飛び上がるほど嬉しくなり、大切に思う人に知らせたくなるだろう?ボクならそうする。だから、それ以外は考えられないでいた。
洋子さんが、昼からの勤務だと言うので、一緒に部屋を出る事にした。外に出て、洋子さんが住む建物の外観を見て驚いた。アパートではなく、屋敷と言える程の大きな一戸建てだった。その一角を、メインの住まいとして使っているそうだ。部屋から出る扉を開けたら、いきなり庭だったから、通用口の門まで行かないと気付かなかった。さすがに本体である屋敷の中を見たら、いかに豪邸か気付くはずだ。この屋敷は、父親からのプレゼントらしい。あやかりたいところだが、年の差がボクを躊躇させる。
いやいや、決して上から目線の傲慢さ丸出し男ではない。ちゃんと事実に基づいての躊躇なのだ。
洋子さんから、お付き合いの申し入れがありましたよ?はい。言い方は少し、アレでしたが……『私の下僕にならない?可愛がるからぁ〜』だった様な……。
ま、まぁ、言い方はアレだけど、お付き合いの申し入れだろう。……多分。
洋子さんと、最寄りバス停で別れた後、昨日から何も食べてなかったので、近くの喫茶店に入る事にした。洋子さんは、起きて直ぐ食べれない人らしく、マイペースなその性格にボクまで付き合わされていた。下僕になんかなっ……いや、彼氏になんかなったら、絶対振り回されてストレスで倒れる!しかも!なまじ看護師だけに、看病までされたら、カラカラに干からびて何度も死ねると推測される。無理!
ボクは窓際に席を取り、通りを歩く人々の姿を、少し見下ろす感じで観察していた。この喫茶店、入り口までちょっとした階段があり、アーチ状のレンガのトンネルが、お洒落な店内をイメージさせ、期待感を擽ぐる。そのレンガには、天然だと解る『蔦』が、空いっぱいに広がったカミナリの様な感じで這わされていた。その先の扉を開けると、耳障りのいいベルの音が響いて、期待通りの店内の景観が視界に映り込む。洋子さんの事はアレだが、おかげで良い店を見つけた。助けてもらった事と言い、重ねて感謝だ。
それほど長く待たせる事無く、注文していたサンドイッチセットを持って、可愛らしい店員さんが姿を見せる。クリア塗料がよく塗り込まれたチークのテーブルに、セットの品々が並べられた。軽く会釈をして去っていくその店員さんは、可愛らしいとは文字通りの、まだ小学生くらいの女の子に見えた。
お手伝いかな?と、微笑ましい姿を見て笑顔を溢す。
お腹が空いていたのも後押ししていたとは思うが、本当に美味い!食レポ経験はないから、上手く言えないが、サンドイッチに使われている、ドレッシングに似たソースと、ゆで卵ではなく、程よく焦がした卵焼きが良く合う!パンの部分も、表面がザラつく程度に焼いてあり、食感もまた堪らない。無駄に野菜が挟まっていない為、パンの内側がベチャベチャしていないのも嬉しい!ボク好みだ。コーヒーに関しては、ボク自身良し悪しが分からないので、何とも言えないが、サンドイッチを摘みながら飲むコーヒーは最高だ。
お腹も程よく膨れ、しかもボク好みの美味しい食事で大満足だ。今は、おかわりのコーヒーをチビチビ飲んでいる。窓の外は、相変わらず忙しく人が行き交っていた。ボンヤリその様子を眺めていたボクの視線は、シッカリとソレを見逃してはいなかった!目での認識に、脳内の認識が、少し遅れてボクを突き動かした!急ぎカウンターに向かい、お釣りはいらないとつげながら、二千円を店員さんに渡す。そのままの勢いで、ボクはさっき見逃さなかったソレを追いかける。進行方向は間違っていない。見失ったか?
行き交う人間が多すぎる為、全速力で走る事は敵わなかった。ボクは立ち止まったその場で、確かに見た『腰まである黒髪の女性の後ろ姿』を探した。
ついにその姿を見つける事が出来なかった。彼女である確信はないが、腰まである髪の女性なんて、そういるものじゃない。人違いであっても、確認はしたかった。後悔しても仕方の無い事だ。歯痒さを噛みしめながら、その場を後に家路についた。
昨日倒れて洋子さんに助けてもらったのはいいが、今日は仕事を無断欠勤した事に気付いた。かなり遅い連絡になったが、店長に、無断欠勤の謝罪と言い訳がましい事実を伝えた。
「あぁ、もう大丈夫なのかい?わざわざ自分で掛けなくても、無断欠勤にしたりしないよ。朝から〜、ほら、名前忘れちゃたな、彼女さんから、高熱で倒れたから、休ませますって。連絡してくれたよ?聞かなかったの?」
店長が教えてくれた話に戸惑いつつも、重ねてお詫びして電話を切った。
洋子さん……いいとこあるじゃないか……。言ってくれれば素直に感謝したのに。明日お礼を言っておこう。
電話で済ませられる事だが、今は仕事中のはず。意味有りげにわざわざ今掛けなくても、明日会った時にでも、さりげなくお礼を言えばいい。明日は病院の日だからな。
次の日、ボクは昼から病院に来ていた。昨日のお礼もあったので、受け付けを済ませた後、洋子さんの姿を探していた。またサボって缶コーヒーでも飲んでいるのかと思い、売店脇の自販機もみたが見当たらない。そろそろ呼ばれてもおかしくないので、ボクはロビーの待合所へと向かった。ちょうど診察室から看護師さんが出てきたところに戻ってきた。看護師さんは、名前を呼ぶのではなく、困った顔をしてウロウロし出した。早く診察を終えて、洋子さんを探したいので、話を聞いてみる事にした。
「あの、まだ名前呼ばれてないのですが、まだかかりますか?」
「あ、ごめんなさい、肝心の先生が席を外して戻らないのよ!困ったわ。」
看護師さんは、それだけ言って診察室へと入って戻ってしまった。
仕事を昼で上がらせてもらって来たのだが、いつになるか分からないと判断して、ボクは今日の診察を諦めて、洋子さんを探す事にした。時間が掛かると思い、まだ屋上は見ていなかった為、屋上へ先に向かう。
少し薄暗い階段を駆け上がり、屋上へと出る扉に手をかけた時、誰かの話し声が聞こえてきた。どうやら、扉の直ぐ側で話しているらしく、篭った声だが、会話の内容はハッキリと聴き取れる。
「はい、承知してます。対象には気付かれていません。しかし、まさか松田がいなくなったのはやはり……。ええ、はい。大丈夫です、今日診察予定ですから、上手く誤魔化しておきます。心配いりませんよ、伊町君はわたしの事を信頼してますから。はい、では、その件はまた後ほど。」
松田というのは……確か洋子さんの苗字だ。それにボクの事まで……。自分の名前が出て、呆然としてしまったが、扉の磨りガラスに、声の主の姿が浮かび上がり、階段とは逆の、荷物置きになっているスペースに、慌てて身を隠す。携帯を弄りながら出てきたのは、ボクの担当医だった。携帯を見てたおかげで、こちらに気付かれずにやり過ごせた。
あの会話の内容は、直感でしかないが、ボクにとって良くない事の様に思えた。
ここから怒涛の展開が!静かなる悪意の予感を感じた主人公 稜は、いったい、何に巻き込まれようとしているのか!




