【大人の階段】
ある時はタクシー、またある時は救急車。しかしてその実体は…
バイトの帰り。
駅前の本屋でワートリの最新巻を買ったBは、車道の向こう側の歩道で知り合いを見つけた。
深夜でも発光しているかの様に美しい男、Cだ。
髪色や雰囲気が多少いつもと違うが間違いない。
次の交差点で道を渡り、帰路に逆らって追い駆けた。
「しーいーさんッ!こんばんは。」
「わあ、これはマイエンジェル。こんばんは。」
然程驚いていないCのわざとらしい仕種と発言に、Bはお日様の様に朗らかに笑う。
「あはは!移動手段がチャリの天使って斬新ですね。」
「お兄さんはいつB君の背中に真っ白な羽が生えて来ても可笑しないと真剣に思てるよ。」
「うはは!お疲れですね。仕事帰りですか?送りますよ。」
Cは真顔で言ったのだが、Bはそれ故によりいっそう可笑しく豪快に笑い飛ばした。
スルーされたCは苦笑いで首を横に振った。
Bこそ真顔で親指で荷台を指す。
男前な瓶底眼鏡にCも吹き出した。
「じゃあお願いしよかな。初乗りなんぼ?」
「初回限定無料、1mごとに100円です。」
「たっか!こりゃサービスに期待やで。」
Cは荷台に跨ってここぞとばかりにBに抱き付いた。
「当タクシーは新鮮な空気が売りです。」
「都会でか!」
「田舎なら虫の雨ですよ。」
「そら勘弁やで。まだ洗剤の匂いの方がええわ。」
「ちょっと、他人のパーカをフィルター代わりにしないで下さいよう。」
くすぐったいと笑いながらBは地面を足で蹴って勢いを付けて出発進行した。
―*―*―
BはCの指示通りに自転車を走らせ、直進と言われた交差点で赤信号に捕まった。
Cは無言で、Bも特に話題が無かったので呆っと待っていて、ふと違和を感じた。
きょろきょろと視線を動かし、少し鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、違和が何かを確かめる。
公園の古い遊具の、鉄錆の、血の臭いだ。
信号は青になったがBは進まず、後ろを振り返った。
「Cさん、怪我してるでしょう。」
「はい?何の話?」
「すっ呆けたって無駄ですよ。僕、病院嫌いの同居人のおかげで敏感なんです。」
「Aのすっとこどっこい、阿呆拗らせてくたばれ。」
「Aが何拗らせてくたばっても困りませんけど、Cさんがくたばったら寂しいので病院行きましょうねって、ちょっと!」
途端、自転車から飛び降りたCの腕を間一髪掴んだBは、慌てて離した。
怪我の場所までわかった訳じゃない。
普通に歩いていた所を見ると腕かもしれない。
「ごめんなさい。あの、」
狼狽えるBにCは逃げるのを止めた。
「俺はあの野生動物と違って病院が嫌いな訳やない。大怪我しても行かれへん理由があるのと、今回のは病院行く程の怪我やないだけや。」
怪我の位置を手で示すCに、Bは表情を引き締めた。
「ご家族、もしくは恋人とか、おうちにどなたか手当てしてくれる方はいますか?」
「おったとしても自分でするわ。」
「でも、お腹は自分で手当てするの難しいでしょう?」
CはBが両手を頭に乗せて ぴこぴこ させるのを見上げて、鼻血が垂れそうになった。
「何それめっちゃ可愛い、兎さんの真似かいな?」
「これから僕は救急車です。」
「ああ。それ、パトランプか。」
「怪我人をおうちまで運んだ後は、お医者さんの真似をします。」
「え?お医者さんごっこ?」
また鼻血が垂れそうになったCは、片手を立てて左右に振り、正気に戻った。
「B君は血なんて見やんで良いよ。帰って早よ寝え。」
「何か、前にもこんな事があった様な気がする。で、僕はこう答えた気がする。」
「?」
首を傾げるCに、Bは盛大に溜め息を吐いた。
「僕は見て見ぬ振りなんて出来ないんです。僕に見つかったのが運の尽きだと思って諦めて、僕が満足するまで付き合って下さい。」
荷台を ぺしぺし 叩いて催促するBに、Cは微笑む。
「誰彼構わずこんな事したらあかんよ。って言ってもB君は聞かへんやろで、こういう事する時は保護者か俺に必ず連絡入れるんやで?」
「む、Cさんまで僕を子ども扱いする。」
「大人は厄介事が落ち取ったら見て見ぬ振りするもんや。」
「他の誰かが触ったら危ないじゃないですか。」
「危ないってわかっとんのやったら専門業者に連絡して自分はさっさと帰って寝え。」
「…Cさんは危なくないもん。」
「うーん、言い過ぎたな。まあ、連絡入れてくれたら君の正義を貫いてええよ。俺はそういう君が好きやから応援するで。」
「…ありがとうございます。」
Bは後ろに乗ってくれたCに泣きそうだった心を持ち直し、左右を確認して赤信号を渡った。
―*―*―
Cの自宅は、高級マンションの一室だった。
下から見上げ、ロビーで委縮し、エレベーターで無駄に緊張したBは、上層階にあるCの部屋の前で漸く少し落ち着いた。
「この人、本当に何の仕事をしているんだろう?」とCを盗み見た先にCの笑顔があり、慌てて目を逸らした。
Cは指紋錠を操作して扉を開けて、Bを中に促した。
「ようこそ、我が家へ!マイエンジェル。」
「お邪魔します。」
恐る恐る中に入ったBは、土足で、しかもいきなり広いリビングで驚いた。
照明も蛍光灯では無く、Cが壁に触れて点けたのはキラキラ輝くシャンデリアだ。
黒革のソファにはラビットファーのカバーが掛けられ、丸い赤い絨毯は毛並みが美しい。
硝子のテーブルの上にはノートパソコンがあるだけで、その部屋にはテレビすらない。
それだけで充分なのだろう。
カーテンが開けられたままの窓の向こうは美しい夜景が広がっている。
「この部屋、救急箱とか家庭的な物がある様には見えませんが?」
「ご名答。この部屋にはあらへんけど、寝室にあんねん。」
Cは黒い木目のスタイリッシュな扉を開けて暗闇の中に消えて、直ぐに戻って来た。
Bはどんなアバンギャルドな救急箱が出て来るのかと身構えたが、白地に赤い十字が描かれたかなり普通の箱が出て来て ほっ とした。
BはCをソファに座らせ、上着を脱がせた。
細いが逞しい筋肉に見惚れそうになったが、Cの足の間に膝を付いて白い腹を汚す赤に集中した。
「これは縫わないと痕が残りますよ。」
「病院は嫌やで。」
「だからと言って僕は縫えないし。」
「俺がやろか?」
「いいえ、医者の息子を嘗めないで下さい。あ、」
「へえ。B君、親がお医者さんなんや。」
「まあ、はい。父が。」
「ふーん。」
CはBの頭を撫で、笑う。
「見てわかるやろけど、傷痕の一つや二つ増えた所で気にならへん。普通に手当てしてくれたらええわ。俺もそれくらいしかするつもり無かったし。」
「…すみません。」
「何を謝んの?手当てしてくれてありがとう。助かったわ。」
Bは自分の無力さを噛み締め、丁寧にCの傷口を消毒してガーゼを当てた。
粘着性伸縮ガーゼ包帯を貼り、小さく息を吐いた。
「他に怪我はありませんか?」
Cを見上げたBは呆気に取られた。
Cの綺麗な紫の瞳から涙が零れている。
大人の男が泣いている。
本人も驚いている様で、Bはもっと呆気に取られる。
傷が痛い訳ではないだろう。
綺麗な白い肌にはもっと酷い傷の痕があったし、そもそもそれが理由ならもっと早い段階で泣いていただろう。
「何、泣いてるんですか?」
「いや、天使に手当てされて嬉しくて笑おうとしとるんやけど。何や?これ。」
Cは脱いだ上着で拭おうとしたが、Bが先に自分の袖を引っ張って優しく拭いた。
そうしたらCの涙はもっと増えて、Bは狼狽えた。
青い顔で立ち上がる。
「ぼ、僕、帰ります。」
「は?何で、ちょい待ち!」
「だってそれきっと、僕が余計な事したからですよ!」
Cに抱き締められたBは、Cの傷に障りそうなのが怖くて抵抗出来ない。
軽々とCにソファに座らされた。
「余計やないよ。こんな風に優しく手当てされた事なんてなかったから嬉しかった。ありがとう。」
「えー?本当ですか?」
「ああ。さっきもそれを伝えようとしたんやけど、涙が邪魔したんや。」
CはBの手を取って、袖で涙を拭いた。
「こういう時、どういう顔をして良いのかわからなくてな。本当に笑うのが正解なのか、申し訳無さそうにした方が良いのか、迷ってたら勝手に泣いてた。流石にそれは不正解やで、自分。」
「そうですか?」
「せっかく手当てして貰たのにあり得やんやろ。」
Bは丁寧にCの顔を拭いてやりながら首を振る。
「そもそも、どういう顔をして良いか考える事が間違いですよ。ちょっと変わってるけど、勝手に出て来たそれが正解です。」
目を丸くするCにBは微笑む。
「どういたしまして。」
また零れるCの涙を丁寧に袖で受け止めた。
―*―*―
帰宅するBを投げキスで見送ったCは、寝室へと続く扉を睨んだ。
「そんなに睨まんとってや、風雅兄さん。」
黒い木目のスタイリッシュな扉の横、英国紳士風の男は帽子を指で回しながら立っていた。
救急箱を取りに行った際にデータは渡していたのだが、Bが居た所為で帰れなかったのだ。
「もうあの子に近付くな。」
「うわ何?ヤキモチ?」
「今日の一件で自覚しただろう。」
Cは風雅から目を逸らしたが、逃げられない。
「あの子が欲しいと思っただろう。あの子の傍に居たいと思っただろう。それが恋愛感情だと、思い知っただろう。」
「別に。下心無しで優しくされる事に慣れてへんだけや。ガキじゃあるまいし、そんなもんで簡単に落ちるか。」
「俺は絶対にあの子に近付いたりしない。」
「は?」
Cはまた風雅を睨んだが、風雅こそ苦い顔で床を睨んでいた。
「下心の無い無償の優しさがこの世でどれだけ希少か、虐待されて育ったおまえが一番よくわかる筈だ。そんな物を与えられたら誰だって簡単に落ちる。…唯一、あの無神経な男を除いてな。」
「凄いやっちゃで。尊敬するわ。」
「おまえは玲の様にはなれない。もう近付くな。この世界で生きていけなくなるぞ。」
「心配してくれとんの?」
「おまえの代わりを探すのは難しい。」
「あー、もう既にB君が恋しなって来たわ。」
風雅は壁から背中を離し、帽子を被った。
CはBを見送ったままの位置から風雅の為に道を開けたが、風雅は帰るつもりではなかった。
Cを壁に追い詰め、顔の横に手を付いて閉じ込めた。
「人恋しいならまた相手をしてやる。堅気に現を抜かされるな。」
「俺はもう菓子に騙される程子どもじゃないし、騙されてやれる程弱くない。」
「何重にも掛けられたロックの中でしか眠れないおまえが、今でも欲して止まないのは安心だ。俺がおまえに与えてやれる物を、あの幼い子は持っていない。」
「今度は俺が、あの子にあげたいんだ。」
「最初から持ってもいない物を?いや、」
風雅は悔しそうなCの顎を取り口付ける。
「俺からの貰い物をあの子にあげたいのか?それで、俺の様に手の上で転がしてやるのか?」
「違う。」
風雅を押し返すCの力は弱い。
風雅は鼻で笑い、帽子を被り直して玄関の扉を開けて驚いた。
そこには瓶底眼鏡の冴えない青年が今まさにインターホンを押そうとしている所だった。
それにはCも驚いていた。
「B君、どないしたん?」
「やっぱり忘れ物してて。そのままにしとくと眠れそうになくて。」
そう言ってBは一瞬で武術の構えを取って風雅に殴りかかった。
風雅は片手でBの拳を受け止めたが、Bの容姿からは予想出来ない重みにまた驚いた。
「Cさんたら、この僕が少しでも慌てた人の気配に気付かないとでも?僕はこれでも武闘派なんですよ。」
「知ってる。けど、何で怒ってるん?」
「だってCさん。僕にじゃなくて中に声を掛けたから。」
「!」
Bは風雅を睨んだまま、拳の力を緩めないまま、続ける。
「それは予想外の僕の訪問を知らせてこの人に隠れる様に促す為で、つまりこの人が居るって知ってたのに、それでも手当ては自分でするなんて言ってたから。だから、この人が家族か恋人か誰か知らないけど、」
Bは風雅が強めた握力で拳が軋んだが、負けなかった。
力一杯風雅ごと拳を引き戻し、風雅を外へ引き摺り出した。
「すっごいムカついたから、やっぱり一発殴らないと気が済まなくて。引き返して来たんです。」
「俺はそいつの恋人だ。」
風雅の答えに、Bの眉間の皺が濃くなる。
「そう。じゃあ尚更腹が立ちました。」
「君がそいつの何のつもりでそこに立っているのか知らないが、二人の関係に君の様な子どもに口を挟まれたくないのだが?」
「ただの知り合いですけど何か?っていうか、子どもでもわかる事を出来ない貴方に子どもだなんて言われたくないんですけど。」
「ふん、そいつの前で良い格好をしてあわよくば奪い取ろうと言う魂胆か?」
「僕は人として当然の事をしているだけです。そんな事で奪い取られる心配をするなんて、貴方よっぽど人格に問題があるんですね。しかも自覚がある様で何より。」
腕を組んで仁王立つBの後ろ、Cは ぽかん としている。
風雅は帽子を目深に被り直して苦笑いを隠した。
Bは鼻を鳴らす。
「大人の恋愛に口を挟んだ責任は取ります。この人が貴方を失って寂しいなら、僕がその分を埋めます。貴方なんかよりよっぽど幸せにしてあげますから、安心して帰ってもう二度と来ないで下さい。」
「君にそいつを抱けるのか?」
「ご所望なら。」
「―ッ、」
風雅は吹き出すのを帽子を顔に被せて堪えた。
―*―*―
Cは珍しい事もあるもんだと、そのまますごすご退散する風雅を見送り、改めてBの後ろ頭を見た。
「B君、男前やなあ。」
「すみません。」
「はい?」
Bは両拳を胸の前で握り締め、青い顔で震えていた。
「僕、たまに後先考えずに行動しちゃうんです。」
「うん、知ってる。」
「それこそ、正解不正解全く考えずに。」
「うーん、正論ではあるんやけどな。」
「Cさんの恋人に酷い事言っちゃったし、これでCさんがあの人に嫌われちゃったらどうしよう。」
「責任取るんやろ?」
勢い良く振り返ったBの顔には「出来る事なら何でもします」と書いてある。
Cは微笑んで見せた。
「安心しな。あの人は俺の恋人じゃないし、恋人だった事も無い。最初から好いても好かれてもいない。」
「え?じゃあ、あの人本格的にCさんの何ですか?」
「大事な人だ。」
またBの顔が青くなる。
CはBの頭を撫でた。
「好きって意味じゃない。その気持ちが何か、B君のおかげで今日今さっき初めて知ったからな。」
「僕が何かしましたか?」
「俺の初恋を奪った責任、きちんと取ってくれよ。」
「はつ、はい?」
「晴れて今日から俺らは恋人同士や。」
CはBの手を引っ張り、さっき風雅がCにした様に壁に追い詰め、Bの顎を取って口付けた。
Bはズレた眼鏡越しにCを見上げ、さっきのCの様に ぽかん とした。
Cはもう一度Bに口付け、微笑んだ。
「狼さんに食べられてしまう前に早よ帰り。大人の階段二段飛ばしで上りたくなかったら今度からはもう少し警戒するんやで。」
BはCに軽々と抱き上げられて部屋の外に放り出され、締まる扉を呆然と見た。
まだ感触の残る唇に触れ、それまで青かった顔を真っ赤にさせた。
「え゛!?」
その後、Bは何をどうして自力に家に辿り着けたのか不思議な程、気が動転していた。
それはとりあえず風呂に入っても、ベッドに入ってみても、やっぱり眠れなくて温めた牛乳を飲んでも治まる事は無かった。
「(…無性にAに会いたい。)」
「くだらねえ。」「馬鹿じゃねえの?」
早く鼻で笑ってあしらって欲しい。
しかし、そういう時に限ってAは長く帰って来ないのだった。
良い肴が手に入ったから今から飲まないか?ボス by F




